Smile -4ページ目

年末

最後の診察の日、私がすぐに不安になりやすいということは覚えているらしく、『年末年始はベッドあいてるから。』とか『当直も毎日いるからいつでも連絡して』といわれた。治療するなら年末年始が狙い目、みたいな雰囲気だったけど、年末年始は医者だって休む人多いだろうし、かえって手薄になるんじゃないのか?と思った。着々と成長をとげる巨大化しつつある腫瘍が唯一の今の不安。もう危機すら感じ始め、年明け早々に放射線を当ててもらうことにした。もう何回も当てているのでフルコースでは無理だけど、できるだけの事はしてくれると放射線科主治医はいってくれた。原発巣は左胸だが、もう腫瘍が巨大化しすぎて心臓エコーが計れないかも、というくらいまできている。だから私の心臓エコーの数値は正しくない。かなり大雑把だ。 年末年始、自宅で年を越せることは有り難いが、もう働けない。無気力で横になってテレビ見て過ごすだけだろうけど。年末年始10日間、父親がずーっと家にいるのもかなりのストレス。考えただけでゾッとする。今日も天気がいいのに窓際のいすに座ってろくに口も聞かず、食事も夫婦で無言で食べて、くったらねて
、ご飯の時間になればヌゥーッと部屋から足音すらさせずに現れて、黙ったまま母の作ったご飯を無言で食べてハイ1日終了~みたいな。誰ともしゃべらずよくボケないでいられるなと思う。でも対人恐怖症みたいな感じだと思う。新しいこと、新しいものから逃げるの大得意だもんな。卑怯者!って毎日いってやりたいけど、本来なら私は親と同居しててはいけない年齢なので、夫婦2人で暮らしてると彼らには思って頂きたい。それにしても…近々心療内科につれていかなきゃいけない日がくるのは間違いないだろう。母に負担がかかるのが気の毒だ。
本当にうっとおしい。2010年のお正月は果たしてどこで迎えられるだろうか。 もう今心身ともにつらくて、早く楽になってしまいたいと思うこともある。だから飯島愛さんの件はかなりショックをうけた。私も辛いです。

想い出の歌

22時からスマスマをみてた。その年その年にヒットした歌をゲストを呼んで歌っていた。私は歌を聴いて『泣く』なんてことはなかったけど、今日は泣けた。マッキーの『どんなときも』とかシャ乱Qの『シングルベッド』とか広瀬香美の歌が私のツボ。ちょうど私が大学時代で初めて本気で好きになった人ができた頃にヒットしていた曲。結局かなわない恋だったけど、今振り返ればあの頃が一番ドキドキしたり失恋して悲しかったり、就職活動がうまくいかなくて将来の不安を抱いたりしたけど、いわゆる『青春』してたなぁと思う。好きな人ができて大学の勉強にも気合いが入ったものだ。広瀬香美の『ロマンスの神様』とかよくカラオケで歌ったな。もしあの頃、あぁしてたら…こうしてたら…、と思う。あの頃、誰が30代で癌になると想像したか。その後彼は、地元で就職が決まったと彼の友人から聞いた。…きっと家庭を持って幸せに暮らしていると思う。ちょっと会ってみたいなぁ…と思うことも時々あるけど、まぁ学生時代の想い出としてとっておいた方がいいかな。同時に、いまだに病気の自分を受け入れられてないということも実感した。

調子悪い

他の人のブログを読ませてもらっていると、体調が悪くてもほぼ毎日更新されている方が結構いて、偉いなあと思う。私はすぐ精神面にでちゃうから。お迎えが近いなと実感すれば、もう何もする気が起きなくて完全無気力。主治医にパキシルだそうか?といわれたが、デパス飲んでるからお断りした。自宅には私のストレスの根元である父親がいる。彼は定年後、火水木と、元勤務していた所にバイトとして通っている。だから月金は休み。時々月曜日に歯医者に通っているようだが、彼は歯医者にいくのにスーツきてネクタイしめて、まるで仕事にいくかのような服装ででかける。私は父親とは一切口を聞かないので母に『何であんな格好で歯医者いくの?』ときいたら『平日いって無職だと思われたらいやみたい』だって。世間知らずほどプライドは高い。私は父親みたいな人間には絶対にならない。先日のCTで肺の水の量は2ヶ月前と変化なしだった。苦しまずに死にたい。