圧迫面接の一件 | 嗅覚障害者の団体を作りたい。 I want to create an organization for people with smell disorders.

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リトル・ミックスのペリー・エドワーズも同じ嗅覚障害らしいですね。"Perrie Edwards from Little Mix also seems to have the same smell disorder as me, doesn't she?"


                       (©Moyoco Anno 2005)
今日は、私の人生の中で、嗅覚障碍に関することを除くと、最も重大な出来事について書きます。
と言っても、茶番です。一番大きな茶番です。
私は、この出来事のことを、「圧迫面接(あっぱくめんせつ)の一件」と呼んでます。


「圧迫面接の一件」は、私がなぜ「嗅覚障碍は小さなことじゃない、大ごとだ。私はこれに全力で取り組まなくてはならない。」と思うに至ったかを説明する上で、いつかは絶対書かなくてはいけない話題です。
ですから、書くのです。
書く必要が絶対あるのです。遅かれ早かれ。

ところで、これについて書くためには、どうしても、安野モヨコ先生の漫画「働きマン」の写真を数枚upしなければなりません。これは鉄腕アトムの時と全く同様です。必要最小限のわずかな写真だけですから、どうか、許可して下さい。お願い致します。


まずは、「圧迫面接の一件」の全体像を書きます。

 ■1988年5月。19歳の時、中央大学の真法会という司法試験受験団体に入ろうとした。そこで面接試験を受けた。面接は第一番目の部屋から第四番目の部屋まで、四つあった。四つとも全て受けなければいけないシステムで、途中で終わるシステムではなかった。その面接の第三番目の面接で、面接官から厳しい反論や突っ込みを受け続け、パニック状態になった。面接主査は稲益孝先生。面接副査は横井弘明先生。面接官は本気で私の発言に怒って反論し続けていたと思った。特に、「テレビドラマを見て、会社更生の仕事をする弁護士になりたいと思いました。」という動機に対して、強く反論や突っ込みを受け、驚いてパニック状態だった。

 ■しかし、なぜか、その真法会に入ることができた。

 ■真法会に入ってからはずっと司法試験受験を続けていた。しかし、「会社更生の仕事をする弁護士になりたい」という動機はパニック状態のまま、心の中でグルグル回ってる状態で、結局ついにそのままだった。刑事訴訟法の専門ゼミに入ったり、違う方向のことばかりして、本気でそっちの方向を目指して頑張ったことは一度もなかった。

 ■最終合格できないまま、ズルズルと続けていた。

 ■2007年後半から2008年にかけての頃。39歳か40歳のとき。偶然、漫画「働きマン」の「面接マン」という回を読んでいて「圧迫面接」というものを知った。「圧迫面接」という概念をそのとき初めて知った。

                       (©Moyoco Anno 2005)
※なお、画像は単行本のものですが、今回のブログで画像をupするために最近アマゾンで購入したものです。2007年後半~2008年当時読んだ場所や、単行本だったか週刊モーニングだったかは、覚えてません。働きマンは2007年8月に第4巻が発行されたものの2008年に連載が突然中断して現在に至っているので、その時期に急にこのマンガが気になって読んだんだと思います。

                       (©Moyoco Anno 2005)

                       (©Moyoco Anno 2005)

                       (©Moyoco Anno 2005)

                       (©Moyoco Anno 2005)
 ■しばらくして、19歳の時の真法会の第三番目の面接が、他ならぬ圧迫面接だったということに初めて気が付いた。「ああ、完全に勘違いしてた。そして、圧迫面接、こういうのは自分には無理だ。大の苦手、向いてない。明らかだ。圧迫面接をハードルに課されるような仕事・業界は、無理だ。」と悟った。「会社更生の仕事をする弁護士になりたい、という動機がパニック状態になって、20年間、心の中でグルグル回っていたのは、全くの無意味だった。圧迫面接を受けてから圧迫面接を知るまでの20年間は、全くの無意味だった。」と悟った。表現しようのないショックを受けた。

 ■「え?これって何を意味するの?もっともっと深く、これは本気で考えなくてはいけない。」と、それから長いこと自問自答が続いた。

 ■自問自答の結果は、以下のようなものだった。

 「なぜ圧迫面接は無理なのか?それは、自分が臆病だから。度胸がないから。」

 「なぜ臆病なのか?度胸がないのか?その理由は、明らか。幼い頃から密かに嗅覚障碍を気にしてるから。常に、心の奥で気にしてる。ずっとそうだった。」

 「今まで、嗅覚障碍は小さなことだ、と思っていた。でも、それは大間違いだった。嗅覚障碍は、大ごとだ。そう言えば、他にも、嗅覚障碍のせいで嫌な思いをしたことはたくさんある。完全に甘く見てた。自覚に乏しかった。」


