潮騒・神島 | navj_BLOG
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日本全国広しと言えども 一年を通じた年中行事がほとんど原点のまま 民間に残っているところは少ないであろう 三島由紀夫の『潮騒』で 一躍有名になった神島(小説では歌島)がそれである 小説ばかりに気を取られがちだが なかなかどうしてこの小さな島が 民間信仰の宝庫なのである 小説にもある通り周囲四キロしかない小島である 八代神社があり 灯台があり 観敵硝(かんてきしょう)があり 小説の舞台そのままである 戦後の或る日一人の青年がふらりとこの島にやって来た 青瓢箪のような 結核患者のような酷く陰鬱な青年だった 或るお宅に民宿し 静養の為だと言い 毎日ふらふらして何をしようと言うこともなく 八代神社の石段の途中にある神島小学校のネコの額のような校庭の鉄棒に身をよせて モノ思いに耽っていた 村の人達は気持ち悪がって近づかない そうして二ヶ月が過ぎようとしていた頃 彼は猛然とペンを執って書き始めた それが小説『潮騒』であった

 全国には正月の行事とか 春祭りとか 夏祭りとか お盆の行事とか 秋のお祭りだとか ごく限られた一部分の行事が残っているのはほとんどである ところがこの神島ときたら 正月の行事から 最後の暮れの行事まで一貫して すべてが揃っているのだから 驚きであろう 離島であったことも幸いしたのかも知れない 一般庶民の普段の暮らし向きはこうであったに違いないと思わせる重要な手掛かりが幾つもあって 民俗学を目指す人には 研究対象としては絶好の島になろう かの有名なのは『潮騒』だけではないのである

 神島は 名古屋や大阪から賢島行きの近鉄に乗り 鳥羽で降り 目の前の港・佐田浜港から 小さな船で渡船する 伊勢湾の入り口 伊良子水道の直ぐそばにある 約五十分 神島到着であるが 海の荒れた日は船は出ない すべて小久保性で ほとんど屋号か名前だけで呼び合う いつもは豊富な漁場でもあるので 釣り人に人気があるスポットであるが 最近は一泊掛けで 鳥羽~神島カヌー大会などもあるようだ 人工は六百人足らずであり 家族の和が最も尊ばれている 隠居なりのお祝いをやった老人しか杖はもってはならない 青年はネヤと呼ばれる番所で 共同生活をしなければならない いざ海難事故や火事などに備えて 常駐している為である あれこれ厳しい掟があって 海の守り神である八代神社の信仰を中心にし 習俗・習慣が最も大切にされている


    <年中行事詳細>

 12月13日 正月始め 赤飯・白飯を神様にお供えして 正月始めを祝う
 12月20日 餅つき 先ず寺の餅をつく 一般ではこれが終わらないとつけない
 12月28日 門松迎え 青年が山で松の枝を取り 各セコに分ける 宮餅爺など大きな松
 12月31日 豆まき 大晦日の夜 宮持ちの家から 一斉に豆まきをする
 12月31日 モローモ配り 蜜柑の上に乗った昆布のモローモを配り歩く 上げ方受取り方がある
 12月31日~1日 ゲーター祭り ぐみの枝で輪を作り出す それを日輪とし 篠竹だけで若者が
          天高く 輪を持ち上げる ゲーターとは迎旦との説があるが 分からない
          ゲーター祭りの一環として
         (アワ・サバ作り)~(アワ・サバとり)~(ヒナタノ祭り)などが目白押しとある
 1月1日 わかど水と波切不動開帳 年男が共同水道で 潔斎し 一番の水を汲む それで
          最初の御飯を炊く わかど水の男には声を掛けてはならない 海難事故を防いで
          くれる霊験あらたかな波切不動は 同時刻大峰山の修験者か身内で開帳される
 1月2日 船祭り 漁船の人達が八代神社に大漁祈願をする 巫女による浦安の舞の奉納
 1月2日 磯祭り アワビの豊漁を祈願する海女達が 海神さまに祈祷し お祝いをする
