両親と子どもはいつか心配する立場から心配される立場に攻守逆転する時が来ます…と思っています。
私が結婚してから数年が経ち、父と母が助け合いながら商売をし休みの時は一緒に温泉旅行と晩年を楽しんでいた様子に安心していた時期もありました。
そんな時期を経て母の前頭側頭型認知症の発症があり、仲が良かったはずの夫婦という名の他人はメンタルが試される時を迎えるのだなぁと客観的に思ってました。
私は子供として親の老後は逃げられない事と、兄が病で早逝してしまった時から覚悟はありました。が、もう少しどちらかがしっかりしていてくれると助かったのですが、かたや病で性格変容の母、かたや年齢だけ老成してメンタルは弱弱の父。悪口ではなく子供を持たない私ですがいっぺんに生活サポートが必要な子供もどきが2人も出来てしまいました。
父が通う診療所から呼び出されました内容は、最近頻繁になった栄養補助の点滴治療がある事と、思い切って栄養調整のための入院治療をしたらどうかという提案でした。
父は好き嫌いが言えるので好みに合わせた食事を用意していたつもりでした。今になると理解できますが、老人は摂取した栄養がちゃんと吸収されないらしくアルブミン数値が下がっていました。もともと痩せ型で脊柱管狭窄症で背骨も丸くなんとなくかわいそうな印象もあり、診療所の提案を受け、奔放な母との厳しい生活(父のお世話をしない奔放な母と向き合う)から離してみることにしました。
私は、病気になった母をかわいそうなと感じるより今の母をありのまま受けとめる事が大事だと思いました。今まではこうだったのにと嘆いたとて戻って来ないことは明白だし母が受け入れられてない自分を感じてたらどんなに不安で寂しいだろうと思うから。
でも、今まで続けてきた体操サークルや水泳などは私が付き添いながらも出来る限り続けようと努力しました。社交的で身体を動かす事が大好きだった母の身体は、まだ病気による身体能力の弊害はなく、態度は落ち着かない子供みたいなところがあり、同年代のお仲間にはご理解頂きながらの参加をしました。水泳に関しては、私が一緒に行って着替えを手伝ったりしましたが、泳ぎはとてもキレイな平泳ぎやクロールが出来ました。
スイミングがお休みの期間は一緒に区民プールに行ったりと母の脳や身体能力を刺激して衰えを遅くする様に務めました。
気がつくと、私の生活は実家の父、母が中心になっていきました。
もちろん主人には、母が発症した時に、半端なかかわり方は出来ない事、母の症状から施設対応が難しい為、在宅介護がメインになる事の覚悟を伝え、了解を得ました。
どんな道のりを歩むのかの不安よりも目の前に起こる事に対応していくのが精一杯の日々がスタートです。