自民圧勝。女川と原発。やったぜ山本太郎! | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

自民圧勝。女川と原発。やったぜ山本太郎!

昨日一緒に飲んでた人の中には、自民党が圧勝するようなら亡命したいという人もいたのだが、まあそういう予測は出ていたからね。これはつまり、これまで何十年間も、我々がずっとぼ~~~っと過ごしてきて、小選挙区制の拡大を許してきてしまったからだ。
「地域の一位」だけを選べば自民議員ばかりに決まっているが、「全国の100位」を選べば、投票の分布が反映される。そんなことはわかりきっていたのだ。それなのに我々は、「国会議員を「地域の一位」の集まりにしよう」という動きに荷担してきたのである。
全投票数の中の自民党票の割合、さらにそこに投票率を掛け合わせれば、自民党支持者なんかそんなに多くない。なおかつ、たとえば投票率の低い20代~30代に限れば、選挙に行って投票するような積極的自民党支持者は圧倒的少数かと思われる。

なのに自民党は「国民の信任を得た」「ねじれを解消したいと願う国民の意思」などと言っている。
困ったもんだ。

「ねじれ」はあったほうが良いのだ。
これはつまり、「衆参のねじれ」に限った意味ではなく、「ねじれ」というとちょっと違うかな、各院での議席数の拮抗でも良い。いずれにしても、国会での「政権に対する反対勢力の存在」がなければ、連中の好き放題になってしまう。これは、自民党政権でも民主党政権でも、もしも共産党政権になってもだ。

まあこの問題はここでは書かない。
予想した通りの結果でした。おしまい。

で。

僕は今、津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町。そこに震災後にできたホテルにいる。
こういう感じ

語り得ぬものについては沈黙しなければならない。-トレーラーホテル

洒落た言い方をすればコテージだな。
その一室に、僕はひとりで泊まっている。

語り得ぬものについては沈黙しなければならない。-トレーラーホテルの室内

だけどじつは、この部屋は「車両」なのである。
法的には建築物ではなく「車両」とされる、トレーラーハウスなのだ。
法律とか規制とかいろんな問題があるばかりではなく、今後どこがどのような形になっていくのか予想しにくい被災地でちゃんとした建築物を建てるのは大きなリスクがある。しかし、復興関連事業の人々の宿泊需要もあれば、多くの人に観光にも来てもらいたい。
そこで、震災前に旅館ホテル業をしていた人たちが中心となって考え出したのが、トレーラーハウスをホテルにすると言うことであった。

詳しくはここね。
http://elfaro365.com/index_pc.php

というわけで、ホテルの話は単なる宣伝。
いろいろ考えて地元で仕事を続けていこうという被災地の人たちがいるんだよ、という一例と、さすがに高級感はないけれど、綺麗で素敵なホテルなのでみんな来てね、ということでした。
昨日は仙台のAPAホテルに泊まったのだが、狭くてぼろいくせに安くない(唯一見るべき点はフロントの可愛い女の子)。女川のトレーラーハウスホテルは安いし、お部屋はとっても可愛らしいよ。

さて。

狭い湾に入ってきた津波は、両サイドが山に挟まれた女川の町をほぼすべて飲み込んだ。町の人に話を聞くと、びっくりするくらいの高さまで津波が来ていたらしい。
駅もビルも店も家も、ほとんど全部、波に流された。

語り得ぬものについては沈黙しなければならない。-震災後の女川

僕が前回女川に来たのは3月か4月で、ほぼ4ヵ月ぶりである。
な~~んにもなくなってしまった土地を見て愕然としていたのだけれど、今日見たら、低い土地のかさ上げ工事が始まっていた。
海抜の低い海沿いの平地に土を盛って、何メートルだか土地を盛り上げるというのである。

夕方、女川の復興に携わるキーマンの方とお話をしたとき、そのことを聞いた。
5~6メートルの防波堤を作るのであれば5~6メートル土地を高くしたほうが良い。
ということで、
これは、まったくもってもっともな話である。
チリ地震の津波くらいまでであれば、ノープロブレムの町にしよう、と言う。
とはいえ、東日本大震災並みの15~30メートルの津波でも何の被害もないように…というのは不可能だ。
だから万一そのときには、家や工場、商店など、「モノ」は流されても、人命は失われないようにしよう、という。そういう新しい町の設計図を考えている。

その人とお会いするのは二度目で、3.11以降ほぼ一日も休まずに町の復興を考え、行動している彼には、僕は心底頭が下がるし、この町の復興を心から願う。

でも。

土地をかさ上げする工事を見ていて僕は思ったのであった。
写真撮っておけば良かったなあ。ものすごい大工事なのである。
山に挟まれた女川は平地が少ない。だから、津波で全壊した海近くの平地を活用するしかない。
そのために今、山を削って土を運んできている。コンクリートの芯材みたいなのを置きながら、地面を何メートルも高くしようとしている。
これはものすごくお金かかるなあ…。
きっと、防波堤のほうが全然安いんだろうなあ…。
この小さな町に、そんなお金があるのかなあ。

と考えていて、腑に落ちた。

女川には東北電力の原発がある。
原子力の未来を信じて入学した東北大学の学生時代、女川原発反対運動を知った小出裕章さんは、最初は住民がなぜ反対するのかがわからなかったという。
しかし、「都会(仙台)で電気が必要なのならそこに原発を作ればいいのになぜつくらないのか」と問われ、「原発は危険だから都会には作れない」という真実を知った。
つまり、原発というのは、弱い人々、弱い地域を犠牲にするシステムだということである。

