沖縄のことを書こう。 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

沖縄のことを書こう。

沖縄のことを書こう。

僕は沖縄は大好きなわけだが、そんなふうに東京から沖縄に来てみて一発で惚れちゃう人は多い。
で、面白いことに、沖縄に惚れる本土の人の多くが「どこか駄目な人間」だ。

おっと。誤解しちゃいけない。
ここでいう「駄目」とは決して蔑んでいるわけではない。
つまりこれは、現代市場原理主義の途方もなくくだらない価値観に蝕まれている東京の多くの人間から見れば「駄目」に映る、ということであり、むしろ、人間的に魅力のある人々なのである。
言ってしまえば、他者の悲哀に寄り添おうとする想像力の持ち主であり、同時に自分の「駄目さ」に謙虚な人だ。

ビーチでナンパしたりされたりするために夏ツアーでやってくるパーティーピーポーな連中は別だと思うが、「海に入れなくても沖縄に来たい」「出来ることなら移住しちゃいたい」と切望する本土の人は、概してかなりマトモであり、だからこそ東京的なモノサシから見ると、「どこか駄目な人間」なのである。

市場原理主義イデオロギーに則って成功に向けて日夜努力し、世界一の大都市に相応しい小洒落た生活を送りたいなどという、糞面白くもない信仰にどっぷりはまった凡百の東京人からすれば、「沖縄の人はだらしない」とか、「努力しないくせに権利ばっかり主張する」ということになるのであろう。
だから、「夏の沖縄旅行は楽しかったけれど、沖縄で暮らしたら怠け者になってしまう」とか言う間抜けな東京人がいるのだろう。

愚かな新自由的倫理観に毒された人々。都民はもちろん、埼玉や千葉の田舎者のくせに「ここは東京から電車で何分」を誇りに思うような馬鹿、田園都市線の多摩川以西に一戸建てを建てて自分の家の地価が上がるのが嬉しくて仕方ないような間抜け、そんな連中は十把一絡げなのだが、要するに、自分よりエラい人を見上げ、自分より駄目な人を見下す習性が身についている。
しかも、「エラい」か「駄目」かについて己で考え抜いた基準などなく、政治的あるいは経済的に成功しているか、出世が早いか、偏差値はいくつか、などといった、まあ要するに「世間体」を無自覚無反省に受け入れてしまっている。

だから、沖縄の人たちに対して「平均賃金の低い沖縄はやっぱ努力しない駄目な人間が多いのだろう」「お前ら税金から充分に交付金や補助金払ってやってるのに基地問題で文句言うな。それとももっとカネがほしいのか?」などといった考えを抱いてしまうのだ。

僕は東京は好きですよ。ここで生まれ半世紀もここに住んでいるのだ。今は特にいろいろ混沌としてきて面白いし、見方によっては世界一の都市である。ただ同時に、人類史上稀に見る歪んだ薄汚い最低の街、歪んだ人々の集まりでもある。

そういうことを直感的に肌で感じて「東京は居辛いな」と感じる人たちが、沖縄に来るとホッとする。東京尺度で「駄目な人間」とされていた自分に、正当な評価ができるようになる。

沖縄の人たちの懐の深さであろう。

東京はと言えば、安倍晋三の単細胞に象徴される中央政府や、あれだけの事故を起こしておきながら原発を再稼働させようという経済界。そしてそんな奴らを支えるのが、金融緩和なんかバブルの種にすぎず格差を拡大させるだけなのに円安、株価高で喜び、被災地の復興を遅らせるだけの東京オリンピックにわくわくしている馬鹿な都民。
つまり、自分たちが苦労なく勝って他人を見下す場所に立ちたいのだ。
その上で、自由とか民主主義とか綺麗事を言いたい。
それが東京だ。

それに対して沖縄の人たちは、もっとおおらかで奥行きのある価値観を持っている。
東京的に「駄目な人間」に対しても、尊厳を認める優しさがある。

ええと。
最近、KIRIN本搾りグレープフルーツばっか飲んでるんだよね。今夜は500ml缶の4本目だ。自分では酔っているつもりはないのだが、文章が駄目になってくる。
駄目ついでにちょっと迂回しよう。

僕が初めて沖縄を訪れたのは20代の頃、1980年代だよ。雑誌の編集部にいたのでハイレグ水着アイドルの撮影とか、街の取材でときどきやって来たのだった。で、山羊の金玉の刺身を食べさせてもらったり、炎天下の海ロケで真っ赤に焼けた肌にアロエを塗ってもらったり。
もちろん、取材で行くと現地の人はどこでも大抵親切なのだが、なにかが他と違っていた。
なんなんだろう?

