今年の「みたままつり」には、露天の出店を見合わすことを靖国神社が決定しましたね。


理由は、近年「みたままつり」は「ナンパまつり」と化しており、集う若者たちの不謹慎な行動が

目にあまるからとのこと。

事務所から近いので毎年参拝に行っているのですが、正直、違和感はありました。


本来の主旨は『英霊を慰める祭儀』


とはいえ、茶髪ロンゲにピアスの兄ちゃんたちが浴衣を着崩しながら

遊就館に展示されているゼロ戦の前で「マジカッケェー!」と言いながら

ピースサインで写真を撮る姿は、それはそれとして微笑ましく見ていたものでした.

少なくとも関心を持ったということですからね、たとえ主旨を理解していないとしても。


戦前・戦中・戦後からの日本の近代史って、学校の授業で飛ばされるんですよね、

「時間がなくなったから教科書読んどけ」って。

僕の時代もそうでした。

自分で知ろう思い立って、知りにいかなければわからない時代。

そう考えると、若い人たちが「みたままつり」の主旨を知らないのも仕方ないのかも。

私たちオトナの責任も感じます。


今年の「みたままつり」は、静かで厳かな祭儀となることでしょう。

でも、寂しがる英霊たちもいるかもしれませんね。

兵士の多くは二十歳前後で散っていった若者たち。

さぞかし女の子に声も掛けてみたかったろうし、イチャイチャもしてみたかったことでしょう。


毎年、茶髪の兄ちゃんたちと一緒にナンパを楽しんでいたみたまたちもいたかも、、、ね。

映画「あん」を観た。先に原作を読み、映画も必ず見ようと決めていた。


自身弱っている時期なので、泣くことはわかっていた。いや、むしろ思いっきり泣くつもりだった。


終始泣いていた、最後は嗚咽するほどに泣きじゃくった。


主人公の最後の言葉


  私たちはこの世を見るために、聞くために生まれてきた。


  だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ。



そして同時に、以前原作を読み、佐藤浩市さん主演で映画化された「草原の椅子」(宮本輝 著)の


一文が思い起こされた。


  物事には、正しいやり方とそうでないやり方がある。


  正しいやり方をひたすら繰り返していれば、それが自然のうちにできるようになっていく。


  正しいやり方を繰り返しなさい。



うん、わかった、わかったよ。

「完徹」などここ何年もしておらず、たぶん、もう、無理でしょう。。。


睡眠時間が6時間に満たない日が数日続いただけでもシンドイというのに。。。


試合終了時間 午前3時、、、からの就寝、、、7時起床。


ただでさえ小さい目が、今朝はさらに小さくなっております。


が、しかし、体内には脳内には、心地よいカタマリが残っているのです。


2セット連取された時には、正直、「終わったー」と思いました。


そして、3セットの途中でいったん試合が中断した時には、寝てしまおうかとも思いました。


実際、寝てしまった人も多いのではないかと。


でも、錦織選手の辞書には「あきらめ」の「あ」の字もなかったんですね。


奇跡のように映った2セット奪取は、彼の中では奇跡でもなんでもなかった。


恐るべし、体力、精神力、集中力、技術、そして勝負強さ。


悔しい、結果として負けてしまったことは、とても悔しいです。


でも、、、


錦織選手と同じように最後まで勝負をあきらめなかったツォンガ選手もまた素晴らしかった。


おめでとう!