【人をおとしめて自分を高く見せる人— 歌手、心理カウンセラーとして思うこと】
先日、とてもつらい出来事がありました。
ある歌会にゲストとして招かれ、心をこめて歌を届けました。
お客様はあたたかく迎えてくださり、笑顔で「素晴らしい」「いい曲ね」と声をかけてくださいました。
ところが、歌い終わった直後、その会の主催者の方から、お客様の前で、突然の私への“ダメ出し”が続いたのです。
「入り方がいけない」
「カバーよりオリジナルをもっと歌うべき」
「ロングトーンは大きなステージでやるもの」
「顔に似合わないトークをするな」
そして極めつけは、
「僕はたくさん、ライブ場所を知ってるが、これではあなたを他へ紹介する気になれない!」という始末。
この会の主催者は、私がお客様と歌を楽しんでいる間中、後ろの方で、何をいってやろうかと、ダメ出しすることを考えていたんだと思いました。
人を貶めて、お客様の前で、自分はさも偉い人のように、見せるわけです。
それまで賑わっていた会場の空気が一瞬で変わりました。
お客様たちを嫌な気持ちにさせたくなくて、私は笑顔を保ちました。
何人かのお客様は、そのダメ出しを聞いていられず、途中で席を次々に立たれました。 (これは、あとで聞いた話です)
お客様が次々に出ていかれる様子を見ながら、私はとても悲しかった。。。
15年やってきて、はじめてこういう会の主催者に出会いました。
残ってくださった方々に感謝しながら、私は、今一度、新曲を歌いながら、一人ひとりに握手をして回りました。
実は、私は12年前に突然発症した自己免疫疾患によって、コロナ禍のワクチン接種以降、急激に炎症数値が上がり、ただいま、両手の指の関節破壊が進行中なのです。
それで、握手をするのもかなりの痛みを伴います。
それでも、お客様と握手をするときは、みなさんが喜んでくださるので、不思議と痛みが消えます。
「いい曲ね」「この歌、練習して唄いたいわ」――その言葉が、痛み止めよりもずっと効くのです。
この日も、お客様には、とても救われました。ありがたいと思います。
だからこそ、帰り道の悔しさは、怒りとなり、簡単にはおさまりませんでした。
【オリジナル曲『ずっと愛してる』】には、私の思い出も、夢も、支えてくれた人たちの祈りも、全部つまっています。
あのロングトーンは、この曲の魂です。
「大きなステージでやるべき」と言われましたが、
どんな場所でも、聴く人の心に届けば、それが私のステージです。
この歌を愛してくださるお客様も多く、「これからも歌い続けてください」と励ましてくださいます。
しかも、この日も、いつも唄ってますよと、お客様には、お声もかけていただきました。
だから私は、この歌を、そして自分を信じて、これからも歌い続けます。
新曲についても、わざわざ同じ題名の曲がありますと紹介し、「こちらは男性が唄っていて、こちら、いい曲なので、聞いてください」と紹介したんです。
帰宅後、お店のママさんからお詫びのメールをいただきました。
ママさんとお客様には心から感謝しています。
その上で、あの方のことについては、言葉を選びながら、私の気持ちをきちんと、ママには伝えました。
少し時間が経過してから、
歌手としてではなく、心理カウンセラーとして、この件、冷静に考えてみました。
アドラー心理学では、
人前で他人をおとしめる行為は、
「自分を立派に見せたい」「注目を集めたい」という強い欲求を抱えているといわれています。
誰かを下げないと、自分の存在を保てない――そんな悲しい心の持ち主。
けれど、その行為こそ、自分をかえって下げてしまう。
それが、わかっていないのですから、
こちらが、悔しくて怒りを覚えたことは、エネルギーを消耗し、無駄でした。
本当の“格”は、人を傷つけることで得られるものではありません。
人の光を奪うのではなく、その光を一緒に輝かせられる人でありたい。
そのことを、私は改めて感じました。
もし、今これを読んでいるあなたが、誰かに見下されて傷ついたことがあるなら、どうか思い出してください。
そんな人の言葉に、あなたのエネルギーを吸い取られる必要はありません。
そんな人の言葉に傷つくのは、向こうの思う壺。あなたには興味がありませんと無視してください。悲しむのも、怒るのも、こちらのエネルギーが消耗するだけです。
歌手として思うこと、
歌は、人の心を照らすためにある。
人を傷つけるためにあるのではありません。
私の歌が、誰かの心の灯になれるように。
そして、同じように頑張る人たちの癒しや励ましになりますように。
そう思いながら、これからも私は、唄い続けます。