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jun08301008さんのブログ

昨年末に終わってしまった15年に渡る前頭側頭型認知症の実母の1人在宅介護、実母の激しく奔放な性格変化の中にも明るく可愛げのある人間味に救われてきた介護記録

先日、近所に住む父の妹で私の伯母にあたる人と電話で色んな昔話になり、父が病院に入院中、面会に行った伯母に『こんなところにいたくない』みたいな事を言ってたと言われた。

私が、当時、いちばんに父が安心出来る様にと探した病院だったけど

今さらそんな事を私に言ってなんの意味があるの?

90歳近くになる伯母は、人がどう感じるかより思いついたことを勝手に喋るところがある。

亡き父は私に2人(父と母)一緒に実家で介護してほしかったのか!父より母を施設へと?

納得した上で療養病院での生活を同意しているかと思っていた。

確かめたいがあとの祭り過ぎる。


   父は周囲の人からは優しいとか温和とかの印象を持たれていた。私には父は気弱で、意気地無しで保守的な人に映っていた。

母を姑、小姑のイジメからも守れず、自分はイヤなことがあると外にお酒を飲みに行ってしまう人だったから。母は辛い思いをしても離婚せずに家業を手伝った。そんな母が病気で父に優しく出来ず、病気特有の乱暴な言動や行動などをしてしまう事に参ってしまっていた。

認知症の発症前は仲が良く、休みにはいつも母の奢りで2人で温泉に行ったり、母には感謝してると私にわざわざ伝えてくる父だったのに。

ある時、なんのきっかけだったか、50年以上も家の為に尽くしたあげく病気になった母に対して母の実家に返すと言い放ったのだ。

伯母の言葉から色々思い出してしまった。

当時、本当に呆れたし、失望した。人間は、自分に尽くしてくれた人が病気により、自分に対する不都合を起こす人になってしまった時、『排除』しようとするのか?傲然とした。

他人ではなく親だったから尚更。もうこの時、父に対して心の中で一旦『さようなら』と思った。

父には、育ててもらった事の感謝の分と身体の不自由さと老いへの同情で面倒は見る覚悟だったが、この発言を聞いた時

から人間としての尊敬は消えた。

没後、10年にもなる父ですが、伯母の何気ない発言で芋ずる式にイヤな気持ちがよみがえってしまった。

もう自分が生きて行く上での反面教師にする以外この思いをした事を浄化させる手段はないのだろうか…。

   父の転院先は、偶然にも都内の同じ区内での移動だった為、あっという間のことでした。

この時、思い返せば、初めて介護タクシーを利用しました。車椅子のまま乗車し、たくさんの荷物も一緒に。

なんだか少し、ひんやりとガガランとした車内空間に心細さを感じましたが、私より初めての病院に行く父のほうが不安だったと思います。

程なく病院に到着すると、父は外来で入院前の診察をし、程なくお部屋に移り、新しい病院での療養生活の始まりでした。

病院の面接に行った中で設備も、医療に関しても、連携総合病院とのシャトルバスがあり、検査や治療もできるシステムがあり、そしてそこで働く医師、看護師の方々も当然ながらプロフェッショナルであり、病院の性質上、高齢者へ特化した経験や知識もあり安心出来ました。

父も、お世話をしてくださる看護師さんやヘルパーさんとの信頼関係を持ってくれるといいなと思いました。


  母は、小規模多機能型居宅介護の施設Yでは、同じ利用者さん達とよりスタッフさんと過ごすことが多かったようです。

先輩利用者さん達は母と違って、割とどんと座ってテレビを見たり、ゆっくりしてる人が多かったので母に頻繁に話しかけ、気分を上げてくれるスタッフさんといることで長い時間施設で過ごせる様になりました。

高齢者の施設では、季節ごとの旬の食材やメニューを大切にするらしく、🎎にはちらし寿司やお吸い物、お彼岸やお盆におはぎ(ぼた餅)を作ったりなど私があまり家でやれない事を実践してくれたり、定期的に音楽療法リリムジカやアロママッサージの開催もありました。