 1月2日 チョンナ初め 島の大工・左官などがチョンナを使う真似の儀式をし 無事息災を願う
 1月3日 三日月さん お椀に12粒の小豆を入れ 三日月さんと呼び 家長から順に 生の小
          豆一粒ずつ飲み込む 悪霊退散のおまじないで 終わるまで生臭物は口にしない
 1月4日 獅子舞と万歳 潔斎風呂を浴びた青年が獅子舞を舞う 歌謡に見るべきものあり
          漁業組合から周り 順番があるが 順次悪魔祓いをする その後万歳に移り寿ぐ
 1月4日 年祝い 米寿・喜寿・還暦の者達が紅い半纏を着て お祝いを受ける 終わった者は
          杖を持つことが赦される 八代神社やお寺でヤンヤの歌や囃子で賑やかだ
 1月5日 牛王宝印と里おり 氏神の爺と口米の爺が薬師堂に籠もって おまじないをする
 1月6日 八幡祭り(六日祭り) 宮持とお礼参りの爺を含めた12人の道者が 大松明を持って
          八代神社に詣でる 道者は災厄のあった者がなることが多い
 1月6日 サバ釣り ゲーター祭りで アワを天高く持ち上げた若者で サバを釣る真似をし 家内
          安全 大漁を祈願する
 1月7日 七草 この日より漁が始まるので 4時半から ナズナを七草に見立て まじないを言い
          ながら七草を一家の主人が叩く それを小皿に上げて神棚に供える 残ったナズ
          ナで 七草粥を作り食べる 息災を祈願する
 1月10日 金毘羅さん 金毘羅さんの掛け軸にお供えをして おひねりなどを人々に投げる
 1月11日 八代神社例大祭 島民全員が仕事を休み 船に大漁旗を掲げ 氏神さまへ祈り
          上の座・下の座・別火の座と分かれて宴会をする
 1月11日~12日 伊勢代参 伊勢代参詣での出船の杯事を行う この時歌われる内宮・外
          宮へ捧げる歌はなかなかの古謡である 一泊二日の日程で 宮持爺中心にして
          厄を持つ者も 島民全員の付託を受けて代参する
 1月14日 モーチの粥 白御飯の上に餅を乗せて炊いたものをお供えし その後家中で食べる
 1月15・16日 お日待 15日夜 御飯・なます・野菜・菓子などをお供えし 16日明け方
          家族全員で お日さまを拝む
 1月18日 大漁祈願 漁協と組合で創られた絵馬が八代神社に奉納される 薬師堂や弁天
          社でも 同じ大漁祈願がされる 浜の祝いとも言う
 1月18日 青峯山へお参り 磯部町にある青峯山正福寺は志摩の守り神である 漁協はお参 
          りに 運搬船の人々はお籠もりに行く 青峯山は志摩で一番高い山である
 1月20日 エビス講 エビスさまは各家にある 稼ぎ始めで この日正月飾りをすべて取る 鮑の
          一対に御飯を入れて供える 翌日戸主はそれを少々頂く
 1月21日 太子講 大工・左官の神は聖徳太子であり 当番の家では掛け軸を掛け お参りを
          する 22日へ掛けて 杯ごとが始まる
 2月初午 絵馬上げと日待 男女の本厄の者は夜中12時を過ぎると 八代神社に絵馬を奉
          納に行く 神社に行く途中人に逢っても口を利いてはならない 賽銭は後ろに投
          げる 絵馬はすべて自分で描いたものである
 3月3日 桃節句 桃の花をおみきすずに挿し 家族全員でお神酒を飲み お赤飯と5品もしく
          は7品のご馳走を食べる ヨモギ餅も作り 神・持ち船・海・庚申にも供える
 3月10日 金毘羅さん 漁協の宿元で 金毘羅宮の掛け軸を掲げ お祝いをする 海上安全
          大漁祈願をして 上から下へ下から上へ二回お酒が廻される 鳥羽にある金毘
          羅宮より頂いて来た御札を各自に配る 1月の精進とは違い 大宴会となる
 旧3月25日 嘆仏 寛政12年3月25日に 神島の漁船は大風によって 121名が死んだ
