今の小学生の姿でしょうか?...「ハガネの女」を観て
今日、久しぶりにTVドラマを観ました。
「ハガネの女 」です。
観て、隔世の感がありました。
私が知る(観ていた)小学生が主人公のドラマは「熱中時代 」です。
「ハガネの女」と「熱中時代」、“多様な子どもたち”と“アツイ先生”の構図は同じですが、時代を反映(!?)しているためか、内容は大きく異なっています。
モデルを目指す小学生!
ダイエットする小学生!
モンスターペアレント!
スクールカウンセラー!
いずれも、私の時代や「熱中時代」の中にはなかったものです。
この「ハガネの女」を観て私が思ったのは、『このドラマは今の小学生の姿を反映しているのか?』ということです。
多かれ少なかれ、製作されるドラマや映画などの娯楽作品は、時代性を投影していると言われます。
であるならば、このドラマもそうであり、登場人物・出来事はまるっきりのノンフィクションではないと言えます。
そう思うと、私は、今の子どもたちに同情をしてしまいます。『たいへんな環境で小学生をしているな』と。
私の小学生時代(福島県二本松市)は“子どもの世界”と“大人の世界”がありました。
たとえばケンカ。
子ども同士がケンカ(もちろん一対一)をしてケガをしても、先生や近所の大人が出てきて、手打ちは「喧嘩両成敗、恨みっこ無しよ」でした。
当時は、子どもの中で起こったことは、子ども同士の中で終わらせるか、極力小さな範囲で事態を収束させていました。
“子どもの世界”と“大人の世界”は区別され、違った秩序やルールがありました。
子どもは、自分たちが必ず身を置くであろう、まだ見ぬ“大人の世界”に興味を持ち、知りたいと思い、憧れを抱きます。そして、背伸びをしたり、その世界に一日での早く足を一歩踏み入れるための努力をしたりしていました。
子どもと大人が自然と適度に隔てられていたために、子どもたちは自分たちの世界で無邪気に行動し「心・知・体」を育み、成長していったのです。
しかし、このドラマから見えてきたのは、“子どもの世界”の喪失、“大人の世界”に子どもたちを無理やり適合させてしまう非条理でした。子どもたちは“大人の世界”に足を踏み入れ、その現実を知ってしまいます。「心・知・体」が未熟なまま、“大人の世界”に身を置かなければならないのです。
これは、“たいへんな環境”です。子どもには酷な世界だと思います。
一方では、この環境は子どもたちに良いという意見もあるかもしれませんが、私はそうは思いません。
子どもたちには、一定期間、守られるべき時間が必要です。その“守られるべき時間”で自分を、自我を築く必要があります。何から守られるべきか? それは一般社会=“大人の世界”です。
自分が何に喜び、怒り、悲しみ、楽しい思いをするのかを知る。自分が心地よいと思うのは、モノを作る事なのか、人に接する事なのか、人の上に立つ事なのか、人に従う事なのかを知る。もちろん、当時はその意識は無いかもしれません。しかし、“守られている”環境下で感じた事は、人間の深みに刻みこまれるものだと私は考えています。
この“自分を知る作業”は“大人の世界”では困難です。“守られた”世界で知り、自分を作り上げてゆくべきものです。
今の社会は、大人でも多くの困難があります。だからこそ、大人は意識的に、強い気持ちを持って“子どもの世界”を作る必要があります。大人の都合を押し付けないが、過度に甘やかすものではない、適度な緊張感と緩さを持った“世界”です。
私は、この“世界”でタフな心根を持った子どもが育ち、大人の世界へと巣立つものと考えています。
そして、この“タフな子どもたち”は次世代の、地域、国家、世界を支え良くしてゆくと確信しています。