で、時は流れ、約20年ぶりに沖縄を訪れたのが震災後の夏、2011年の8月。
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんと一緒だった。小出さんの本を作るために沖縄での講演会に同行させてもらったのである。
正直言って僕はそれまで、沖縄の歴史や現状に関してまったく無知だった。
原発に憤ってはいるが、沖縄に原発はないし、福島原発事故とはあんまり関係ないだろうと思っていた。

ところが、である。

「これまではスーパーに九州産の野菜が並んでいたのに、原発事故後、九州産は棚からすべてなくなって、東北や北関東産の野菜が並ぶようになった」
沖縄で子供を持つお母さんからそんな話を聞いたのだ。
九州産の野菜は首都圏向けに出荷されるという。

ええええええ!

東京の地元のスーパーで、僕はそんなこと一度も気にしたことはなかった。
だが、東京に戻っていつもの東急ストアに行くと、なるほど東北産はおろか、北関東産の野菜もない。

つまりこういうことだ。
当時、東北や北関東の野菜は汚染されている(それが事実かどうかは別として)ので食べたくないと思う人は全国にいたのだが、東京のスーパー(東急ストアというのは、東京、神奈川の東急線沿線)は、売値も仕入れ値も高いので、市場のメカニズムとして、九州などなるべく福島から遠い野菜が回ってくる仕組みになっているのだ。
結果、人気のない東北産、北関東産の野菜は、地理的な距離に関係なく経済的に弱い沖縄にやってくる。

汚染食品がどれだけ身体に悪いかという問題の話ではない。
都会でフツーの暮らしをしている人は、特に気にしなくとも(そして実際にそれが汚染されているか否かとは無関係に)、東北産、北関東産の野菜を食べずに生活できる。
ところが、はるか1700㎞離れた沖縄の人は、東北産、北関東産の野菜を食べざるを得ない。

政府が仕組んだことではない。これが市場経済というシステムの本質だ。すなわちこのシステムは、強者の願望をなによりも優先させるのである。

まさに、ほとんどの人が無自覚なまま進行する差別のシステム。

恥ずかしながら沖縄の抱える問題にまったくの無知だった僕だが、それ以来気になり始め、たびたび訪れるようになった。
ていうとなんかカッコいいけれど、そんな問題意識よりも、沖縄に惚れたと言う方が正しいな。

あの、独特のゆるさ。
国際通りというのは那覇のメインストリートだが、近所の子どもが裸足で走っていたりする。
このゆるさに、本土に住む多くの「どこか駄目な人間」は惚れてしまう。
僕もそうだ。

KIRIN本搾りグレープフルーツ500ml缶が5本目に突入したところでやっと、ここからが本題だ。
飲み過ぎなので文章も迂回しすぎたな。ごめんね。

本題はこれ。
僕は、沖縄の「ゆるさ」に惚れたのであるが、「強さ」を知って惚れ直した、という話だ。

全国の米軍基地の3/4が沖縄県に集中し、県民の負担となっているという話は誰でも知ってるだろう。
1995年、12歳の小学生の女の子を米軍の軍人が集団強姦する事件があって、しかも、日米地位協定のせいで犯人は日本の法廷で裁かれることなく、本国に逃げ帰ってしまった。
2004年には普天間基地のヘリがこともあろうに沖縄国際大学の構内に墜落した。墜落だけでも大問題なのに、墜落現場を米軍が勝手に閉鎖してしまい、大学関係者や沖縄県警の警察官さえ立ち入らせなかった。
独立国家日本でこんなことが許されるのか?
沖縄では滅茶苦茶がまかり通っている。

で、そんなことはニュースになるわけだが、さっき書いた、本土の人々が敬遠する東北や北関東の野菜が結局沖縄に回ってくるというような話は報道されない。でも、このように報道されない本土からの差別メカニズムは、沖縄では日常茶飯事だろう。

そして、ここからが大事なポイントなのだが、
それでも沖縄の人たちがめげずににこにこしているのは、その「強さ」ゆえだろうと僕は思う。

太平洋戦争敗戦後、サンフランシスコ講和条約によって日本本土が主権を取り戻したにもかかわらず、沖縄は1972年まで米国の軍事占領下に置かれた。米軍は、沖縄の人々を強制排除し、家や農地を火炎放射器で焼き払って基地を作っていった。ベトナム戦争の頃は、沖縄の人たちをベトコンに見立てて追いかけ回すとなどという非人道的極まりない訓練を行ったりもした。
しかし、そんな厳しい軍事統治下にあっても、沖縄の人たちは「島ぐるみ闘争」として10万人規模での集会を行うなど、徹底的に闘った。
これは、沖縄の人たちが、自治、アイデンティティ、主体性を守り抜くための闘いであった。