          殆どが若い働き手であった為に 尾張や津から養子を貰い受け 跡を継いだ 寺
          で各家の戸主が参列して供養を行われる 隠居なりをした爺は百万遍をする
 4月8日 卯月八日 子供達はお寺で貰った甘茶を擦って 墨を作り字を書く 家々では山から
          取って来た躑躅(つつじ)の枝を外から刺す 虫除けのおまじないである
 5月5日 菖蒲あげ 菖蒲にヨモギ・茅・イタドリを一緒にし これらを先のある藁で巻いた菖蒲の
          束を12本作り 神棚・エビス棚・海神・船霊・庚申などにお供えする 菖蒲を指
          したおみきすずのおみきを頂き 赤飯を食べ 菖蒲湯に入り祝う
 5月28日 オケゾコ 宮持の奥さんが海草(ワカメ・アラメ・天草)がよく採れるように祈る行事
 6月11日 ゴクアゲ 鮑の豊漁を祈る行事 宮持は島のすべての船にインキモモ(青い実がなる)
          の枝を刺して廻る 島には榊がないので これに代わる 厳粛な儀式が続く
 旧6月16日~17日 ゴサイ 海女の日待 海女の人達の集まりである磯辺講の女性は伊雑
          宮や青峯山に 安全祈願しに行く 今は完全なリクリエーションになっている
 7月15日 天王祭 天王さまは悪病祓いの神である 名古屋の津島神社の代参とか 夕方浜
          へ三々五々提灯を持って集まり 神社に詣でる 赤飯を炊いてお祝いをする
 8月1日 <お盆の始まり> 七夕 早朝四時半に南の山から 竹を三本取って来て 飾り付け
          をする 短冊には「ぼんこいぼんこいせみがなく」と書かれている それにこの日から
          夕方になると 竹に吊るしてある提灯に灯が点され 六日まで続く
 8月7日 ナヌカビ 午後五時半オショロ船の迎え船である笹船作りが始まる 竹の先が着いたま
          ま笹の葉を船に作り 合歓の木を差し込む 竹三本と合歓の木は女性が朝五時
          に 裏山から刈り取って来る 12杯の笹船(閏年は13杯)を作り 提灯を着けた
          まま七夕竹を一緒にし乗せる 女性や子供達が「ご先祖さま みんな仲良く乗っ
          といで」と言いながら流す 祈りの一瞬だ 合歓の木は櫓(船をこぐロ)である
 8月10日 桂光院での施餓鬼 村の寺桂光院で 村全体の仏の供養として隠居衆や梅花講
          の人々が参集して お経をあげる 終わると和尚から 茅に二色の短冊をつけた
          セガキバタを各家に贈られる 家々ではこれを仏壇に飾る ハタには「南無十方
          仏」と書いてある
 8月12日 薬師堂での施餓鬼 海難で不慮の死を遂げた人を弔うのに 隠居衆が施餓鬼する
 8月13日 仏壇飾り・迎え火 初盆の家では7日かた吊るしてある軒提灯を 一般ではこの日
          から玄関の中に吊るす 仏壇には しょうろござ(精霊茣蓙)を敷き 茄子の迎え
          馬・麻の芯にソーメンを巻いたソーメン杖・果物・施餓鬼旗・組団子などが飾られ 
          る 組団子は13組とか15組の奇数である 先祖は一年分をこの三日間で食べ
          ると言われてる 従って女性は毎日三度三度の食事を お盆中にあげるのだ
 8月13・14日 演芸大会 賑やかに騒いで 先祖とともに楽しむと言われ 八代神社の広場に
          舞台を作って みんなで演芸会を楽しむ 隠居なりの爺が顔を揃え 女性は切っ
          たスイカなどを配り 夜8時から12時過ぎるまで 飽きることなく続けられる
 8月14日 墓参り・ハッポーデン 早朝より寺から御詠歌が島中に流れ 嫌が上でも盆の雰囲
          気が盛り上がる 絽の和服に威儀を正した一家の主人が墓参りに出向く 親戚