  母は病気になってからは子供の様に気持ちを素直に表現する様になり、リリムジカの楽器が奏られると楽しくなるようで、オリジナルの手振りとステップで踊りだしたりと陽気なそのノリは、スタッフさんにも伝染し、その場を盛り上げていました(笑)

今の様なコロナの心配もなかったので個人ではかなえられない人との触れ合いや演奏を楽しむイベントはホントにありがたかったなぁーと思いました。


こうして私以外で母に(認知症状のある)親身にしてくれ、そして専門的に根気をもって接してくれる場所で過ごしてくれる安心感は、私のリフレッシュタイムとしてのバレエやコンテンポラリーダンスを踊りに行かせてくれたり、父の病院へ面会に行かせてくれる時間を作ってくれました

出来る時には、続ける。このスタンスを強く持ち、踊りに没頭する時間は心と身体の健康を保ち、父への気配りにも時間をとれる事でバランスが保てる日常が過ごせていました。

   小規模多機能型居宅介護の施設Yは若い大卒後位~年配還暦過ぎのベテランスタッフまで幅広い年齢層で構成されていました。

お互いの得意と不得意(どちらかと言えばやりたくない)を補い合いながら、認知症の高齢利用者の方に声をかけ、行動を促したり、問題行動や不穏行動をなだめながら心を落ち着かせたり、同じ発言の繰り返しにも普通、家族なら声を荒らげてしまう事を優しく、根気よく付き合われます。


  母は言葉でごねる事はあまりないのですが、落ち着かずすぐどこかへ行こうとする事を1番注意深く見ていてくれました。


施設は普通のお家の様に大きめリビングと台所、和室と宿泊用の個室が3部屋ありました。

疲れたら、お泊まり用の部屋で休んだり、昼間の入浴(スタッフがサポート)なども出来ました。

認知症施設は通常、出入り口を施錠するところ、この施設では利用者に閉塞感を与えない様にスタッフが気を配る事で徘徊(突然、飛び出して行く)をしない様に、徘徊が発生し、発覚したら、追いかけ、探すを繰り返していました。

   母もデイの利用者さんたちが沢山来て、担当スタッフさんが少し目を離したスキに裏のお勝手口の重い扉を開け、勝手口のサンダル履で脱走💨💨した事も幾度となくあった様でした💦


そんなスキを埋める様に家でやっている家事や買い物をスタッフと一緒に行ったりと勝手に外に出たい欲求を忘れるように利用者さんを誘います。

母担当のスタッフは母にごはんの下準備の野菜切りを与えてくれたり、編み物やお裁縫で椅子の脚カバーを作ったりと、完成するといっぱい褒めてくれて本人のポテンシャルを引き出して自信に繋げてくれました。

   本人は言葉にならない心の奥できっと病気になった事を悔やむ気持ちや失っていくかもしれない自分の能力を再確認できた瞬間は嬉しかったと思います。


こうした施設Yでのケアを見習い、少しでも母の日常の能力を温存させたい

普段、家で母に家事をお願いするのも時間がかかるとやってしまう事も多い中、昔自家製だった餃子🥟を包む作業は一緒にやっていました。

母は皮の上の部分にだけヒダを作る包み方が上手でまるでお店の餃子の様でした。

ホットプレートいっぱいに出来た餃子を並べ、2人餃パ🎉を楽しみました。


この頃の母は性格変化による変わった行動はありましたが健康面や身体的運動機能は変わりなく優秀で、なんならリレーは若い人も必死に追いかけてくるレベル。そして動くので、食欲もあり、歳の割にホントに良く食べました。

日々の母の言動や行動は病気の症状でびっくりする事が多いけど、まるごと母を受けとめると決めたので元気でいてくれる事への感謝が優りました。


この時期は、頭(脳)から下がかなり健康な母の病がどんな経過を辿っていくのかは全くわかっていない割と平穏な日常でした。