「一億総活躍」を気持ち悪いと思うか? 思わないか? | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

「一億総活躍」を気持ち悪いと思うか? 思わないか?

「一億総活躍社会」だってさ。

「自分で『私は活躍している』という人はいない。『活躍』というのは『あの人は活躍している』などというように、他人を『評価』することばだ」
というようなことを、どこで読んだか忘れてしまったけれど、誰かが書いていた。
まったくその通りである。

『活躍』というのは、自己評価ではなく他者評価。
つまり「一億総活躍社会」というのは、全国民に、政府の思惑通りにカネを稼いだり、子どもを教育したり、爺ちゃん婆ちゃんの世話をしたりしてほしい、という話なのである。

この前も安倍晋三君たちは「女性活用」とか言ってさ、「活用」ってその人を「使う側」のことばじゃん。それを指摘されて「活躍」に改めたんじゃなかったっけ?

要するに、本人のことなんかどうでも良いのである。「使う側」がどう「活用」するか、国がその人の「活躍」をどう評価するか。それが大事だというのが、安倍政権のまさに本質である。

前回のブログでも書いたけれど
安倍晋三君にとって「国民」とは、ひとりひとりが人格や尊厳を持つ他者ではなく、十把一絡げなのだろうと僕は思う。かつて左翼セクトが、信奉する思想に基づいて「階級」をひとまとめに「我々」と呼んだのとまるで同じだ。
ということだ。

僕はさあ、「一億総なんとか」というのはほんとうに気持ち悪いと思う。
だいたい「活躍」なんかしたくないのだ。
安倍晋三君に「君は活躍してるね」なんて言われるのは真っ平御免なのはもちろんのこと、誰にも「活躍」なんて思われなくてよいから、好きなことを好きなようにしていたい。

東京大学宇宙線研究所の梶田隆章さんがノーベル物理学賞を受賞した。
彼が行っているのは「基礎研究」である。つまり、「製品化」などの形ですぐに役立つ「応用研究」ではなく、もっともっと基本的なこと、考えの根底を問う研究である。
しかし、基礎研究はなかなか評価されない。「活躍」しているとは見なされないからだ。
梶田さんのように脚光を浴びる人は稀であり、基礎研究に関わる多くの人は暗闇の中で悶々と研究を続けている。

そういう話をすると、「今は大変でもやがて一花咲かせばいいじゃん」という人がいるが、それは間違っている。
10000人のうち9999人は、「一花」なんて咲かないのだ。
それでも、10000人が好きなことを好きなようにやっているからこそ、どこかで一輪の花が咲くのである。

「一花咲かすこと」や「活躍すること」よりも、ずっとずっと価値があるのは「好きなことを好きなようにやること」。

ていうかさ、繰り返しになるけれど「一億総活躍」なんてほんとうに気持ち悪いと僕は思うよ。
「人間には二種類ある」というありきたりの文言を使うぞ。
「『一億総活躍社会』なんて気持ち悪い、と思う人と思わない人」
これは、じつに核心を突いた線引きなのではないかな。

「一億総」にまとめられて喜ぶ人の神経がわからない。
理屈を言えと言われれば如何様にも語るけれど、それ以前に、身体中の毛穴からウジ虫が湧き出てくるような嫌な感じ。