一億倍返し | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

一億倍返し

学生時代にとても仲が良かったH君は、僕の半世紀の人生で出会ったすべての人物の中で最も頭が良かった。なおかつ彼は、人々をとりまとめる人間的な魅力にも秀でていた。
東大を出てNHKに入社。40歳くらいのとき、管理職として出世するか制作現場に残るかと会社から問われたとき、H君は現場を選んだ。その当時僕は彼と直接話をしていないけれど、きっと「この社会システムの中でいわゆる一般的な基準で偉くなることなんか別にどうでも良い」と、考えたのだと思う。

彼が亡くなって4年になる。
そんなわけで彼の命日、9月14日は、飲み会であった。

奥様が彼と高校の同級生で、そんなつながりの飲み会だから、参加者はみんな同じ高校出身者。ところが僕ひとりだけ違う高校である。
同じ学校で毎日顔を合わせていたわけではないけれど、当時はそれ以上の親密さで僕は彼と付き合っていた。それを奥様が認めてくださっているから、この命日飲み会にも毎年呼んでいただけているのだ、と僕は勝手に好意的解釈をしている。

「ニューアカ」をWikipediaで検索すると、「1980年代の初頭に日本で起こった、人文科学、社会科学の領域における流行、潮流のこと。」とある。

僕とH君は当時、毎日のようにそんな話をしていた。
浅田彰の『構造と力』は、読んでもさっぱりわからなかった。まあ、言ってることはなんとなくわかるのだけれど、「だから何?」と思ってしまい問題を共有出来ない。
なので僕は、この本は、世界システムの構造と力「について」書かれているから価値があるのではなく、この本自体が、構造と力「を示している」から面白い。としか言えなかった。H君はもっと深く的確に問題の核心を突いていたはずだが、ごめん30年前の話だ。彼が何を語ったのかは覚えていない。

いずれにしても僕らは、延々とそんな話をしていた。
そして、ここからが重要なのだけれど、我々がなぜ、昼も夜も、酔っても醒めてもそんな話を続けられたのかと言えば、それは「問い」を共有できたからである。

「問い」は連鎖する。
ある「問い」に答えようとすると別の「問い」が発生する。ある「問い」を先鋭化するとそれは次の「問い」となる。

浅田彰の『構造と力』が正しいかどうか、などということはまったく問題ではない。
そんなことではなくて、我々は「問い」を続けざる得なかった。

単なる学部卒の僕がこんなことを言うと「偉そうに」と思う人もいるかもしれないけれど、でも、これこそが哲学の核心である。

H君はNスペなどのプロデューサーとして活躍した。僕はなにひとつ立派な仕事はしていないけれど、雑誌編集者を経てその後は細々と記事を書いたり映画の構成をしたりムード歌謡の歌詞を書いたりしてきた。

でね。
何が言いたいのかと言えば、「哲学」と、「プロとして何をどう表現するか(作家としての作品)」。その両方を語り合える人は、残念ながら僕の周りにはいないのだよ。
H君がいてくれたらなあ。
震災後僕は、つくづく思ったものでした。

さっきも言ったように、哲学とは知識ではない。哲学者の名前なんか知らなくてもまったく問題ない。ただただ「問い」を掘り下げ、連鎖に対峙する姿勢のことである。
でも、掘り下げていくとどうなるかといえば、広く共有されているフツーの感覚とはかなりずれていくことも多い。
ところがプロ作家が作品を作るときにはそうはいかない。みんなにわかってもらわなくちゃいけない。そこで「問い」の掘り下げを「ここまで」とストップせざるを得ない事態にも直面する。

もちろん、そんな必要はないのですよ。作家は作りたいモノを作りたいように作ればいい。
だが、それで飯を食わなくちゃいけないプロとしては、迎合するところは迎合しそれでもこれだけは譲れないとか、まあ要するに「数字(視聴率であったり部数であったり)」も考えなくてはならないのだ。
人生や世界を類型化しなければならないのだ。

哲学を話せる友人はいる。
「どうしたら作品をよくできるのか」を相談できるプロフェッショナルも周りにいる。
でも、その両方を「同じひとつの問題として」語り合える人が、残念ながらいない。

あ。
なんだか僕は「威圧的に他人の言論を封じ込めようとする」傾向がある、と思われたりもするらしい。
ごめん、そんなつもりはないのですよ。
哲学的な探求とは、料理人が味の探求をするのときっと同じだし、プロすなわち職業的作家の作品論は、大工さんの知恵と一緒だ。
哲学者が料理人より偉いわけでも、作家が大工さんより偉いわけでも決してない。
僕が厨房に入れば罵倒されるだろうし、建設現場では釘の一本も打たせてもらえないだろう。

話がずれたな。なんだたっけ?

H君の話だ。
「死」とは完全な「無」であり、残された者が何を思いどう行動しようが、決して死者には伝わらない。
それでも僕たちは命日に集まり、酒を飲んでエロ話をしたりしながらも彼を偲ぶ。
これはじつに難しい問題だ。
「死」とは、「無」とはどういうことなのか?
H君が生きていれば、同い年なのでもう50歳。きっと、飲みながら「死」や「無」について話をしていただろう。30年前のように井の頭公園でゲロ吐くまで飲んでいたかもしれない。


と。

ここまでで終わればそれなりに綺麗な文章なのだが、これだけは書き加えておかなければなるまい。

現実の世界がとてつもなく馬鹿であることを、30年前の我々はすっかり承知していた。
この、糞のような世界をどう生きれば良いのか?
それが当時の我々の議論であったし、今でもその問いは続いている。

世界の糞っぷりはなかなか巧妙に隠されてきたが、震災と原発事故で、もはや日本でそれを隠し通すことはできなくなった。
にもかかわらず原発を続けようとする恥知らずや、被災地を踏みにじって利権を温存しようとする屑ども。
H君が生きていたら、怒りに震えていただろうか? それとも「所詮そんなものだよ」と達観しただろうか?

いろいろなことが見えてしまっているH君なのだから、後者かもしれない。
だけど僕としては、50になったH君が激怒する姿を見たかった。学生時代には一度も怒った姿を見たことがないけれど、ついに堪忍袋の緒が切れた彼を見たかった。
一億倍返しだ。
いい歳こいて激怒した彼と一緒に、そんな作戦を練れたらなあ。

あ。
今夜もしこたま飲んでいるので、意味わかんない文章だったね。