人と言うのは、幼い頃からテレビや小説、いろんな情報で、世の中には、善側と悪側があり、常に自分自身は、善側の視点にいると信じている

 
恐ろしいことに、私自身も長年そうだった。いつも私は被害者側で、相手は悪側で自分はいつも他人から傷つけられる側根拠もなく、いつもそれが当然として感じていた。
 
 
実際の出来事としては、私自身が相手を傷つける側に立ったことも多数あるし、もちろん傷つけられたことも多数ある。
 
問題は、いつも自分自身が正義の立場にある。と言う誤った認識によるものにより、誤った記憶が残っていると言うこと
 
実際には、若い頃には勇気を振り絞って告白してくれた相手だっていた。今考えたら「誠実で素敵な人」だったと思う。一回り以上年上のオッサンで、私は嫌だわ。と検討さえせずに、断ったのも私。相手はとても傷ついたことと思う
 
今考えたら、何度かそのような機会があったように感じる。
 
そのたびに、外見が好みでない。他に好きな人がいる(相手にされてないのに)などの理由で検討すらしなかった。これはどう考えても、自分が幸せになるのを避けていたようにしか思えないし、相手にとって袖にされたような感じで、心から傷つけたことと思う
 
そして、中学生の頃。あまり友達のいない私に対して、仲良くしてくれていた誠実な友人がいた。私はその当時、グループというものに憧れていて、そのグループのリーダーが、私に対して、その子の悪口を吹き込み。その子と付き合わなかったら、自分のグループに入れて良いよ。と言うのを、口車に乗ってしまい、その子を無視してしまったこと。
 
私からすると、その子はとても素敵な子で。多くの人に好かれ、美人で頭も良く、優しく、家に訪ねたら、美人の母親とピアノ、絵画と憧れる要素は沢山で。私は単純に好きだったのだけど、他の人から嫉妬されるタイプの人だったのだと今なら思う。
 
私からすると、多くの友人がいるのだから、「私一人いなくてもきっと平気だろう」と言う自分勝手な思いで、相手と疎遠にしてしまい。とても悲しそうな顔をして、「私が何か悪いことしたなら謝る」と言いに来たのを無視してしまったことを思いだす。
 
 
今考えたら、何とひどいことをしてしまったのだと思う。もともと友人になったのも、私が一人でポツンとしているのを気にして、声をかけてくれた優しい人だったと思う
 
 
結局、グループ付き合いもうまくいかず、自業自得になった私ですが、人を傷つけた記憶を都合よく忘れて(笑)いつも自分側は正義にいると思うのは、おかしな話である。
 
 
そして、恐ろしいことに元夫も、自分がいかに傷ついて被害者であるかを、いろんな共通の友人や親戚、両親などに相談ということをし、もともとの原因である。自分が傷つけたり疎外したりしたことを忘れて、私がそういうことはダメだよ。もっとこうして欲しい。私はこう思っている。と言う話を、自分に対して文句ばかり言う、ダメな嫁だと周囲にアピールして、そして周囲から私を孤立させると言うことに対して、自分自身こそが被害者だと本気で信じてました💦
 
大切な大事なのは、いつだってどんな人だって、善悪側に立つ可能性があると言うこと。視点としては、いつだってひょっとしたら、私が間違っているのかもしれない。という視点をいつも忘れないこと。正しいという判断基準に囚われないこと。皆が笑顔になれる道を選択すること。最後にどうしても選択に迷ったら、自分が笑顔になれる道を選択すること。間違ったら素直に気持ちを伝え、謝ること。
いつもその気持ちを忘れずに生きてゆければ、それで良いような気がする。
 
 
元夫に対しては、もう怒ってないし、相手には相手の正義があって、あのような行動していたのだろうと思うようになりました。ただ今後、自分を利用したり、傷つけたりする相手とは付き合う気は一切なくなりました(笑) 
私は私が、この人となら自分の時間を共に過ごしても良いと思える人とだけ共に過ごすようになりました。