お弁当を食べた。

もう数日前のことだけど。


今年の東京は、桜が咲き始めたと思ったら、寒い日が続いて天気も悪くて、何日も屋内にこもっていた。数日前に、松屋に夜食を食べに行こうと夜中に道を歩いていたら、突然、眼の前に現れた。夜の闇の中に満開の桜並木。

呆気にとられて、
その場に立ち尽くしてしまった。そうだ、桜、咲いていたんだ。。

帰り道は、ずっと墓地の中を歩いてきた。一人、桜並木のトンネルを仰ぎながら。夜の闇に浮かぶ満開の桜に、幾度も見とれていた。




一夜あけると、淡く晴れわたった暖かくて気持ちのよい日になったので、お昼にお弁当を買ってまた墓地まで歩いてみた。お昼時の並木道を、人々がのんびりとそぞろ歩いていた。



淡いピンクの天幕の下で、感慨は深まるばかりだった。こんなに美しい景色が、誰を分け隔てることもなく、日常の中にある。どうして今まで、気が付かなかったのだろう。この国に生まれて幸せだと思った。




「枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け」と言ったのは、江戸時代の哲学者の三浦梅園だった。毎年のように巡る季節、その巡りの中で生を謳歌する全ての命。咲きほころぶ花、鮮やかに芽吹く緑、色づき枯れ落ちる葉、雪の中にじっと立ち尽くす木々、それ自らが全て、類い稀なる奇跡であること。自然の優しさ、厳しさ、美しさ、儚さが、それを、寡黙のうちに教えてくれる。



満開の桜の下で、お弁当を広げて食べた。しみじみと、美味しかった。


しかし、夜の桜からは、昼間には見せなかった妖艶な気配が立ちのぼる。ましてや墓地の中に佇んで彼らに囲まれると、その禍々しいまでの枝ぶりから発せられる妖気が、肌を通して忍び込んでくるようだ。恐らく自分が生まれる前からそこに根を張り、枝を広げ続けた彼らの命の力が、闇の中に満ち満ちている。

その空気にひっそりと包まれて、人々は眠りについている。

百年経った後も、この景色はここに、生き続けているだろうか。




東京の桜は、今、美しく散っています。


BGM: 森山直太朗―さくら(独唱)