透析についての認識
ブロ友さんのブログ読んでこんなテレビ番組やってたの初めて知りました!なんだか透析患者のイメージ最悪に思いますよね!
透析始めて20年ずっとバリバリ働いてますけど!
ヤフーの記事お借りして貼ってみました!疑問に感じた患者さんもたくさんいるみたいです!
仕事をやめて4年目に入ったというのに、「またやっちゃったか」と思いました。前々回のブログ「松原のぶえさんの腎移植の成功と復帰は喜びたいけれど……」のことです。松原さんが透析について「人間やってるのがヤダと思ったこともありました」と答えたことに疑問を抱き、短いテレビニュースを元に長々と雑文を書きました。ろくすっぽどころか、全く取材していないのに、知ったかぶりして「書き過ぎたかな」という思いがよぎったのです。
なぜかって、テレビ朝日系8日夜の「ドキュメンタリ宣言」の番組表や予告編を見たからです。松原のぶえさんが受けた透析医療と弟からの生体腎移植手術のもようのドキュメンタリー。そのタイトルが「生きて歌いたい!」であり、予告編では盛んに「5年後の生存率60�」とうたっています。この前宣伝を見る限り、松原さんは透析医療だけでは生きられない、別の業病を抱えている、どうしても腎移植をしなければ「5年後には死ぬのかもしれない」と思ってしまったのです。それが事実とすれば、前々回のブログの内容はあまりに無慈悲で非礼なことだったと、いささか心配になりました。
昨夜の放送を見ました。安堵しました……私の書いたブログがそう的外れでもなかったことに。がっかりしました……テレビ局の安易な取材と安っぽいヒューマニズムに。
「5年後の生存率60�」とはどういう意味なのでしょう。「このまま透析を受けなければ」という仮定の話なのか、「透析不足が長く続くと」という話なのか、「今の最良の透析を受けても」なのか、透析歴15年の古狸である私でも分からない。今や最善最良の透析を受けていれば、20年生存はざら、30年もめずらしくないほど進歩しているのですから、おそらく「透析不足が長く続くと」という前提なのでしょう。松原さんの原疾患が何か分かりませんが、どうやら特殊な業病ではなく、ごく普通の慢性腎不全患者のようでした。
番組によれば、松原さんは幼いころから腎臓が悪く、1年前から週3回、1回3時間の透析を受けているそうです。医師が「透析が不足している。このままでは動脈硬化の進みも早いし、長生きできない」と語っているシーンがありました。透析導入直後は3時間透析でもいいが、腎臓の機能が衰えるにつれ4時間になり、さらには5~6時間透析に移るがベターとされています。
にもかかわらず、彼女は仕事のせいなのか、4時間透析にすら耐えられないようなのです。「きのう3時間半(透析を)やってしまったので、ちょっとしんどい」「透析をいつもより長くやったので血圧が低下した」といった描写が続きます。これは明らかにおかしい。医者が「透析不足」というなら、4時間でも5時間でも透析を受ければいいだけの話です。それに耐えられないというのは、主に水分の飲み過ぎ、塩分やタンパク質などの食べ過ぎなどによると思われます。
「透析を始めれば完璧に治ると思ったけれど、そうでもないんです。2日に1回、本当に嫌になりますね」といった本人の告白は勉強不足としか言いようがありません。子どものころから不幸にして腎臓が悪いのだったなら、いずれ来る透析について勉強し、闘病しながらでも仕事を続けられるよう事務所の態勢を調整、縮小することも肝要だったのではないでしょうか。今や全国どこででも透析を受けることができ、旅巡業の多い芸能人とて事前に予約さえとっておけば、「旅行透析」は可能なのです。まして松原さんのような有名人なら、医療者の中にファンがいるかもしれない。何かと融通がきくこともあるのではないでしょうか。私の経験では、仕事を続けたいという意欲的な患者には、スタッフが親身に応援してくれたものでした。
揚げ足を取るつもりはありませんが「透析は完璧な医療でない」ことぐらい、患者なら常識でしょう。ダメになった腎臓に代わって、せいぜい何分の一かくらいの機能を代行してくれているに過ぎません。患者たるもの、その程度の機能でも生きていけるよう、医療者の言う食事制限をきちん守らなければなりません。守らずして、愚痴を言い、悲鳴をあげ、透析は嫌だというのは単なるわがままに見えてしまいます。食欲がないからといって、お茶漬けをかっ込むシーンまでありましたが、これも患者らしくない。今の透析は「しっかり毒素を抜いて、しっかり食べて、塩分を控える」というのに、栄養に乏しく、水分だらけのお茶漬けでは逆行しています。体力が持つはずもありません。
