沖縄県知事選 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

沖縄県知事選

有利に闘っているという情報は聞いていたけれど、投票締め切りの午後8時直後にNHKが速報を流したのを始め、テレビ、新聞各社が雪崩を打つように沖縄県知事選での翁長雄志さんの当確を伝えた。
また、翁長さんが那覇市長を辞めて県知事選に立候補したため空席になった那覇市長選も同時に行われたが、ここでも翁長さんと共闘してきた城間みきこさんの当確が出た。

僕は選挙権を持って30年以上になって、この間八割方の選挙では投票に行ったのだったが、僕が投票した候補者の当選というのは覚えている限り一度もない。
この僕が推す候補が当選しないなんて、国も都も目黒区も渋谷区も政治的には糞である、でもまあ政治なんていうのはそもそもその程度のくだらないものだから仕方ないよな、と思っていたのだった。

それでも僕が投票所に足を運ぶのは、このルールで政治にコミットメントすることが今は最善だと思われるからだ。民主主義というのは駄目な政治思想だが、しかし現状では一番マシである。今のところ、クーデターや暴力革命は御免被りたい。だから投票には行く。
とはいえ現代の日本は、衆愚政治の成れの果て。みんなが、目の前の札束とか自分の社会的立場とかばっか気にするから、何万年も毒をまき散らす原子力発電を許すような政治がまかり通るのだ。

というわけで、日本本土の政治にはほとほとうんざりしている僕なのだが、今回、沖縄は違った。

本土での選挙の場合、世論調査で「何を一番重視しますか」と問われると、多くの場合、「景気」とか「経済」が一番に挙がる。
田舎で自民党が勝つのは、田舎ならではの地縁血縁、自分の仕事に直結した地域の利益構造や汚い利権構造が第一の要因だと思うけれど、都会でも自民党が勝ってしまうのは、多くの有権者が自分の足元しか見ずに「景気が良くなれば自分も家族も安泰だろう」と恐ろしく安易に考えてしまうからだ。
たとえ株価やGDP的な数字で景気が良くなったって利益は一部の人間が独占するだけなのに、そんなことすらわからない。
だから、都会の世論調査で原発再稼働や特定秘密保護法に反対の人は多いのに、選挙をすると自民党が勝ってしまう。衆愚。

沖縄県知事選も、前回(2010年)の選挙前の世論調査では「景気」や「経済」を重視する人が一番多かった。
そして、前回は自公が推す仲井眞弘多氏が当選した。仲井眞氏も公約では普天間基地の国外・海外移転を約束していた。
ところが仲井眞氏は昨年末、突然公約を破り「普天間基地の辺野古移設OK」(新基地建設のための埋め立て承認)と言い出してしまう。
で、「これで良い正月が迎えられる」と宣ったのだった。

面積で言えば日本全体のわずか0.6%にすぎない沖縄に、日本全体の74%の米軍基地が居座っているというのは誰でも知っている異常な事態だが、それらは沖縄県民が「ここに作っていいですよ」と差し出したものではない。米国に無理矢理奪われたものだった。
ところが、仲井眞氏は新基地建設のための埋め立てを承認、つまり、戦後初めて、自ら進んで沖縄を売ったのである。

これには沖縄の人たちが怒った。
だからこそ、今回の沖縄県知事選世論調査では、基地問題を争点とすると考える人たちが圧倒的に多かったのだ。
そしてその結果、「沖縄に新しい基地は作らせない」と訴える翁長さんが今回の知事選で勝利したのである。

県知事選にあたって仲井眞氏の再選を目論む自民党は、当然のことながらカネの話を持ちかける。補助金とか交付金とか、あるいはUSJの誘致とか。仲井眞氏を再選させれば景気、経済が良くなりますよ、というわけである。

でもさあ、それってあまりにも人を馬鹿にしていませんか?

