「テロとの戦争」の先に平和はない。 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

「テロとの戦争」の先に平和はない。

「テロとの戦争」ということばが、普通に言われるようになった。
ことばというのは時代とともに変わるものだから、この言い方が駄目だというのではない。ただ、これまでの「戦争」とはことばの意味が違うよ、ということは知っておかなければならない。

つまり、「これまでの戦争」というのは国と国との戦いであったのだ。
だから、敵国の指導者が「負けました。降参です」と言えば、そこで終わりになる。
70年前、日本は降参したわけだが、それゆえ、敵国の作った「ポツダム宣言」を受諾し、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約に日本の代表が署名して、それで許してもらった。
こうして、戦争は終わったわけだ。

ところが、「テロとの戦争」ではそうはいかない。
9.11同時多発テロ攻撃を受けた米国は「テロとの戦争」を掲げ、テロ組織アルカイダの指導者、オサマ・ビン・ラディンを暗殺した。
しかし、それで戦争が終わったわけでもなければ、アルカイダが消滅したわけでもない。
ていうか、イラク戦争を通じてもっと厄介な敵、自称「イスラム国」を産んでしまった。

というわけで、「テロとの戦争」に終わりはない。
だって、講和条約なんかないんだもん。だからそこにはそもそも、勝った負けたの概念すら存在しない。
「イスラム過激派を皆殺しにすれば良い」と言う人もいるかもしれないけれど、それは不可能だよ。殺せば殺すほど、そんな行為を憎む人たちが現れてテロは続く。

つまり、「テロとの戦争」には「勝利」もなければ「終わり」もない。
一度足を踏み入れてしまったら、二度と平和には戻れないのだ。

それが、「以前の戦争」と「テロとの戦争」の決定的な違い。
にもかかわらず、兵士だけでなく一般の人々が犠牲になるという点は、「以前の戦争」と変わらない。

だからもう、「テロとの戦争」とか誇らしげに言うのはやめにしないか、ということだ。

なんで今夜、こんなことを書いたのかというとさ、クリスマスというとジョン・レノンの『Happy Xmas (War Is Over)』を思い出してしまうからさ。

聴け。