私は前々回も言いましたが、松原さんとその家族の決断を否定するつもりはありません。ただし製作スタッフなりテレビ局の方針には違和感ばかり感じました。ドキュメンタリーと名の付いた番組なら、せめて第三者に生体腎移植の問題点ぐらい言わせるべきだったでしょう。
生体腎移植を番組にするなら、健康なドナー(松原さんのケースでは事務所社長の弟)にメスを入れることの是非をまず問うべきです。移植を勧める立場の医者が、その病院での経験を基に「腎臓を提供した方で透析をしなければならなくなった方はいません」と言っても、説得力はありません。ドナーが将来、事故や病気で腎機能を失うことはあり得るからです。
東北地方における腎臓病の基幹病院で透析を受けていたとき、生体腎移植待ちの患者と隣り合わせたことがありました。聞けば、15年前に母親から腎臓を1つもらったが、機能を失って透析に戻ったとのこと。「兄が次は俺の番だ」と言って、提供を決意してくれ、間もなく2度目の生体腎移植をうけるというのです。そう、生体腎移植もまた完璧な医療ではなく、移植された腎臓が「死ぬまで持つ」わけではないのです。なかには数年でダメになる人もいるでしょう。そして嫌で嫌でたまらない透析に戻り、嘆き続けるのでしょうか。あるいは、他の家族の腎臓を物欲しげに眺めるのでしょうか。腎臓を提供してくれる家族がいてくれることは、幸せなのか、不幸の兆しを秘めたことなのか。私にはどうも後者の可能性をも否定できないのです。
透析患者はまず第1に生きられるのです。生活が制限されるとはいえ、ベッドを離れれば健康な人と全く変りません。働けます、歩けます、食べられます、遊べます、外国にも行けます……できることは限りなくあります。もちろん「歌うこと」も。末期がん患者とは根本的に違うのです。どうして声高に嘆くことがありましょう。松原のぶえさんの闘病ドキュメンタリーがどうして「生きて歌いたい!」となるのでしょうか。
ホントにそのとおりです!(ー_ー;)
透析始めて20年ずっとバリバリ働いてますけど!
ヤフーの記事お借りして貼ってみました!疑問に感じた患者さんもたくさんいるみたいです!
仕事をやめて4年目に入ったというのに、「またやっちゃったか」と思いました。前々回のブログ「松原のぶえさんの腎移植の成功と復帰は喜びたいけれど……」のことです。松原さんが透析について「人間やってるのがヤダと思ったこともありました」と答えたことに疑問を抱き、短いテレビニュースを元に長々と雑文を書きました。ろくすっぽどころか、全く取材していないのに、知ったかぶりして「書き過ぎたかな」という思いがよぎったのです。
なぜかって、テレビ朝日系8日夜の「ドキュメンタリ宣言」の番組表や予告編を見たからです。松原のぶえさんが受けた透析医療と弟からの生体腎移植手術のもようのドキュメンタリー。そのタイトルが「生きて歌いたい!」であり、予告編では盛んに「5年後の生存率60�」とうたっています。この前宣伝を見る限り、松原さんは透析医療だけでは生きられない、別の業病を抱えている、どうしても腎移植をしなければ「5年後には死ぬのかもしれない」と思ってしまったのです。それが事実とすれば、前々回のブログの内容はあまりに無慈悲で非礼なことだったと、いささか心配になりました。
昨夜の放送を見ました。安堵しました……私の書いたブログがそう的外れでもなかったことに。がっかりしました……テレビ局の安易な取材と安っぽいヒューマニズムに。
「5年後の生存率60�」とはどういう意味なのでしょう。「このまま透析を受けなければ」という仮定の話なのか、「透析不足が長く続くと」という話なのか、「今の最良の透析を受けても」なのか、透析歴15年の古狸である私でも分からない。今や最善最良の透析を受けていれば、20年生存はざら、30年もめずらしくないほど進歩しているのですから、おそらく「透析不足が長く続くと」という前提なのでしょう。松原さんの原疾患が何か分かりませんが、どうやら特殊な業病ではなく、ごく普通の慢性腎不全患者のようでした。
