気仙沼れぽーと1
私は小3の11月から小6の4月末までの約2年6カ月を宮城県気仙沼市(気仙沼小学校)で過ごしました。
一人の同級生と年賀状のやりとりで、気仙沼と細い糸で繋がっていました。
去年の3月11日の大震災。
どうなっているかわからず、いつか届くだろうと望みながら、すぐに安否の手紙を書きました。
暫らくして私の郵便も届けられ友人から電話がきて「自分の家は大丈夫だった、地震の揺れが収まって高台に避難した」と言ってました。
それから細かったつながりがだんだんと強くなり、他の同級生の安否をきいたり連絡をとりあったりして
今回(11月23日から25日)気仙沼に行ってきました。
もう瓦礫も片づけられ、ここまで復興は進んだと見るのか、まだまだと見るのか・・・・
時折報道される気仙沼。
魚市場が再開された、製氷工場ができたというニュースに喜んでいましたが・・・
一部を切り取った写真では伝えられない事を実感してきた私がその切り取った写真をUPしてもいいものかと思いますが
まだまだ。そこに住んでいる人達は毎日みる現状。
私は忘れてはいけないという思いをUPさせていただこうと思います。
40数年ぶりに登った安波山の頂上からみた気仙沼の街
建物がない!



