快晴ですが今日も計画停電はなし。このままがんばってほしいものです。



きのうは拉致被害者家族の横田夫妻講演会に行ってきました。



拉致問題にずっと関心を持ち続けているわけでない私が何か物申す、みたいなことはおこがましいのだけど、このブログを訪れてくださる方が今日思いをはせてくれるだけでも…と思い書くことにしました。

1997年の家族会発足以来、講演を続けられ、2006年には1000回を超えたという記事を見ました。人口3万人しかいない大分でもド田舎の国東市に、数年前にも講演に来てくださっています。全国津々浦々、どれだけ足を運ばれてきたことか、それだけしても何も解決していないと思うと、国として国民として自慢できないその回数には、怒りを感じます。

ご夫妻がそれでも講演を続けているのは、国民に忘れて欲しくない、関心をもっていてほしいという願いですよね。

横田めぐみさんは1977年、13歳で拉致されて35年目。今年48歳になります。

めぐみさんと同い年の私は、11歳のとき学校の帰り道で車に無理やり乗せられたことがありました。「私があのときから今日まで家に帰れなかったら…」とつい思ってしまいます。
あのとき、これからどうなるんだろうと恐怖におびえながら、「どんな目にあったとしても、最低でも必ず生きて帰る。絶対にお父さんお母さんのところに帰るんだ」と決意して、生きて帰るためにはどうすればいいか…と必死で考えました(その後無事に逃げ帰れました)。
めぐみさんがどれだけ家に帰りたかったか。自分を探すはずの親をどれだけ心配したか。
ほんの少しはわかる気がするから、絶対に許せない。

講演は朝日放送プロデューサー・ジャーナリストの石高健次が主に話され、後半で夫妻とのパネルディスカッションがありました。

石高氏は1995年に「闇の波濤から」というドキュメンタリー番組で、拉致した日本人になりすました工作員金吉旭を直撃、金は泣き崩れて拉致を認め謝罪、初めて報道で北朝鮮による拉致をとりあげました。それでも眉唾ものとされ放送は黙殺されてしまいます。

そんななかで朝日新聞出版局員から事実なら本にしないかと連絡があり、「誰も関心をもっていないから売れませんよ」と言ったところ、編集者は「事実なら本にして訴えるべきだ。売れなくても記録として残さなければならない」と言ってくれたそうです。
そこで本業のかたわら休日を使って自腹で韓国や日本の地方を取材し、1996年『金正日の拉致指令』という本を出版します。
その取材過程で少女が拉致されたこと、その少女が横田めぐみさんであることをつきとめていきました。

「売れなくても本にするべきだ」

バブルも崩壊した1995年、こういう姿勢で本をつくっていることは出版社で編集の仕事をしていた私には頭が下がりまくってブラジルに突き抜けそうです。
シリーズもので、売れなくなったけれどやめるにやめられない、売れなくても本にするしかないか…ということはあっても、売れないとわかっている新刊を出すなんてことは会社は認めてくれない。でも認めてくれないに決まってると、最初から考えもしなかったのが本当です。

横田夫妻はパネルディスカッションや新刊『めぐみへの遺言』のなかで、パフォーマンスばかりの政治家に失望しています。石高氏も旧新進党の院内総会で話していた横田夫妻にある議員から「横田さん、がんばって~」と声がかかったり、「いよっ!」とかけ声があったことを、「がんばるのはお前だ!」と憤っていました。

自分の利益にならなければ、政治家は動かない。

「気概のある政治家はいないのか…」なんて言葉がここにあてはまるのかはわかりません。

もっと切迫したもの。いま目前で人が溺れていたら、手を伸ばさない人はいないはずだ、それなのに、その気持ちが感じられない。早紀江さんはそう嘆いていました。
滋さんは、外国に比べ日本の対応が鈍いのは、人権に関する意識の差だろうと言っていました。

いくら頼んでも、石高氏によればいまはまったく、水面下でも拉致問題解決への動きはないとのこと。
橋下徹くらいズバッとした政治家なら、望みもあるだろうけど…。
横田滋さんは「制裁といっても、朝鮮学校への補助金をやめるのは筋違い」と言っていました。橋下さんの名前は出しませんでしたが。
それでも、間違った方向であろうと、具体的に何か始めている人なら議論のしがいがあるというものです。
口だけ、パフォーマンスだけは、何につけむなしいですよね。

私に何ができるのか…と思うけれど、横田さんは「関心を持っていてくれればそれが世論になっていく」と言ってくれています。
具体的に何かできるなら、それが一番ですが、今日、思いをはせること、祈ること。
ほんの少し、それを信じてみました。