番組によれば、松原さんは幼いころから腎臓が悪く、1年前から週3回、1回3時間の透析を受けているそうです。医師が「透析が不足している。このままでは動脈硬化の進みも早いし、長生きできない」と語っているシーンがありました。透析導入直後は3時間透析でもいいが、腎臓の機能が衰えるにつれ4時間になり、さらには5~6時間透析に移るがベターとされています。
にもかかわらず、彼女は仕事のせいなのか、4時間透析にすら耐えられないようなのです。「きのう3時間半(透析を)やってしまったので、ちょっとしんどい」「透析をいつもより長くやったので血圧が低下した」といった描写が続きます。これは明らかにおかしい。医者が「透析不足」というなら、4時間でも5時間でも透析を受ければいいだけの話です。それに耐えられないというのは、主に水分の飲み過ぎ、塩分やタンパク質などの食べ過ぎなどによると思われます。
「透析を始めれば完璧に治ると思ったけれど、そうでもないんです。2日に1回、本当に嫌になりますね」といった本人の告白は勉強不足としか言いようがありません。子どものころから不幸にして腎臓が悪いのだったなら、いずれ来る透析について勉強し、闘病しながらでも仕事を続けられるよう事務所の態勢を調整、縮小することも肝要だったのではないでしょうか。今や全国どこででも透析を受けることができ、旅巡業の多い芸能人とて事前に予約さえとっておけば、「旅行透析」は可能なのです。まして松原さんのような有名人なら、医療者の中にファンがいるかもしれない。何かと融通がきくこともあるのではないでしょうか。私の経験では、仕事を続けたいという意欲的な患者には、スタッフが親身に応援してくれたものでした。
揚げ足を取るつもりはありませんが「透析は完璧な医療でない」ことぐらい、患者なら常識でしょう。ダメになった腎臓に代わって、せいぜい何分の一かくらいの機能を代行してくれているに過ぎません。患者たるもの、その程度の機能でも生きていけるよう、医療者の言う食事制限をきちん守らなければなりません。守らずして、愚痴を言い、悲鳴をあげ、透析は嫌だというのは単なるわがままに見えてしまいます。食欲がないからといって、お茶漬けをかっ込むシーンまでありましたが、これも患者らしくない。今の透析は「しっかり毒素を抜いて、しっかり食べて、塩分を控える」というのに、栄養に乏しく、水分だらけのお茶漬けでは逆行しています。体力が持つはずもありません。
私は前々回も言いましたが、松原さんとその家族の決断を否定するつもりはありません。ただし製作スタッフなりテレビ局の方針には違和感ばかり感じました。ドキュメンタリーと名の付いた番組なら、せめて第三者に生体腎移植の問題点ぐらい言わせるべきだったでしょう。
生体腎移植を番組にするなら、健康なドナー(松原さんのケースでは事務所社長の弟)にメスを入れることの是非をまず問うべきです。移植を勧める立場の医者が、その病院での経験を基に「腎臓を提供した方で透析をしなければならなくなった方はいません」と言っても、説得力はありません。ドナーが将来、事故や病気で腎機能を失うことはあり得るからです。
東北地方における腎臓病の基幹病院で透析を受けていたとき、生体腎移植待ちの患者と隣り合わせたことがありました。聞けば、15年前に母親から腎臓を1つもらったが、機能を失って透析に戻ったとのこと。「兄が次は俺の番だ」と言って、提供を決意してくれ、間もなく2度目の生体腎移植をうけるというのです。そう、生体腎移植もまた完璧な医療ではなく、移植された腎臓が「死ぬまで持つ」わけではないのです。なかには数年でダメになる人もいるでしょう。そして嫌で嫌でたまらない透析に戻り、嘆き続けるのでしょうか。あるいは、他の家族の腎臓を物欲しげに眺めるのでしょうか。腎臓を提供してくれる家族がいてくれることは、幸せなのか、不幸の兆しを秘めたことなのか。私にはどうも後者の可能性をも否定できないのです。
透析患者はまず第1に生きられるのです。生活が制限されるとはいえ、ベッドを離れれば健康な人と全く変りません。働けます、歩けます、食べられます、遊べます、外国にも行けます……できることは限りなくあります。もちろん「歌うこと」も。末期がん患者とは根本的に違うのです。どうして声高に嘆くことがありましょう。松原のぶえさんの闘病ドキュメンタリーがどうして「生きて歌いたい!」となるのでしょうか。
ホントにそのとおりです!(ー_ー;)