相変わらず嗅覚障害の話題は特になく、地道にブログをやっていこうと思う日々です。
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ところで、今回からブログの「障碍」の表記を元の「障害」に戻しました。
もともと、「障害」から「障碍」に変えたのは、ある病院(耳鼻科のある病院)の掲示板に私が書き込みをした際、レスにて「そういう表記も最近使われてます」とご案内があり、「そうなんだ。じゃ、他の嗅覚障害者の方が不快に思うことのないように最大限配慮しよう。」と思ったからです。
しかし、こと嗅覚障害に関する限り、「障害」という表記が問題視されたことはないようですし、今後もないような気がします。
何しろ、嗅覚障害者の絶対数が少ないので、「嗅覚障害に取り組む」「嗅覚障害者にはこれからどんな未来があるのか!?」という大テーマがドーンとあって、ブログでの表記がどうのこうのというのは小さなこと過ぎて気にならない、そう思うのです。
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そもそも、身体障害の「障害」というのは、たとえ話としての「行く手に立ちはだかってる壁、ハードル」だと思うのです。
障害物競走なわけです。
身体障害者の行く手に立ちはだかってる壁であり、ハードル。健常者の行く手にはないけど、こっちにはある。
嗅覚なら嗅覚の「道」があって、その行く手に立ちはだかってる壁、ハードル。
健常者は障害物競走じゃないんですけど、嗅覚障害者は障害物競走なわけです。
と言いますか、人生誰だって、行く手には色々な壁、ハードルが立ちはだかってるもんじゃないでしょうか、例え話としては。
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一方、「障害」から「障がい」へ表記を変更したケースの代表例と言われる、東京都の多摩市のホームページには、理由が以下のように書いてあります。
今日、ノーマライゼーション(住み慣れた地域で障がいのある方もない方も、社会の中で共に生活ができる社会のあり方)の社会を目指していくうえでの課題の1つに、「障がい者」に対する差別や偏見をなくしていこうとする、「心のバリアフリー」が挙げられます。
多摩市における「障がい者」という表記は平成13年1月から行っている心のバリアフリーに関する取り組みの1つで、現在、市では一定のルールのもとでひらがなを用いています。
取り組みのきっかけ
平成13年度にスタートした第4次多摩市総合計画の基本計画を策定する審議の中で、「障害者の"害"の字が不快感を与えて好ましくない」という提言があり、また、平成13年4月にスタートした第2次多摩市健康福祉推進プランの柱である「障がい者基本計画」を策定する際にも、「障害者」という表記について「"害"の字を石へんの碍、あるいはひらがなにすべき」という意見がまとまりました。
また、一般的に「障がい者」の"害"の字には「悪くすること」「わざわい」などの否定的な意味があり、「障害」は本人の意思でない生来のものや、病気・事故などに起因するものであることから、その人を表すときに"害"を用いることは人権尊重の観点からも好ましくはないものと考えられます。
このような理由から、市が率先して、障がい者に対してより不快感を与えないように表記を改めることとしました。
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私は、この議論に触れるつもりは全くありませんでした。
しかし、とにかく嗅覚障害の話題がないので、ちょっとこの議論に触れてみようと思います。
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確かに「害」という字は気分が良いわけではありません。他人事じゃなくて自分のことですからね、気分の良い表記の方がベターに決まってます。
でも、だからと言って、発音はそのままで「障がい」というひらがな混じりにするというのは、解決法としていかがなものでしょうか?
発音は変わらないわけですから、「がい」は「害」のイメージ強いでしょ?とツッコミたくなります。
それに、ひらがな混じりってなんだか漢字の知識に乏しいみたいで、気分が良くなってベターとは言い難いです。
むかし司法試験の勉強をしていた頃、受験生には常識だった「勾留」という字が、「勾」という字が常用漢字ではなかったためニュースや新聞では「こう留」と表記されてるのを見て違和感を感じたものですが、似たようなものです。
「障がい」よりは「障碍」の方が気分が良くなってベターです、こっちの方が良いです、気分は。
でも、現状では「障碍」だと、ネット検索がやりにくくなったり、不便を感じます。
実際、いつも、「嗅覚障害のニュース」でネット検索した方が「嗅覚障碍のニュース」でやるよりずっと効果的でした。
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「『障がい』表記にしたからって、気分が良くなってベターとは思えない。まして、人権尊重なんて大げさすぎる。
『障碍』表記に一斉に切り換えるのが常用漢字でないため無理ならば、あえてひらがな混じりにする必要はないと思う。
『障害』のままにして、いつの日か『碍』が常用漢字になったら『障碍』に一斉に切り換える、それで良いのではないか。」
以上が、私の考えです。


