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家庭科を必死に覚えた話しです
小学校高学年の時、席替えで学年1のいじめっ子と隣の席になりました
学期中は席替え無かったので、これから長期休みまでずっと隣だと思うと、登校拒否したいくらいだったけど
それもできる子では無かったので嫌々登校してました
いじめっ子は何かと暴言で脅してきて、女の私にはしなかったけど暴力的な子でした
先生に注意されると隣の私に何で教えないんだとか文句言ってきたり
大人の今では「はぁ?」って感じだけど
当時は「ぶっ殺すぞ」とか「ボコボコにしてやる」とか言われるのがとても恐かったです
そして当然座学も隣の席なので、先生に指名されてわからないと私が怒られ
教科書は何ページ見てるか、問いの答えは何だったのかなど、より聞き逃さないように緊張しながら授業をきいていました
中でも1番嫌だったのは家庭科のミシンの授業でした。リュックとかエプロンつくるやつ
家庭科室で授業だったのですが、そこでも席順は一緒
席順を元にした班で1台のミシンだったので、同じミシンを順番に使うシステムでした
ミシンって荒く使うと止まりやすく、糸も詰まったりしちゃうのでその度に早く動かせと怒られ
はじめの頃は使い方もまだよくわからないから、おかしくなっても直せなくてその度にドヤされて家庭科の授業は毎回半泣きで終わってました
その頃やっと母親に「学校嫌だ」と言い出して相談
「1番行きたくないのはミシンの授業」だったので、ミシン得意の母親が
『直し方教えるし使えたら怒られないのでは?やってみよう』
と言うのでほぼ一夜漬けで猛特訓し、大体のことはこなせるようになり
ついでに裁縫の基礎も教えてもらって授業に臨んだ結果
いじめっ子には怒られなくなり、その授業に関しては逆に頼られる(やらされる事も…)ので、授業の知識がちゃんと身につき作業できるようになりました
ちなみにそのあと母親はちゃんと先生と話をして、他の授業もそれなりに配慮してくれるようになり
暴言が全くなくなりはしませんでしたが、少ないけど友達もいたし学校行きたくないと思うことはなくなりました
その後、また学期はじめに席替えがあり
配慮があったのかたまたまなのかはわかりませんが、いじめっ子と席だいぶ離れて
平和に暮らせた記憶です
そんな事で身につけた裁縫技術は今
子供達のおもちゃや幼稚園の道具、私のエプロンなんかになってる訳です
私のまわりの人達は裁縫する人そんないなくて
物を作るたび「器用だ」とお世辞でも褒めていただけるので、小学生の時の嫌な気持ちもこういうところで取り返しているのかなと思ったりしています
無駄じゃ無かった。いや授業は無駄じゃないんだけど
当時‘頑張った’は無駄じゃなかった
ちなみにその時の班に偏食の子が居たからか、そのいじめっ子は給食中はその子に当たりが強く、何故か「給食を全部食べる」事をすごく褒めてくれたので
当時好き嫌い結構あったけど給食は残さず食べるようになり(恐かったので)、今も特に辛い物以外の好き嫌いはないですね
結果的には隣になって良かったんだと思っています