沖縄の人たちの平均収入は東京の約半分。要するに経済的にはビンボーだ。自民党の拝金主義的体質からすれば「札束ちらつかせて言うこと聞かせよう」ということになるのだろう。でもそれは、あまりにも無礼である。

しかし仲井眞氏は落選。今回の沖縄県知事選では、カネにものを言わせて沖縄の人々を懐柔させようという日本本土政府に対して、沖縄の人たちの誇りや自尊心がそれを許さなかった。
ということである。

当選した翁長さんは、もともとは沖縄の自民党の重鎮。れっきとした保守だ。
だが、「私は保守ですが、『沖縄の保守』です」と、彼は言い切る。

本土にいる我々は「保守=米軍基地OK」と単純に考えがちだが、小学生の女の子が米軍人に集団強姦された挙げ句、犯人は日本の法律で裁かれることなく本国に逃げ帰るというような理不尽がまかり通ってきた沖縄においては、「保守=米軍基地OK」といった単純な話ではない。
沖縄の保守とは、本土や米国の理不尽に対して沖縄の人々を守りぬく、という意味での保守なのである。

だからこそ、日米安保そのものは肯定する翁長さんを、今回、日米安保に反対する共産党が全面支援した。
もはや、右か左かなどというくだらないイデオロギーの話ではない。これが重要だ。
自民党は現職の仲井眞推薦を打ち出したが、自民党支持者の3割ほどは翁長さんに投じたと言う。本土自民党政権の金魚の糞ではなく、保守は保守でも沖縄の保守を自覚する正統な保守層である。

えーとちょっとここでひと休みしようかな。
最近、アタマがどんどん馬鹿になってちゃんとした文章が書けなくなっている。
困ったなあ。

なので動画。
14日沖縄市内での翁長さんの街頭演説の一部である。
日本本土の人へ向けてのメッセージでもあるから、これは見ておいたほうが良いよ。
場所は那覇新都心。(返還された米軍施設跡に新しくできた街。ゆいレール(那覇空港から首里までを結ぶモノレール)「おもろまち」駅から西側の一帯。高層ビルが建ち並び、商業施設や博物館、美術館などもあって、なんていうか、横浜のみなとみらいみたいな感じ。すごく人工的な街なので僕はあんまり好きではないけれど、活気はある)



酒が回ってきてなに書こうと思ってたんだか忘れちゃったよ。

おお、そうだった。

書こうと思ってた 「その1」
右翼/左翼、保守/革新といった図式はもうとっくに無効だと言うこと。

これは今まで何度も書いてきたが、政治的思想をそんな単純な二項対立に落とし込むというのは不可能なのである。
「もっと複雑になった」ということではない。
この二項対立は、無理、無効、意味がないのである。

米国共和党や安倍政権の経済政策はネオリベラリズムの思想、つまり、個人(近代に成立した概念)の自由こそが正義、という価値観をベースにしているが、これは、マルクス主義、共産主義よりもさらに極左(と言われる)アナキズムの思想と根底で通じている。ていうか、哲学的にはほぼ一緒と言っても良い。
現代の新自由主義的保守は、ある意味極左なのである。
安倍晋三などは、問いただせばそんな極左アナキズム的思想の持ち主のくせに、靖国神社に参拝するようなわかりやすい右翼嗜好がある。
これは、言ってしまえば決定的に論理的一貫性を欠いているのだが、それはともかく、要するに現代ではもはや右も左もないということの実例でもある。

同様に保守/革新の二項対立についても、それを、現状維持/改革と捉えると、規制緩和が大好きな安倍晋三とかたとえば橋下徹とかは改革派に属するように見えるが、一方で奴らは国体の現状維持、経済発展を望む超保守だ。

こんなふうにわかりにくくなってしまうというのは、右翼/左翼、保守/革新といった二項対立概念そのものが今では意味がないからなのだが、にもかかわらず、未だにそのような二項対立でモノを考える馬鹿も多い。

「自分はこっち」と決めておけば、考える必要もなくて安心なのだろう。
たとえばネトウヨの低能が自己コンプレックスの果てに自慰的左翼バッシングを始めるとき、彼らのアタマの中には自分では一切吟味することなく「左翼=共産党=中国=悪」という図式が出来上がってしまっている。だから今回の沖縄県知事選でも、『翁長が勝ったら沖縄は中国に占領される』みたいな、なんの根拠もないネガティブ・キャンペーンが繰り広げられるのだ。ほんとに馬鹿。