          が多い家は 百軒は廻ろうか 梅花講(念仏講)の婆さん達は初盆のお宅を年長
          順に回る 黒服に身を包んだ人達が島中を行き交う 正午になると家族で墓参
          りをする 夜になるとハッポーデンが行われる 寄せ太鼓が鳴り 隠居衆が威儀を
          正して来る 茶屋と言う二間四方の場所で 杯事の準備をしている 初盆の牡丹
          灯籠を持った家のものが親戚の先頭を立って登場する 杯事が始まり 隠居衆
          が 島民の中央に進む すると太鼓の音とともに ハッポーデンの歌が流れる これ
          は新盆の人々の供養の手助けになろう 隠居衆がハッポーデンを歌うのである 
 8月15日 大施餓鬼・精霊送り 早朝から 寺では大掛かりな供養が始まる 村全体に対して
          である初盆から年忌へと供養が続く この施餓鬼で頂くハタに五色刷りの短冊が
          着いている 「南無広博身如来」「南無離恐畏如来」などと書いてある 施餓鬼
          が終わると このハタをお墓に供えに行く 昼頃から各家でお供え物を下ろし 墓
          へ新たにお供えをし しきびを焚き 一家をあげてお参りする どの墓でも無事ご
          先祖さまが帰られるように 茄子の馬とソーメン棚がある そして夜になり送り火を
          焚く 夜遅ければ遅いほどいいとされ 11時半から12時過ぎまでがピークである
          それからしきびやお供え物を浜に出て 海へ流すのだ
 8月16日 浜施餓鬼・灯籠送り・三文講 16日になったばかりの頃 浜施餓鬼が 隠居衆で
          ひっそりと行われる その日の夜桂光院で灯籠送りが行われる 主に初盆の家の
          供養事である 御詠歌や和尚の読経など厳粛なものである この前五時には三 
          文講と言って 十三仏を祭るお念仏が念仏衆と隠居衆で行われる
 8月17日 餓鬼の棚焼き 夜中の2時過ぎに 女性達が六地蔵や無縁仏のしきびやジン木
          などをうず高く積み上げて燃やす その後男子青年団も加わり 太鼓を叩きなが
          ら 歌ったり踊ったりする 餓鬼の棚焼きで歌われる歌や浜踊りの歌は古謡として
          現在も残っているが 今は歌謡曲で済ませているようである しみじみしたいい歌だ
 8月15・16日 盆踊り 浜に櫓を組み 青年団主催で盆踊りが行われる 以前の盆踊りは山
          踊りと称して 吉野の大峰山に代参に行く歌が中心であったが 今ではフォークダ
          ンスに代わってしまった 時代であろうか 山踊りの古謡も素晴らしいのであるが
 8月18・19日 ウラサマ(海神祭り) 宮持夫婦と海女が くじ引きで 神様のご機嫌伺いをす
          るお祭り 海女は白装束で海で禊をして 宮持宅で杯事をしてから行く
 8月20日 ウラ盆・百万遍 この日はウラ盆と言って 朝仏さまに組団子や掴み団子をお供えす
          る 夕方四時から百万遍が始まる 大きな数珠を手に 鉦を合図に各家から各
          セコの浜へ集まって来る 隠居衆が集まって来た人の悪いところに 数珠を当てて
          疫祓いをする
 9月9日 菊節句 菊の花を浮かべたお神酒・赤飯・なますを神棚へ供え 家中でそれを頂く
 11月24日 ダイシコ 弘法大師をお祭りする行事 台所・エビス棚・神棚・仏壇にお供えし
         その後船霊・海・庚申さまへ赤飯を供えお神酒を注ぐ 夕飯に家族で赤飯を食す 
 庚申の日 2ヶ月に一度 庚申 庚申組は全部で七組に分かれている 宿元は順番で行われ
         宿元では庚申に掛け軸を掛け 握り御飯に餡を乗せたものを供える 当日の晩に