さて。

本土に目を移すと、2011年あれだけの出来事が起こったにもかかわらず、東京では「震災は天罰だ」ととんでもない暴言を吐いた石原慎太郎が都知事選で馬鹿勝ちし、原発を推進する自民党が政権を奪い返した。
正直言ってマトモな民主主義国家では考えられないような事態だと思う。ここに、日本本土の民主主義の未熟さがある。

欧州では「民主主義」は、歴史的に勝ち取られたものであった。それまでの封建的、絶対的な権力を打倒し、「権力」に対する「個人」の権利を確立したわけである。
その地では、そんな「闘い」の歴史が、現代も人々の考えの中にも深く根付いている。だからこそ「民主主義」が、机上の概念としてではなく、実際に血を流して勝ち得た権利として、リアリティを持っているのだ。

日本本土にはそんな歴史はない。
僕は現行日本国憲法を高く評価するが、市民が闘って勝ち取った民主主義ではないことは事実である。

現代で言えば、米軍が介入して独裁政権を倒したが民主主義が根付かず内戦状態になっている国があるわけだけれど、要するに「独裁政権を倒してあげましたので、はい、これからは民主主義にしなさい」と言ったって、そんな簡単にはいかない。
「そのために闘った」という人々の歴史がなければ、民主主義(というのもある意味歴史的な概念のひとつにすぎないので)のリアリティは持てないのだ。

だから、日本本土では、「民主主義」というのをみんなわかっていない。
たとえば、「個人主義」というのは本来「民主主義」とペアであるべき概念なのに、経済的勝者が「個人主義」を自分に都合良く解釈して「金を儲けて何が悪い?」と居直ったりする有様である。

でも沖縄は違うのだ。

琉球國は廃藩置県によって「国」ではなく一地域として日本に組み入れられ、太平洋戦争では15万もの人々が犠牲になった。太平洋戦争での日本国敗戦後、サンフランシスコ講和条約で本土が主権回復したにもかかわらず、沖縄はその後20年間も米軍に支配されたが、その間も人々は理不尽な権力に対して闘い続けた。

そんな歴史があるからこそ、「与えられただけ」の本土の人たちよりも、「ずっと闘い続けてきた」沖縄の人たちのほうが、現行日本国憲法の民主主義の理念にリアリティを持てるのだ、と僕は思う。
当時、沖縄の多くの人たちが、民主主義理念に基づいた現行日本国憲法下の日本本土復帰を願った。

ところが、日本に復帰してみると民主主義とはまるで違う。
米軍は居座ったままだし、米国軍人による沖縄女性への暴行事件も日米地位協定のもと、ちゃんと沖縄で裁かれることはない。
普天間基地は街の真ん中でかなり危ないのだが、「その危険を取り除きます」などと都合の良い言い草で、本土中央政府は辺野古に新しい基地を作ろうとする。
要するに、とんでもない話ばかりが続く。

ものすごくざくっと書いてしまったけれど、そんな歴史に揉まれながら、沖縄の人たちはずっと闘い続けてきた。

沖縄の「強さ」と書いたのは、そのことである。
ずっと闘ってきて、今も闘っている「強さ」である。
理不尽な権力に対する果てしない闘いを続けている「強さ」である。
ちゃんと見張っていないと権力は自分に都合の良いように好き勝手するよ、ということを身に染みて知っているからこそ闘い続ける「強さ」である。
本土の、特に東京の人にそんな強さなんかまったくない。「立身出世のために頑張る」みたいな利己的な闘いなんか、社会的に共有される「強さ」にはなり得ない。

で。
そんな、沖縄の人たちの「強さ」。
そのベースにあるのは決して「敵意」ではない。

自治やアイデンティティ、主体性を確立する、守る、というのは、同時にほかの人々のそれも認める、ということだ。

許し合い、認め合う。

これが、沖縄の闘いの核心なのではないかと僕は思う。
だから、ちょっとだらしない人なんかに対しても、きちんとその尊厳を認める。
東京で傷ついた「どこか駄目な人間」は、そこで癒やされるというわけだ。。

しかし、自治やアイデンティティ、主体性を「許さない」「認めない」理不尽な権力に対しては徹底抗戦する。

僕はこれは、素晴らしい生き方だと思う。

さて。

いよいよ一週間後の11/16に、沖縄県知事選投開票である。

危なすぎる普天間基地を撤去すべきなのはもちろんなのだが、どの世論調査を見ても、沖縄県民の70%以上が、普天間基地の辺野古(県内)移設ではなく、県外、国外移設を求めている。
すなわち、「沖縄に新しい基地は作らせない」。

戦後70年を迎えるにあたって、そんな沖縄の意志を全力で示してもらいたいと僕は思っているのだが、ものすごく気になるので今週後半は沖縄に行くよ。