おせんの写真でこんにちは -203ページ目

北海道開拓村11

 今日は母の従兄弟の葬儀に参列してきました。
私が参列した葬儀は最近は、入り口に故人の思い出の物が飾られ、音楽が流れ(生演奏だったりも)思い出の気持ちたっぷりのナレーションが語られるようなことが多かったと記憶しています。
今日は桐ケ谷斎場で営まわれましたが、音楽も、司会はごく簡単にとてもシンプルで友人の方に一人弔辞を読んでいただきました。
私は今日の様なシンプルな葬儀がいいなと思い帰ってきました。

開拓の村は今日で最後に。(だらだらと長いのにお付き合いくださりありがとうございます)

歩きながら撮ったもので何の建物かは・・・?









何処の建物かこちらも?
障子の桟がとても凝っていてきれいです

クルミの実だそうです
秋になるとりすが頬張りに来るとの事です。

北海道開拓村10

今日も秋の気温となりましたが来週からはまた30℃超えになるよう・・体がついていけないです

旧田村家北誠館蚕種製造所
絹(いと)の原料となる蚕の卵(蚕種)をとる建物で、当時模範とされていた東京農業蚕産業試験場の蚕室を参考に、明治34~38年にかけて建築したも)の原料になる蚕の卵(蚕種)をとる建物で、浦臼村養蚕伝習所教師であった田村忠誠が、当時模範とされた東京蚕業試験場の蚕室を参考に、明治34年(1901)から同38年にかけて建築したものである。ここでは蚕種の製造販売を行うかたわら、多くの養蚕技術者を養成した。

中に入ると「あらっ?」

旧田村家北誠館蚕種製造所




蚕棚 絹(糸)の原料になる蚕の卵(蚕種)をとる建物で、浦臼村養蚕伝習所教師であった田村忠誠が、当時模範とされた東京蚕業試験場の蚕室を参考に、明治34年(1901)から同38年にかけて建築したものである。ここでは蚕種の製造販売を行うかたわら、多くの養蚕技術者を養成した。

ちらっと眼を向けるとなんだか動く物が
孵化から3日後位の1齢(これから脱皮を繰り返していくそうです)

そういえば・・小学校の頃箱で蚕を飼い、学校に桑の葉を持って行ったような?遠い記憶で定かではありません

旧田村家北誠館蚕種製造所



大きく写そうとしましたがボケボケでごめんなさい


考に、明治34年(1901)から同38年にかけて建築したものである。ここでは蚕種の製造販売を行うかたわら、多くの養蚕技術者を養成した。
旧田村家北誠館蚕種製造所

 絹(糸)の原料になる蚕の卵(蚕種)をとる建物で、浦臼村養蚕伝習所教師であった田村忠誠が、当時模範とされた東京蚕



外にはジャガイモの花がきれいでした

業試験場の蚕室を参考に、明治34年(1901)から同38年にかけて建築したものである。ここでは蚕種の製造販売を行うかたわら、多くの

養蚕技術者を養成した。

北海道開拓村 9

また家を空けていましてほんとに落ち着かない8月です。
昨日の静岡は朝から掃除をしていると汗がでて困りましたが、鎌ヶ谷に戻って来るととても涼しく、今日もひんやりとした一日を過ごせて幸せでした。

夏の日のことは秋が来る前に終わりたいのですが・・・(ちょっと無理そう

旧青山家漁家住宅
小樽沿岸を中心に鰊建網などを経営した漁家
建網経営には番屋をはじめ網倉、船倉のほか海産干場、船入澗などの多くの施設、設備を必要とした。

鰊御殿・番屋と言うのは耳にしていましたが初めて見ました。
鰊は沢山とって食用として富を得ていたのだと思っていましたが、ガイドさんから搾りかすを醗酵、乾燥させたものを鰊粕として肥料を作り富を得たと教えていただきました。



小屋組は様式の工法も取り入れられている





ななかまどでしょうか・・