以上が、「圧迫面接の一件」の全体像です。

逆に、さかのぼるように書くと、以下のようになります。

「今、私は、嗅覚障碍を強く意識して、取り組むことを心掛けている。嗅覚障碍は大ごとだと確信してるからだ。なぜ確信してるかと言えば、嗅覚障碍のせいで臆病で度胸がない性格で、そのために20年もの間、無意味なパニック状態に陥り、20年間を無駄にした経験があるからだ。そのスタート地点が、19歳の時の圧迫面接だった。圧迫面接の概念を全く知らなかったのだ。」

本当に、圧迫面接のこと、知らなかったのです。
面接官も、真法会の誰一人も、「圧迫面接。」と教えてくれませんでした。
そして、司法試験にどっぷりはまって、大学卒業の時期に全く就職活動をしなかったのです。そのまま真法会にいて司法試験の勉強を継続したのです。そのため、圧迫面接と言う概念を知る機会がなかったのです。




ところで、この、20年間のパニック状態の時代。
これがまた、ややこしい問題、マイナスの影響を残してるのです。
何しろパニック状態ですから、当時の私の言動はひどいものだったわけです。
嗅覚障碍の自覚なんて全く乏しかった言動だったことは、言うまでもありません。

さらに、圧迫面接のことを知ってからも、大ショックを受けたせいで、機嫌が悪かったのです。そりゃあ機嫌が悪くもなりますよ、20年間も全く無駄にすれば。大ショック状態だったわけですから。その頃の言動もまた、かなりのモノだったわけです。

そのせいで、当時の私しか知らない人達は、私について、「間違った思い込み」「間違った予断」を持っています。

そういう人達が、間違った思い込みで、ひどい言動を私に対してしてくる可能性、当然あるわけです。

そうすると、これまた、私も機嫌が悪くなって、ひどい言動を返す可能性、当然あるわけです。

この悪い循環がかなりグルグルと延々と続いてます。
もー、わかっていてこれですから、本当に、くだらない茶番です。
数年前から私は周囲に「くだらない茶番」と繰り返し言ってます。それは、こういうことなのです。

特に、いつからか、勝手に私のことを「女性の敵。」と間違って思い込んで、その観点から間違った言動をしてる人達がいる、その可能性大です。
それは誤解です。
圧迫面接でパニック状態だった時代の言動(勘違いとか冗談とかです。)とか、その後も延々と勘違いしてる人達のひどい言動があまりにも続くので、機嫌が悪くなってやった言動とか、そういう事が原因の誤解なのです。


あの20年間の事柄で唯一、今も残って「意味があった。」と言えるのは、「L'Arc~en~Cielの歌をカラオケで歌う趣味」だけです。
あの当時の人間関係も、司法試験のために費やした多額の金額も、何もかも、無駄になりました。


19歳からの20年間を全く無意味にした「圧迫面接の一件」。

ホントに、無駄でした、あの20年。

でも、「圧迫面接の一件」は、私にとって一番嫌な出来事ではありません。
一番嫌な出来事。それはやはり、「物心ついた頃からずっと嗅覚がないこと。」です。
間違いありません。
「圧迫面接の一件」も、結局、嗅覚障碍が原因で起きた数多い嫌な出来事の一つに過ぎません。(そのうちの最大の出来事ではありますが。)
過去のものとして心の整理がつく日が来るでしょう。
でも、嗅覚障碍は、(かなり高い可能性で)一生続くのです。「あーあ、自分は死ぬまで匂いのことを全く知らないで人生終わっちゃうんだなぁ。匂いの概念、全くわからないや。」と思うと、一番ガッカリします。やはり、これが一番大きな事柄だと思ってます。

圧迫面接をした真法会(会の人たち)との関係。

当然のことですが、「覆水盆に返らず」、です。

「覆水盆に返らず」。それ以上でも以下でもない。

徹底的に「覆水盆に返らず」、です。

皆さんだってきっとそうするでしょう。

それに、面接主査だった稲益孝先生は、1998年だったでしょうか、とっくに他界。面接副査だった横井弘明先生はご存命でしょうが、副査は相槌を打つだけみたいなものでした。あの圧迫面接は、今思えば明らかに組織としての方針。この方々を個人攻撃したところで、空しいだけ。私が無駄にした20年は帰って来ません。


安野モヨコ先生には本当に感謝してます。安野先生が圧迫面接について書いてくれなかったら、いつまで「圧迫面接の一件」が続いていたかわかりません。一生続いていたかもしれません。あまりにも恐ろしいことです。安野先生は、まさに私の恩人です。本当にありがとうございました。