クランクアップ | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

クランクアップ

先々週(だったかな?)、被災地のロケが終わりました。
詳細はまだ秘密ですが、ドキュメンタリー映画を作っているのです。

低予算なので数人でロケに行きます。
でね、
被災者の話を聞いたりすると、これが当然辛い話が多くて、撮ってるスタッフも思わずもらい泣きしてしまったりする。
でも僕は泣きません。
画面に映るレポーターであれば、泣いたほうがいい。素直に感情を解放したほうが良い。
しかし、画面に映らない作家は泣いてはいけない。感情移入の前に、「このカットをどう使えるか」を考えながらインタビューを続けなければならない。作品のために冷徹であるべきだと僕は思うわけです。

今回の作品では、被災地東北はもちろん、九州のほうまでロケに行きました。ずいぶんたくさん日本中を動いた
でも、被災地ロケでも決して泣かなかった僕が、都内のホテルで撮影した、震災後初めてある人とある人に会ってもらうというものすごいシーンがあって、そこではさすがに涙を抑えられなかった。…あ、一滴ですよ。一滴。
そうすると、その夜の飲み会で監督のOさんが嬉しそうに「鹿島さん(僕だ)も泣きましたね」とか言うわけですよ。
(この作品はOさん監督作品。現場ではOさんがメインカメラを回して、僕がインタビューする。僕は「構成」としてクレジットされます)
なんだか僕は、現場では「泣かない男」になっていたらしい。

ところが僕は、じつはすぐ泣くのです。

僕は朝ドラなんかまったく興味がなかった。視聴率50%超えの『おしん』だって一度も見たことがない。
それでも『あまちゃん』は、たまたま早起きして見た日から気になって仕方がなく、先週だったか、主人公の念願の初ライブ日が『2011年3月12日』と書いてあった時点で、その日付を見てなにかこみ上げてきてしまい、今朝じゃなくて昨日だな、いよいよ2011年3月11日のシーンでは、まあ泥酔で編集作業で完徹ということもあったのだけれど、ドラマの中で誰かが死んだわけでもないのに、なんかボロボロ泣いてしまった。

「作り手」として自分が作品を作っているときには冷徹でありたいと思う。
テーマが震災であれなんであれ、下手に感情移入してはいけない。
けど、「受け手」になった瞬間に、「2011年3月」と言われただけで僕の涙腺はぐずぐずぐずと崩れていくのでした。

2011年3月。
テレビで津波の映像を見て、どれだけ悔しい気持ちがしたか。原発の爆発を見て、どれだけ自分を恥じたか。

「受け手」として震災関連番組とか見て泣くわけだけれど、泣いてすっきりさっぱりではいけない。
「作り手」として鉄面皮になり、涙を見せずに津波や原発と対峙し続けなければならない。
そう思う。

と同時に、僕は幸いにしてフリーランスのインチキ野郎なので「震災絡みの仕事」と言われればさっと手を挙げて、その結果この二年半、何度も被災地を訪れた。瓦礫ばかりで魚臭く道もなかった被災地が少しずつ綺麗になっていく様も見た。
とはいえ、被災地で生活しているわけではない。ずっと東京に住んでいる。
にもかかわらず、こんな僕でさえ「2011年3月」と言われただけで涙腺が緩むような、ある種の「軽いトラウマ」を背負ってしまっているのである。
現実に津波に遭ってしまった人や、原発事故で家を追われてしまった人はどうだろう?
僕になんか到底想像も出来ない、深い傷があるはずだ。

作家性とは「想像力」だとよく言われる。
残念ながら僕には、そこまでの想像力はないのだと思う。だから「僕になんか到底想像も出来ない、深い傷があるはずだ」くらいしか、言うことができない。
それを具体的に文字にしたり画にしたりしなきゃいけないのに。

でもまあ仕方ないよな。できることを、無理なく、だらだらとやっていこうと思う。

あとさ。
僕は今夜もこの原稿は泥酔で書いているのだけれど、ときどきそれを信じない人がいる。SAPPORO黒生500ml缶を3本と、氷結グレープフルーツ350ml缶2本、そして菊正宗樽酒720ml瓶が半分空いた。

どうやらここまで。