jun08301008さんのブログ

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昨年末に終わってしまった15年に渡る前頭側頭型認知症の実母の1人在宅介護、実母の激しく奔放な性格変化の中にも明るく可愛げのある人間味に救われてきた介護記録

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かなり間が空いてしまった。

母が亡くなり半年になろうとするこの頃にロスなのかうつなのかあまり気力が湧かない日々に突入していた。

母と私の15年をわすれたくない記録しようと始めたが、時系列をおっていくことと思い出す事(なんの記録もなく)が時々擦り合わなくて手がとまる。

母の新盆の準備をし、実家から私の家への仏壇の引越しなど思い出に浸るよりも現実にかかる仏様事の費用やしきたり?(お寺や宗派の決まりごと)で思いのほか物入りです。価格帯がウン10万の仏壇とか仏具小物、お布施など投資とか、物を買ったという充足感に繋がる事とは違いなんとも生きるのも大変なのです💦ね

少しずつ続けていけたらと思っています

  父が療養生活をする病院は、いまでこそある事で有名になった台東区の中核病院の関連病院でした。

シャトルバスで検査、診察、必要があれば、中核病院で入院、治療し、戻ってくるシステムがあり、家族としては安心でした。

  お世話になる病院自体はリハビリに力を入れていて脊柱管狭窄症を患い、痛みを伴う父は誤嚥性肺炎を治療してる間に、車椅子生活になりました。

それでも病院ではリハビリを勧めてくださり、廃用症候群を進めないためにベット上でのリハビリをしてくれました。

父は、私が安心していたのとは裏腹にやはり病院での生活を納得していなかったようで少し鬱気味なところが端々にありました。

気分が塞ぐときはリハビリを断ったりするようでした。

父には申し訳ないが、私には父を自宅に戻して母の介護と父の介護を1人でやるという事は考えただけで自分の首をしめ、また父のメンタルの修羅場が起こることは容易に想像が出来ました。

だから冗談にも家に戻る様な事は父の前であえてひと言も言いませんでした。

私に出来ることは、週に1.2回差し入れを持って面会に行き、食事時間にあたる時は話し相手をしながらご飯を食べるのを見守ったり、昼間に行く時は一緒にお茶とスイーツを食べたりとコロナの影も形もない時代の穏やかな面会時間を過ごす事でした。

父の病院へ行けるのも母が小規模多機能施設Yでお世話になる時間があるからでした。

ひと通りの用事を終えて夕方施設Yに母を迎えに行くのがデイサービスの時の定番でした。

1日施設内で過ごす時もあれば、施設の車でドライブに連れ出してくれることもありました。

母はドライブで助手席に座り、外の景色を見るのが好きな様でした。

病気になる前は父と一緒に母の運転で母の実家の埼玉までドライブし、母の兄妹との交流もよくしていました。

施設Yでは利用者と担当スタッフが会話をして、利用者がしたい事を実現するお手伝いをする(出来る事は)のがこの施設のポリシーでした。

ある時は、母と約束をしたからと担当スタッフさんが母とバスに乗ってお鮨屋さんに連れて行ってくれました。

カウンターでお好みのお鮨をつまんで楽しく帰ってきた様でした。

病気になってからの母とは近くの外食はするものの、生活を回すために交通機関を使ってのお出かけがなかなか出来なくなっていたので母はうれしかったと思います(その瞬間は、あとには忘れてしまうので)。

ひとりでは出来ないことも、母を理解してくれている人たちの手を借りて介護生活を少しでもゆとりを持ててたのかなぁと思い出します。


   母が認知症と診断され、症状が出はじめてからも実家生活をしてきたのは、生活環境を変えることが病状を大きく進めてしまうと聞いていたからだ。

母の病状は確かに介護者は尋常じゃなく大変だけど、私が楽になる為に母を生活から排除する様な選択肢は持てなかった。

   小規模多機能型居宅介護施設Yは、デイサービスと宿泊も日常の生活の中で組み込む事が可能だった。

施設Yのデイ以外はずっと一緒で私の自宅に1人で帰る事はなかった。

母が施設Yやスタッフに馴染んできた頃を見計らい、お泊まりをさせてもらう事で自分の家に帰る時間をつくる事が可能になった。

もちろん、母の症状ですんなりお泊まりが出来るわけがないとは想定内。

ただ普通の老健さんのような一律ルールではない認知症対応の施設Yなのでお世話になる事にした。

最初は母の担当してくれてる若い元気な女性スタッフRちゃんが夜勤の日にお泊まりをした。


夜に落ち着きがなく不穏になった時に飲むお薬も渡し、おしもも、この段階でりはぱんだったので、お風呂あがりの替えのリハパンと下着、パジャマと。


夕方には家にスタッフがお迎えに来てくれ、施設Yで用意された夜ご飯を食べ、

 その都度湯船の湯を取り替えて1人ずつ、自宅より大きなそして寒くないお風呂に(寒くて、狭い自宅風呂)に手慣れた入浴介助で入れてもらい、髪を乾かしてもらえるサッパリと気持ち良く至れり尽くせりは母にも心地よい事だったと思う。

一部屋に1人で介護ベッドに空調で普通のお家にお泊まりに行った雰囲気が用意されている。

一斉に就寝時間に寝るのは全くと言っていいほどないことは覚悟の上の夜勤スタッフは、『寝てください』『お部屋に戻って』とも注意は言わず、眠れない利用者の話し相手をしながら、報告書作成をしたり、見回りをしたり。

  その日の母は、落ち着きなく廊下からリビングを何往復も走ったり、リビングでテレビを深夜まで見たりと自由に眠くなるまでさせてもらったようだ。

眠そうになったとこを見計らって寝室に連れてもらい就寝出来たと連絡帳に記載されていた。

私が翌日の早い午前中にむかえにいくと、朝食を食べ終え、デイサービスに来る利用者さん達の間をすり抜けながら、スタッフさんと歩き回っていた。

母に声をかけると『アラァ〜』と寄ってきた。お泊まりした事も覚えてるかは定かではないが、元気そうだったのでお泊まり『大成功』だった。

『家に帰る』と言い出す事があっても、別の話に気を逸らせながら、眠くなるまで見守ってくれるので、いちばん恐れる深夜脱走をする事はなかった。

この施設Yでのお泊まりが、常にべったりの母と私との小休止であり私の1人在宅介護を支えてくれました。

ありがたい出逢いでした。