考えてみると、上野公園にある美術館に出掛けることはあっても、
上野界隈をゆっくり散策したことはないなあ・・・。
たまに出掛けて行っても、いつも目的ありきで あわただしく過ごすだけ・・・。
最近は 母の介護のために仕事を整理したこともあり、
家にいることも多くなった。
そのため、身体は忙しくても 頭は色々と思いを巡らせる余裕はある。
今まで、仕事ばかりしてきた人生。
働くことが大好きだから、もっともっとと突っ走ってきた。
しかし、こうして家にいて介護や家事に費やす時間が多くなると
自分の中で 今までの自分とのバランスをとるために
防衛本能が働くのか色んなことを考える。
もともと好奇心旺盛の性格が大いに手伝っているのだが。
まあ、兎に角色んなことに目をやる心の余裕ができたということか・・・。
・・・寂しいことに仕事を減らしたのだから金銭的余裕はなくなったが。
ということで、中々実際に出掛けていく時間は取れそうにないのだが
機会があったら出掛けることを願い 面白そうな所をさがしてみることに・・・。
てな訳で、上野界隈。
最近は、ジャム作りや漬物をよくするようになり
色んな漬物にチャレンジしているが
福神漬けは したことがない。
というか、昔ほど福神漬け自体を食べなくなった。
何故なら、我が家はカレーライスには ラッキョウ漬けだからだ。
福神漬け・・・。
調べてみると、上野 池之端にある漬物の老舗 「酒悦 」が
福神漬け発祥の店と言われている。
「 酒悦 」は、創業1675年 300年余りの老舗中の老舗。
この酒悦の十五代 野田清右衛門が明治10年代頃に創製したもの。
この頃はまだ 漬物と言えば塩漬けだった時代。
醤油と味醂を使って漬け込んだ味は新しく評判になった。
福神漬けに使われている野菜は7種類。
大根、なす、かぶ、なた豆、しそ、うり、れんこん。
この組み合わせに至るには、きっとかなりの試行錯誤があったに違いない。
「 福神漬け 」は、当時の流行作家 梅亭金鵞 (ばていきんが)が名付け親
と言われている。
7種の野菜を使うことで七福神に見立てたことや、店が不忍池の弁天宮に
近いところから七福神に因んで「福神漬け」と名付けられた。
また、この漬物は大変美味なので、他におかずがいらず、
知らず知らずのうちにお金がたまる良い漬物だ。
福の神も漬けてあるのだろうと、福神漬けと
呼ばれるようになったという説もある。
福神漬けがカレーライスに添えられるようになったのは、
明治35~36年頃。
日本郵船 ヨーロッパ航路の食堂が初。
カレーの付け合せを "チャツネ″からピクルスに替えたら
酸味が強く日本人に不評。
福神漬けに切り替えたら非常に好評。
次第に定番になり、広まった。
㈱日本郵船 HPより。
こうして 調べていくと 改めて福神漬けに興味が沸いてきた。
折あらば是非 「酒悦」の福神漬けを味わいたいものだ。
手作りの福神漬けも チャレンジしなければ・・・。
BIGLOBE百科事典より
寛文12年(1672年 )、出羽国 雄勝郡 八幡村(現秋田県 湯沢市 )出身の了翁道覚 が、上野 寛永寺 に勧学寮を建立した。勧学寮では寮生に食事が出され、与えられたものは質素なものであったが、おかず としては、了翁が考案したといわれる漬物 が出された。大根 、なす 、きゅうり など野菜 の切れ端の残り物をよく干して漬物にしたもので、輪王寺宮がこれを美味とし「福神漬」と命名、巷間に広まったとされる。なお、白土三平 の漫画『カムイ伝 』では、登場する商人・夢屋が「ヤタラ漬」の名で売り出し評判を呼んだものとあるが、あくまで創作と推測される。
そして、明治時代 初頭、東京・上野の漬物店「酒悦」第15代野田清右衛門が、自分の経営する茶店で売り出したところ評判となり、日本全国に広まった。いろいろな野菜が入っていること、また店が上野不忍池の弁才天 近くにあったこと、更には「ご飯のお供にこれさえあれば他におかずは要らず、食費が抑えられ金が貯まる(=家に七福神がやってきたかのような幸福感)」という解釈で、作家 の梅亭金鵞 が名付けたという説もある。
日本においてカレーライス に添えられるもっとも定番の漬物だが、これは大正時代 (明治35、6年説あり)に日本郵船 が周航していた欧州航路客船で、一等船客にカレーライスを供する際に添えられたのが最初であり、それが日本中に広まったとされる。福神漬が赤くなったのは、このときにチャツネ に倣ったという説がある。
市販品では、人工着色料 などを使って真っ赤な色をつけられたものが多かったが、近年では色をつけない茶色の福神漬が好まれている。