震災地(宮城県)にいる友人から電話がありました。
まずは、援助物資のお礼の挨拶から頂きました。
やっと動き始めてのろのろと、でも余震の度に、それが
止まり、又おっかなびっくりで動き出す。
この様な表現でした。
それでも少しずつでも前に歩き出している。
それに比べて体たらくなのは言わずと知れた面々です。
先日たけしのTVタックルで生放送を交えながら
今回の震災についてコメンテーターが語っていましたが、
やはり、東京電力の隠蔽体質は変わっていないように
感じられました。
わざわざ、貴重な時間を割いて東電まで社長を怒鳴りに
行ったイラ菅も情けないですが(気持ちはわかるけど政治家
の行動ではないと思われる)
なんとか隠せる悪い事実はかくして保身を図ろうとする東京
電力と、本来はこれを監督する立場にある保安院が一緒に
なって隠蔽に近い発表をし事態の終息を遅らせているこの
事実は末期的と言ってもいいように思えます。
当初、保安院幹部のうち技術的な知識や経験に優れた
何某が保安院発表として原発事故の初期段階から炉心溶融
(メルトダウン)についての可能性を語り、とたん更迭され、
現在よく新聞やTVに出ている保安院の方は元通産省出身の
天下りの方だそうです。(すべてTVタックルの受け売りですが)
本当に政治家も情けないですが、これを選んでいるのは日本
国民なわけで、裏切られたと嘆いてみてもこれは自己責任。
痛みを伴う事象の裏にこそ真実があり、これに顔をそむけて
いる限り問題の解決はないのでしょうね。
難しい話は以上として・・・
震災から1カ月が過ぎ、これから支援の仕方が色々形を
変えてくると考えています。
あまり考えすぎると気持ちが悪くなってくるのですが、
いろんな方に広く支援を仰ぐに当たって、、やってあげて
いるんだという部分が表に立ってしまうと気持ちの上で負担
大きくなってしまいます。
「あっちも大変だけどこっちも仕事が止まってしまって大変なんだよ」
といった声が聞こえてくるのも、これはこれで事実だからなのです。
大事なのは日常的なサイクルに、イレ込まない部分で支援になる
行為をする事かな?と ちょっと考えています。
そういった意味ではこの前のチャリティーサッカーやチャリティー
コンサートなどは私的には非常に有意義であると思うのです。
もちろん義援金を出す人達も嫌がって出しているのではないですが
サッカーファンからすれば、人気選手が一堂に会したうえで、納得の上で
チケットを購入しこれが被災者の方の支援になる。コンサートなども
上に同じ。(ただ、選手たちはただ働きになっていますが・・・)
ポイントは出す方ももらう方も両方良いという事ではないでしょうか?
いつも飲むビールの茨木や宮城県産の地ビールや焼酎などにする。
値段が近いなら被災地産の野菜や果物などを購入する。
意識一つでそれほど負担にもならず貢献できるのでは?
そうおもいます。
そういう事で今週の日曜日は仲間たちで花見をする事になりました。
一人一品以上必ず被災地産(?)の飲食物を持って集まる事。
これが条件です。
小さい支援(?)ですが、私たちも楽しめ被災地にも利する。
こんな循環が一番息の長い支援の仕方なのかなと考えている
今日この頃です。
自粛ムード全盛ですが、帰って萎縮しすぎてもよくないでしょう。