都知事選その4~投票日。それぞれの「反原発」に突きつけられた哲学的問い。 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

都知事選その4~投票日。それぞれの「反原発」に突きつけられた哲学的問い。

東京は大雪だと騒いでいるけれど、たった30㎝くらいの積雪でクルマがあっちこっちで立ち往生したり、電車が止まったり、首都圏で何万戸が停電したりという有様だ。同じ大都市でも札幌の人が見たら笑っちゃうだろう。たった30㎝だよ。

要するに東京は雪に対する備えがないのだ。たとえば、インフラ的には数十年に一度規模の雪のために道路に融雪設備をするなんてやってらんないし、暮らしている人々の経験値や考え方にしても、雪道の歩き方を知らないとか、一度も雪道で運転したことがないくせに「ノーマルタイヤでも平気だろう」と多寡をくくっている人がたくさんいる。だからたった30㎝で大騒ぎになる。
備えがない、というのはこういうことだ。

やはり3.11を思い出してほしいのだが、東京では地震による直接的な被害は少なかったものの、その後の混乱ぶりは尋常ではなかった。
福島第一原発事故は、国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7であるが、それでも原子炉自体の爆発は運良く避けられ、当時の政府がこっそり想定していた首都圏数千万人規模の避難は回避されたのだった。
でもさあ、もしも原子炉が水蒸気爆発を起こしていたらどうなっていたと思う? 積雪30㎝の比ではないぞ。

(話は横道だが、田母神氏は福島原発事故に関して、完全に間違ったことを言っていた。放射能が人体に与える影響とかについては原子力推進の学者なんかがいろいろ変な意見を言うので百歩譲ろう。しかし彼が「福島の事故は核爆発ではなく水蒸気爆発だ」というのは、誰の目から見ても完全な誤りだ。もちろん、核爆発ではない。でも、水蒸気爆発でもない。原子炉建屋に溜まった水素に火がついた「水素爆発」である。
この点は重要だ。「水蒸気爆発」と「水素爆発」。家庭の圧力鍋でも圧をかけた場合少しずつ水蒸気を逃がしているが、これは、水蒸気を逃がさないと爆発してしまうからである。密封された容器の中の水の沸騰、水蒸気の力は恐ろしいのだ。
原発で水蒸気爆発が起こるというのは、密封された原子炉の中の水が沸騰して、原子炉そのものを爆発させてしまうことを言う。それに対して、福島で起こったのは、化学反応により建屋内に充満した「水素」に火がついたもので、原子炉ではなく建屋が爆発した。
「水素」か「水蒸気」か。これは単なる言い間違いの問題ではない。原発事故について初歩的な部分をまったく理解していないということだと思われる。
僕は田母神氏のこの間違いに告示後第一声の演説で気づいたが、「まあ言い間違いもあるだろう」と思っていた。しかし、それから一週間以上経った2/1のネット討論でも「水蒸気爆発」だと言う。
その後の彼の発言は知らないので、もしかしたら訂正したのかもしれない。でも、もしも、原発について多少でも知っている人が彼の近くにいたのであれば(それが原発推進の人でも反対の人でも)、そんな初歩的な間違いはすぐに訂正したはずだと思うのだ)

横道書いてたら長くなってしまった。

要するに東京都は原発事故に対してまったく備えがないと言うことだ。
たかが30㎝の積雪でこんなになってしまう街が、「原子炉が爆発して放射能ががんがん降ってくる」という事態に直面したらどうなるだろう?

世界には今、約400基の原発が稼働している。
そして、原発の数がもっと少なかった1979年の米国スリーマイル島、1986年の旧ソ連チェルノブイリ、2011年の福島と、炉心が溶解(メルトダウン)した最悪の大規模事故だけを数えても、この半世紀で3回。
世界400基のうち日本は50基なので、ここからざくっと計算すると、日本の原発は100年に一度、大事故を起こす計算になる。

そして昨日、東京の大雪は、気象庁のいう「50年に一度の積雪」の目安(26㎝)を超えるものとなった。そんな日は突然やってくる。

さて。

僕はと言えば、金曜日に期日前投票を済ませました。
いろいろ考えたことの一部は、前回の記事に書いた。
殿に一票だ。

成人してから30年、こんなに悩んだ選挙はない。きっと、原発に反対する多くの人が同じ思いだっただろう。
僕は東京生まれでずっと東京育ちだけれど、都知事選で投票した候補者が当選したことはこれまでないからなあ…(笑。
結果はどうなるかわからないけれど、いずれにしても、遅かれ早かれ反原発で問われるべき論点、すなわち、投票という具体的な行為において
「妥協をしても数の力に加わるか」あるいは「原発にとどまらず、社会的、政治的信念を貫くか」
が、2014年2月、「それぞれの反原発」に問われることとなった。

再稼働という喫緊の課題が目の前に差し迫っているという状況。その上で、「現実の一票」を持ったときどう選択するか、と言う問題は、「反原発」に限らず、政治や社会へのコミットメント、あるいは「世界」(世界各国という意味の「世界」ではない)とどう対峙するかという、とてもとても哲学的な問いを突きつけてきたのだった。

選挙結果がどうなるかにかかわらず、「反原発」に突きつけられたそんな「問い」の顕在化が今はまだ早すぎだった、と言うことはなかろう。むしろ、論点のいくつかがはっきりして、結果はどうあれ、より深い「反原発」議論の礎となるはずだ。
もちろん、正念場はまだまだ続くのだが。

と、偉そうなことを言っておいてなんだけれど、ソチオリンピックの開会式は良かったよなあ。史上稀に見る作品性の高さ。オリンピック開会式としては僕が知る限り最高の出来映えだ。ロシア舞台芸術の本領発揮という感じ。
あと、へたれで下手で、まっすぐ滑ることしかできないけれども、僕もキャリア20年のスノーボーダーだ。長野大会の頃はスノーボードの本も作っていた。
そんなわけで、1990年代にスノーボードに取り憑かれた僕らの世代が親になって、その子どもたちがオリンピックでも活躍している。角野友基くんは入賞で立派なものだ。ハーフパイプの平野歩夢くんはリップから6メートルも飛ぶと言うが、20年前からすれば想像もできない。なんだかとても嬉しい。

でね。今日も雪が残っていて、出かけるのは面倒だなあという人もいるかもしれないが、反原発の都民有権者は、どんなことをしてでも投票に行ってほしいと思う。
都知事選において「そのうち原発をやめる」なんて主張は、反原発とはまったく相容れないよ。絶対反故にされる。単なるお為ごかし。今、放っておいたら再稼働が進み、やがて新設まで始まるぞ。

敗北を恐れてはならない。
「二本滑って良いほうの点数を採用」する、オリンピックのスノーボードで言えば、一本目でこけたあと、メダルのかかった二本目だ。気張る必要も緊張する必要もないけれど、全力で飛んでみる。
まあ、そんな感じだな。
そうすれば、スノーボードのように、次の世代は、より高く飛ぶ。
↑ロマンティックな言い方に自分でも笑っちゃうのだけれど、少しはそんなことも信じたい。

投票行けよ。行ってください。