スノーボードの話 (ソチオリンピック、そして、なぜ「スノボ」と言ってはいけないのか) | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

スノーボードの話 (ソチオリンピック、そして、なぜ「スノボ」と言ってはいけないのか)

今回は原発の話ではない。哲学でもない。政治でも経済でも社会でもない。さっきニュース見てたらNHK会長の籾井勝人が例によってふてぶてしい態度で映っていて横っ面ひっぱたいてやりたくなったのだが、そういった類いの話でもない。
なので、その手の話を期待する人はこの記事はスルーしてください。
スノーボードの話。

で。

ソチオリンピックが終わった。

やっぱ冬のほうが楽しいなあ。

以前、東京五輪誘致関係者の人と話をしていて、もしもどうしても日本で開催するのなら、東京じゃなくて被災地だろうと言ったら、たとえ仙台でも、夏の大会は規模がでかいので宿泊施設だけ考えても無理と言われた。

東京でオリンピックなんてやんなくていいのに。
開催に向けて、汚染水など福島の事故後の状況を完全に情報公開し、徹底した対応をする、というのならまだわかるが、日本の政治家や官僚は逆のことを考える。なるべく隠そうとする。マスコミも日和見だから「開催万歳」の論調に染まる。困ったものだ。

その点冬は規模が小さい。長野でやれたんだから。
あとやっぱり僕は雪が好きだし、夏よりも冬の選手のほうが美女が多いしな。

この前も書いたけど、僕はこれでもスノーボーダーで、もう20年くらいやっている。下手だけれど大好きなので、出版社に勤めていた30代の頃は、毎年スノーボードの本を出したりしていた。
だから当時は、いろんな大会に取材に行ったりもしていたのだが、米国や欧州の連中のほうが圧倒的に上手くて、まさか日本人がオリンピックでメダルを獲れるなんて思ってもいなかった。
ソチでの日本人メダル8個のうち、スノーボードが3個だよ。信じられるかい?

20年前を思うと感無量なのであった。

若い子は知らないと思うけれど、1990年頃、国内でスノーボードができるゲレンデはごく限られていた。90%くらいのスキー場で不可だったんじゃないかなあ。「危険」だとか「スキーヤーに迷惑がかかる」とか言われて禁止されていたのだが、要するにスノーボードは不良ぽいってことだ。当時の良識的な人々からは、不健全な連中の遊びだと思われていたのだった。

「私をスキーに連れてって」という映画が公開されたのが1987年で、つまりまあ、バブルの時代はスキーが「トレンディ」だった。バブルは90年代の初めまで続いたのだが、ちょうどその頃、スキー人口が爆発的に増えたのである。
「トレンディ」って何よ?という若人のために説明しておくが、バブル期にはリッチな遊び方こそがお洒落だと思われていた。街の男子はみんなが外車に乗ったので、たとえばBMW3シリーズくらいだと「六本木カローラ」と呼ばれ小馬鹿にされたりした。おカネをかけて、優雅ぽく、上品ぽく振る舞うのがトレンディ(流行り)だったわけだ。

白状しますけど僕もスキーに行きましたよ80年代のバブル期には。僕だって20代だ。
男子3名女子3名とかで行くわけです。はいそのとおり、真の目的はスキーではなく異性交遊です。
「夏はテニス、冬はスキー」というのは、トレンディな「ちょっとおカネがかかる優雅ぽい男女交際」の象徴だったのだ。

20歳くらいの子どもがアルマーニ着てた時代です。オフのときは、(今でもスタイルを貫き通す石田純一は立派だが)誰もが肩にカーデガン掛けてた時代です。
つまり、「カネ持ってそうな感じ」や「なんだか良家ぽい上品な感じ」が大事だったバブル時代。そんな時代背景があってのスキーブームだったわけです。

ところが90年代前半、バブル崩壊前夜にはチーマーが出現したり、ヒップホップファッションが流行ったりし始める。
当時は、スノーボードもその延長だと思う人が多かった。
だからこそ、「上品第一」のバブル的スキーヤーにとっては、「ゲレンデという聖域が不良に浸食される」事態は看過できなかったのだろう。「スノーボードは不健全」とばかりに、ほとんどのゲレンデから閉め出していたのだった。