もちろん、右翼/左翼、保守/革新といった区分が思想的に無効だと言うことはもう何十年も前から言われていた。だが政治的後進国日本では、現実の政治システムの中でそれが問われると言うことがまずなかったのである。

でも。
今回の沖縄県知事選では、現実の選挙戦において、右翼/左翼、保守/革新といった区分は無効だと言うことが、誰の目にも明らかな形ではっきりわかった。

前述したように、今回当選した翁長さんは「自分は保守だが「沖縄の保守」だ」と訴えたわけだが、そうすると、これまでは「自民党に入れてりゃいいや」と思考停止だった保守な人も、今回は考えざるをえない。
もちろん同様に、共産党支持者の中にも「日米安保を肯定する翁長に一票を投じていいのか」という葛藤もあっただろう。

保守って、何を守るんだろ?
革新で、何を変えるんだろう?
そもそも、保守も革新も、色眼鏡なしで考えると、どういう方向を目指しているのだろう? そして、私自身は、政治をどう考えたら良いのだろう?

そんな、当たり前の問いが、やっときちんと問われた。
その結果の翁長さんの当選である。
政治的後進国日本で、こんなにちゃんとした選挙はまずない。
これは、『右/左 イデオロギー的対立』への無効宣言である。


「その2」

カネで人の心を買おうとした自民党は敗北した。
翁長県政が本土中央自民党政府と対立する限り、国家予算から沖縄に落ちてくるおカネはきっと減るだろう。それによって苦しい財政を迫られる自治体や家庭も出てくるだろう。
そんなことが当然予想できる中でも、沖縄の人たちは、過半数が翁長さんに投票した。(投票総数704356票のうち360820票)
目の前の札束よりも「誇り」を選んだのである。
素晴らしいではないか。

選挙は物乞いではない。
でも、本土の田舎者の中には、「自分が得するほうの候補者に投票する」と言って憚らない者がとても多い。選挙で問われるのは理念ではなく、「損得」「物乞い根性」になってしまっているのである。
もちろんこれを責めることはできない。誰だって一文無しになって野垂れ死にたくはないからだ。

そんな中、今回の沖縄県知事選で試されたのは、「損得か誇りか」というテーゼであるとも僕は思う。
本土の人間には真似できっこないだろうなあ。
本土の人間も、誇りを持って政治にコミットメントしろよ、と僕は言いたい。


「その3」は、もう眠いからやめた。

投開票前日の15日夜まで沖縄に行っていたのでした。
石垣にも行った。
沖縄本島の選挙戦と比べると、なんかびっくりするくらい静かで選挙カーに出会うことすらなかった。
中心部の飲食店経営者の話が印象に残っている。
石垣島は景気が良いというのだ。新しい空港が出来て観光客が増えたと言うこともあるのだろう。成功している人は結構稼いでいるという。
その一方で、「(彼曰く)駄目な自営業」が底辺にたくさんいて、石垣全体の足を引っ張っているというのだ。儲からない農家とか。

要するに、沖縄に限らず本土でも、強欲な連中が口にするのとまったく同じ台詞なのである。
「稼げない奴は切り捨てろ」という発想。「競争で淘汰しろ」という強者の論理。

また、これは別の石垣市民から聞いたのだけれど、県知事選は静かだが地元の市議選ともなると町は街宣車だらけ。「投票してくれ」電話も鳴りっぱなしだという。

知らない人もいると思うので書いておこう。石垣島は那覇とは400㎞以上離れた離島で、まさに「沖縄の中の田舎」だ。

「田舎の駄目な部分」が凝縮されているようだ。
「誇り」や「理念」よりも「損得」という、日本本土の田舎と変わらない駄目っぷり。

案の定、石垣市だけを見ると、翁長さんよりも仲井眞氏の得票が多い。

全世界で見るとリテラシーの高い地域はごく限られている。
国内でも同様である。街と田舎は全然違う。
で、沖縄という県の中でもそんな断絶があるのだな、とひしひしと感じたのでありました。

眠過ぎなのでこのへんで。