おせんの写真でこんにちは -261ページ目

文武学校 2

今日は冬至。夜が一番長い今日はゆず湯に入り、フィギュアスケート全日本選手権のテレビ観戦を楽しみます。

 
柔術所 中央に板間の道場を設け、かねの手に幅一間の床が一段高く設けられている。
(現在、柔道は世界でも通じる言葉ですがいつから柔術か柔道になったのかしら?)

 

 
 
   弓術所と的場 
 開校当初は、5流10人の師範が教授したといわれる。
実際にやってる方がいました。そういえば、小諸城(懐古園)でも弓を引いている人がいました。 

 

 
 
  
  
  

文武学校 1

今年、高遠の藩校進徳館・足利学校にも行きましたが、こちらの学校は広く、武道の施設が充実した学校だと思いました。

藩士の子弟の学問・武芸を奨励するため、8代藩主・真田幸貫は松代藩士・佐久間象山らの意見を受けて、蘭学・西洋砲術などを積極的に取り入れた藩校としての文武学校の建設を目指す。
9代藩主・真田幸教はその志を受け継ぎ、1853年には建物が完成し、1855年に開校。

 

文武学校正面

 

剣術所


 
小屋組み  太い棟木、垂木などを組み合わせ、屋根を支える。

 

武家屋敷(旧樋口家住宅)

今日は寒い一日でした。
初雪は気象台のある地面に降らないと発表されないとのことですが、今日昼過ぎ、我が家の辺りではちょっとの間でしたが雪が降りました。


松代城のすぐ東南に位置し、城の正面口にあたる大御門(大手門)や新御殿(真田邸)に近いこの界隈は、上級武士が多く住む武家屋敷町でした。
樋口家はその中でも中心的な位置にあり、藩の目付役なども務めた家柄です
主屋、土蔵、長屋、屋敷神の祠、表門、土塀、板塀が修景・復元されています。
主屋、土蔵、長屋の3棟が長野市の文化財(建造物)に指定されています

 

 
表門

 

 

 
玄関

 

小屋造りの邸内

 
8月 百日紅の花が綺麗に咲いていました