         各家の代表者が宿元へ集まり 般若心経を唱える
 12月1日 すすきはき祝い 松の枝を山から取って来て 三本の小枝を三箇所で束ね一本とし
         一本は神棚 一本は大ズスと言ってお釜様に 後の一本は部屋のあちこちを掃く
         ススを掃く時は蓑笠を被ってする すすはきは12月2日から6日までとし 遅くとも
         8日の事納めまでは済ませておく
 12月8日 コトオサメ コトオサメ或いはオクリガミと言って 島民の一年分の災厄を ヤリマショ船
         に乗せて祓い流す 隠居衆・宮持・口米の爺・ニノハンなどが薬師堂に集まって ヤ
         リマショ船を作り出す 長さ2㍍ 巾50㌢の小さな船で 木と竹の枠組みに 茅の 
         葉を編んで作る 船の先端に紅いシデを着け 中央に紙の白帆を立て その後ろに
         牛頭天王(ごずてんのう)と書いた紅い幟を立てる 船には船頭と書いた顔の絵を描
         き 人形を7つ作る 宮持とニノハンのいる家の若い衆が それを持って島中を廻る 
         待っていた島民は 各自の身体をなすりつけた茅の葉三枚と一掴みのお米を船に
         乗せる 一旦外に出たら 船にそれらを乗せるまで家には入れない 持って来た茅を
         一本たりとも落とすなと言いながら 茅やお米で山盛りになった船を 晴天の日はカ
         ミンジマから流し 風の強い日はウラ浜から流す 「ヤリマショ ヤリマショ イズモノクニ
         ニオオヤシロ」と 鉦や太鼓を鳴らしながら 囃し立て 家々の一年分の災厄を見事
         に流してしまう
 12月11日 当渡し それまでの宮持から 新しい年になる宮持へ 氏神箱が渡される儀式であ
         る 氏神箱には綿津見大神の軸が納められている 渡し終えた後 隠居衆・組合
         長・幹事・新年度の宮持が呼ばれ 古い宮持の家で大宴会となる
 12月25日 カイサイ カイサイとは漁業組合の会計整理と決算のことである 決算が済むと 口
         米の爺が新しい口米の爺に マンドゥサン(お札箱)を引き渡す 終わると 古い口
         米の家では 新しい口米の爺と漁業組合長と組合役員を接待して すべてが終了
         する   

 どうですか こんなに多くの民俗行事が 今もってやられているんです あの『潮騒』には こんな島の生活の状況が隠されているのです 島中にいる人は子供時分から見て そうして大きくなって行き 生活全般を支え 人生をも左右しています 信仰心は自然に植えつけられ 喧嘩・騒擾ごとがないばかりか 島民の皆さんが仲良く暮らしているのです 窮屈だなぁと思っている方は 都会の人なのでしょう これが激しい潮の流れの伊良子水道で 漁業を中心に営まれて来た島民の智恵とでも言いましょうか こう言った社会の仕組み自体が こんな軽薄な時代に 明らかな一石を投じていないだろうか 謙虚に勉強したいものです そして多分多くの方々に 幼児殺人事件とか JRの脱線事故とか マンションの強度偽造事件などでトラウマになっておられませんか 来年こそ 良い年になりますように 真摯に祈り せめてヤリマショ船とともに 今年の災厄を流してみましょう 




   表題の口絵の写真は 写真家の森武史氏の写真をお借り致しました 
   場面は宮持夫婦の写真です 背景にあるのが ゲーター祭りで使われる
   アワと言うグミの枝で作られた日輪です この記事は5年間この島に私が
   通って年中行事の記録を調べた結果です 簡単ではありますが 掲載し
   再出発の船出と致しましょう                   (櫻灯路)
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ブログ櫻灯路より