先日、父が亡くなりました。

ブログに書くかすごく迷いました。

なんにも触れずに平常運転の記事を上げるか…
今度父に会いに行く、と前回の記事に書いていたのでサラッと報告だけするか…

結局、最後の父との関わりを記すことにしました。

父が亡くなってから1ヶ月ちょっと。

この1ヶ月だけでも、父と会った時の会話や雰囲気を完全に覚えてるわけではない。

このまま時が経ったらどんどん薄れていくんだと思うと、自分の為に残しておくことにしました。


前回の記事

数週間前に、私は父のFacebookでの発言で、もしかして余命宣告受けた?と少し思ったけど、深く考えずにいたのを思い出し、動悸が止まらなくなる。

この連絡があってからだな。
動悸、吐き気、息苦しさがずっと続いてるの。

妹に父のFacebookでの意味深な投稿のこと話したら、妹が、父があるコミュニティで、末期癌であることを投稿してるのを見つける。

妹が呼び出されたけど、私も父の家に行くことにする。


1週間後の4月20日、父の家へ。

何回ピンポンしても全然出てこない。
ドアノブを握ってみると、鍵が閉まってなかった。
ドアを開けると、「誰だ⁈」と父のキツイ声。

7年ぶりに会った父は、恰幅が良かったのに痩せていて、顔色も悪く、眼光が鋭かった。

「ひとんちに来たら、帽子ぐらい取れよ!」
と鋭い眼光と強い口調に、体が硬直した。

あぁ、今のこの私もこんな硬直してしまうのだから、小さい時の私はトラウマもんだな。
これに耐えたり反抗してた小さい時の私すごいなと思った。

大腸がんから、肝臓と肺と腹膜に転移し、余命3.4ヶ月と診断されたと言われる。

もう、手術も抗がん剤等の治療も出来ず、緩和ケアのみしかできないらしい。

もう4.5日なにも食べていないらしい。
私が入院後に飲んでいたエンシュアドリンクみたいな栄養剤で凌いでいるみたい。

具合悪そうだけど、声には力があった。

父は、自宅療養を望んでた。
入院すると具合悪くなるからって。

でも、もし入院することになった場合の身元引受人と保証人に妹がサインをする。

預金の説明を受けて、おつかいに行く前に、お父さんに私は、「なんで妹をひいきしたの?」と泣きながら聞いた。

言いたいことはたくさんあるけど、それを選んでた。
本音をぶつけたい気持ちと言えないこともあるなかでの、妥協した質問だった。

父は、「俺を恨んでるなら、そう言って帰ってもらって構わないから」と強い口調で言った。

わたしは、そうゆうことじゃないと泣きながら、もう一度同じ質問をした。

父は、「え?ひいきなんてしたかなぁ。長女だからちょっと厳しくしすぎたかなぁ」と、私の深刻さとは裏腹に思ったより軽い返事が返ってきた。

私は、その言葉を聞いて、諦めた。
家族の中で仲間はずれや暴力を受けた私の悲しみ苦しみは話しても理解されないと思った。

おつかいに妹と2人で行く。

帰ってきて、昔話を少しした。

父は、「寂しくなるなぁ」とボソッと言った。

妹がトイレに行ってる時、お父さんは「junはやっぱり可愛いなぁ」と言った。
内心、すごく嬉しかったけど、なにも返事をしなかった。

帰り際、「病人には、手を握って、頑張ってって言うもんだろ」と言われ、嫌々手を握った。
妹の手はすぐ離したけど、私の手はなかなか離さなかった。

この、junはやっぱり可愛いなぁと言葉と、父が妹の手はすぐ離したのに私の手はなかなか離さなかったという2つの事実が、私の心を少し軽くした気がした。

きっと、ずっと、妹より愛されたかったのだと思う。