アルツ磐梯、尾瀬戸倉、エコーバレーとかかなあ。当時僕がよく行っていたのは。
いずれにしても、スノーボーダーの選択肢はすごく限られていた。

その後、90年代中盤にはスノーボードがブームを迎えたのだったが、確かにそれは、ファッションから始まっている。また当時、いわゆるヤンキーライクなスノーボーダーも多かった。ゲレンデでガン飛ばしてる馬鹿も大勢いたのは事実である。
だけど、たとえファッションで始めたにせよ、滑ってみて「スノーボードって楽しいなあ」と実感した当時のスノーボーダーたちは、誰に言われるでもなく、「もっと多くのゲレンデでスノーボードができるように」「もっとみんながスノーボードを楽しめるように」と行動した。
というと大袈裟だけれど、たとえば煙草をポイ捨てしないとか、そういうことを気にするようになった。
(今でもそうだが、僕の見る限り、リフトから吸い殻を捨てるような奴は50~60代以上のスキーヤーである。僕はかなりのヘビースモーカーで、リフトを降りてビンディングを締める前に一服するのが至福の時だが、必ず携帯吸い殻入れを持っている。ルールだからでもないしマナーだからでもない。山に捨てた煙草の吸い殻が分解されるのには何十年もかかるのを知っているからだ)

あと、スノーボードをスノボというのはやめよう、というのがいつの間にかコンセンサスになっていった。
これにはいろんな意味やそれぞれのスノーボーダーの思いもあるのだけれど、たとえば「スノボ行こうぜ」と女の子を誘うような連中は、異性交遊目当てにゲレンデに繰り出したバブル期スキーヤーと一緒である。そのときにスキーが流行っていればスキーを口実に、スノーボードが主流ならスノーボードを口実に、出会いや交際、セックス目的になんでもするだろう。
しかし我々スノーボーダーは「不良だ」「不健全だ」という迫害を経てこんにちに至る。「わいわい騒げればスキーでもテニスでも良かった」のではなく「スノーボードしたい」のである。
もちろん、「スノボくん」「スノボちゃん」は勝手にやってもらって構わないのだが、我々はスノーボードをスノボとは言わない。

これ面白いんだけどさあ、今でもプロや国際大会に出るような人が「スノボ」というのは聞いたことがない。
ことばの意味というのは、簡単に言うと、ことばの使い方のことなのだが、「スノボ」と「スノーボード」がまさにそうで、スノーボーダーは決して「スノボ」ということばを使わない。
たとえば、ソチでメダルを獲った平野くん、平岡くん、竹内さんのインタビューとかだったら今も検索できると思うけど、「スノボ」とは言ってないはずだよ。
これは、日本のスノーボーダーたちが築き上げた歴史であり、まさに、ことばの使い方→意味が社会的に確定されていく過程を見るようだ。

メダルを獲った平野くんや平岡くんはまだ10代。
僕には子どもはいないけれど、世代的には僕の子どもだ。
ほとんどのゲレンデから閉め出されていた時代から、ちょっとしたブームになって「スノボ」と言われるようになった1990年代。
その当時、「スノボ」ではなく「スノーボード」をしていた僕の同世代たちが、スノーボードの楽しさ自分の子どもに伝えた。そしてそんな子どもたちが、オリンピックに出られる年齢になって、今、大活躍している。

こんなこと書くとなんだか爺さんみたいだけれど、嬉しくて仕方がないのだった。

さてと。

オリンピックを見ていて考えたことはいろいろあって、たとえば愛国心の問題とか。
あとは「頑張れニッポン」と言うけれど、僕としては、「頑張るな日本人」とも言いたい。
スノーボードの平野くん、平岡くんなんかはもちろんのこと、(本人にしてみれば迷惑な話だろうが)浅田真央ちゃんだって我が子のように可愛いから、当然、応援するわけだ。みんな、ものすごく頑張ってきたはずなので、その努力が報われるよう祈るわけだ。

ところが、「頑張る」「努力」「一生懸命」は、それ自体では、決して美徳ではない。
だから「頑張るな日本人」。

その話を書こうかなあとも思ったのでしたが、今度また気が向いたらね。