僕は小出さんとお会いするたびに、彼の行動はポリシー(政治的な考え)ではなく、美学(宮台真司さんとお話ししたとき小出さんについて彼が言っていたことば)なんだなあとつくづく痛感するのだけれど、「弱い者を犠牲にするのだけは許せない」というのは、その核心とも言える思いである。

札束で頬を叩かれ原発を誘致した福島第一原発立地体の双葉町は原発マネーが減って破綻寸前となった。町にカネが必要だから、福島第一原発7号基8号基を作ってもらおうと考えていた。
まさにシャブ漬け状態である。
原発立地体は、そうして「シャブ」ならぬ「原発マネー」で縛られていく。
まったくその通りである。

でもね。

これは僕が誰かに聞いたわけでもデータを調べたわけでもないので想像ではあるのだが、もしも女川に原発がなかったら、土地を何メートルもかさ上げする、なんていう滅茶苦茶カネのかかる復興プランはあり得なかったのではないか?

僕ら原発反対派は、「原発マネー(交付金とか)で意味のないハコ物(ド田舎の立派な音楽ホールとか)を作っている」と批判する。
だが、女川で海の近くの土地を高くするのは無駄なことなどではなく、むしろ最善の策だ。
しかし、もしも東北電力尾根川原子力発電所がそこになければ、そんな大胆なプランは考えもできなかったんじゃないか、と僕は思ってしまうのであった。

もちろん土地をかさ上げしたところで女川が震災以前の状況に戻れるかどうかはわからない。厳しいんじゃないかなあっていう気もする。
だけど平地の非常に少ない女川では、そうでもしなければ町は存続できない。

そう考えると、女川は原発があって良かった
という気もするのである。

と、反原発の人たちが怒りそうな記事を書く。

ていうのが今回の趣旨でもある。

もちろん「原発に依存しない町を作っていたほうが良かった」が正論だ。
でもさ、今回は三泊で仙台、石巻、女川。次回はたぶん今週後半、気仙沼。その次は8月のお盆前に仙台、石巻。という具合にずっと被災地に来ていて思うのだけれど、問題はそう簡単じゃない。もしも問題が簡単であれば、隣のおばあちゃんとか、ネットの掲示板、市役所の人とかがとっくに解決してくれている。
考えざるをえないから問題が顕在化するのだ。
そしてそれは、考えれば考えるほど「原発賛成」「原発反対」というような二分法では語れない。

僕は反原発で、不在者投票で山本太郎に投票した派だ。
彼が当選したのは画期的な意味がある。民主党の候補や桐島ローランドを押さえ、思いきりクソな「維新」ではあるが顔は知られているそこそこ有名人、小倉淳の倍近い得票になりそうだ。
これは素晴らしい。

山本太郎が当選したというのは、
「原発問題こそが争点である」という国民の意思表示が、定数の多い東京だからこそ、きわめて健全な形で自民党政権に突きつけられた
ということである。

と言う僕だが、一昨日の晩は仙台の居酒屋で、「山本太郎は大嫌い」と公言するそこそこ有名な反中派ジャーナリストと飲んでいたのであった。

まあ要するに、毎晩飲んでいるのだが、昨日は仙台から夕方福島に行って、一緒に飲んだ人の中には、冒頭に書いたように「自民党が圧勝したら脱国したい」と思っている人もいた。
新幹線の終電で仙台に戻り、国分町付近で夜中の3時くらいまで飲んだ挙げ句、今日は東松島、石巻方面を経て女川。
女川のプレハブ商店街「きぼうのかね商店街」の焼肉屋『幸楽』の肉がとても美味しく散々ビールや焼酎を飲んだにもかかわらず、トレーラーハウスホテルに戻ってかも、選挙関連ニュースを見ながらグレープフルーツサワー缶500ml二本と日本酒カップ酒を飲み干して、最後の缶ビールに手をつけた僕だ。

というふうにこれも飲んだくれて書いているのではあるが、そろそろ本題に入りつつある。

・反原発の僕が、「女川は原発があって良かったのかもしれない」と思っている。
・山本太郎に投票した僕が、「山本太郎大嫌い」で日の丸なジャーナリストと楽しく飲み、ところが翌晩はゲリラ的革命論を語っている。
・「熱い奴は馬鹿だ」と心底軽蔑する僕が、被災地で熱く頑張る連中に涙する。

こういうことについて、きちんと整理して書かねばなるまい。

右翼、左翼。
政治、文学。
ことば、気持ち。
ヤンキーと哲学者
被災者と東京人。
政治家の性根と軍人の魂。
思い、論理。
3.11に何を学び、何を捨てるのか?

↑これは昨夜、新幹線の中で書いたメモ書きなのだけれど、こういうふうに、何と何の葛藤なのか、これからちゃんと書こうと思っています。
今喋れと言われれば酔った勢いでいつまでも話すのだけれど、やっぱ書くべきだね。

今夜は飲み過ぎでもう駄目だが、次回以降、現代日本の文化的論点を突く対抗概念群やその哲学的意義、さらに「だったらどうすりゃいいの?」まで、ある程度の体系化をめざそうかなと思っています。

酔い潰れるまで。