経済、原発、憲法 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

経済、原発、憲法

まあいろいろあって全然更新できなかったのだけれど、選挙と言うことでテレビのニュースで「争点は経済、原発、憲法」と言っていたので、そのことについてだけ軽く書いておこうと思う。

まず経済だ。

アベノミクス。
最近では「母さん助けて詐欺」に匹敵するセンスのないネーミングだが、それはまあともかくとして、安倍政権が実質的になにもしていないうちから株価は上がったりしていたわけだった。
これはつまり、単にみんなが「安倍政権で景気が良くなるんじゃないか」というムードになったからである。
もっといえば、「安倍政権で景気が良くなるんじゃないか、とみんなが思うんじゃないか」と投資家連中が予想したからであって、さらにもっと言えば、今や東証一部の出来高の50%以上を占める(とどっかで読んだ気がするのだが)海外禿鷹ファンドの連中が、「安倍政権で景気が良くなるんじゃないかと思っていたら実際良くなりそうだから株でも買っておこう、と日本人の一般投資家に思わせるために株を買って、高値になったところで売っ払って一儲けしよう」と企んだからでもある。

株価は期待感だ、という人もいるけれど、それだけじゃないよ。
期待感を煽って一儲けを企む巨悪がうようよいるのだ。
グローバル経済というのは、そんな世界中の狡賢い連中にさらされるということなのである。

あと、経済問題の論点である自由化・市場開放。
競争が進めば良いモノが低コストでできる。なので国際競争力も増すし景気は良くなる。
というのが競争社会を善とする人たちの考え方である。
だがこの考え方は、言い方を変えれば「競争に負けた奴になんか構ってられないよ」ということでもある。

注意しておかなければならないのは、この場合の「競争」とは、「美味しいものが作れる」とか「優れたプログラミングができる」とかではなく、それを武器に「市場で勝つ」ことに尽きということだ。
つまり「良いモノを作る」こと以上に「商売的に上手くやる」という「競争」であって、どんなに素晴らしい職人技も市場で勝てなければまったく意味がない、という考え方なのである。

実際、たとえば大儲けしているファンドの連中なんかがやっているのはモノ作りなんかでは決してなく、カネでカネを増やす数字のマジック、錬金術みたいなもんだ。
当然のことながら、彼らがやっているように架空の数字をいじくって一儲け企むというのはそもそもマクロ的には無理があって、それがリーマンショックを引き起こし世界経済をどん底に追いやったわけだけれど、その後もそんな手口が抜本的に規制されることもなく現在に至るので、今でも「カネを転がしてカネを産もう」という詐欺師連中が大手を振るっている。

要するに、競争を自由に認めようという発想は、「金儲けの下手な奴が不幸になっても仕方ない」「良いモノを作ることよりも、それでいかに商売するかのほうがずっと大切だ」
という、あくまでも「強欲目線」の考えであることは忘れてはならない。

あとさ、そもそも根本的な問題として、「経済成長」ってなんでしょう?
もしも、GDPが上がりました、っていっても、1%の富裕層がより一層金持ちになるだけだよ。
ごく一部の富む者はさらに富むが、そんな富が貧しい人やフツーの人に配分されることはない。(なぜならば富の再配分は金持ちの強欲さだけが原因ではなくそれを認める社会システムそのものの必然的要請であるからだ)

どんなにGDPが上がっても、あなたも私も、その子どもも孫も、『金儲け競争』の上位1%に入れなければ、一生うだつの上がらない生活を送るであろう。

憲法の話。

憲法というとどうしても「9条問題」だと思う人が多いようだけれど、僕は一番の問題点はそういった個別問題ではないと考えている。
つまり、「そもそも憲法とはなにか」ということだ。

法律というのは国家が国民を縛るためのものではなく国民が国家権力を縛るものである。
これが大原則。
「国家が国民に対して『人を殺してはいけない』と命じている」のではなく、「国民が国家に対して『人を殺した奴にはこれだけの罰を与えても良い』と制限している」のである。

これを知らない人が多いのに僕は驚いていて、半年くらい前だったかある集まりで法律のことを話し合ったときに「人を殺してはいけないって法律で書いてある」などという人がいたので、そんなことは書いてないのですよ、人を殺した人にはどれくらいの罰を国家が科すことができるのかが法律に書いてあるのであって(たとえば何年以上何年以下の懲役とか)、すなわち、国家権力が国民に対してどこまでやっていいかをちゃんと線引きする、それが法律なのですよ、という話をして、今酔っていて面倒臭いからどの記事だったか探さないけれど、それをこのブログにも書いたら、「なるほど」とか言ってくれる人が何人もいて、そんなこと当たり前だと思っていたのにみんな知らないのでこれはまいったなあと思っていたのでした。

憲法は国家権力が国民を統制するためのものなどではなく、国民が国家権力を統制するためのもの。
この大原則が立憲主義だ。
現代の民主主義思想の根本を為す発想だと僕は思う。
この前週刊文春で読んだ宮崎哲弥さんの記事よると、中国の憲法は立憲主義を否定しているらしい。とすれば国家がやりたい放題だ。あの国の滅茶苦茶さはそんなところにもある。

だからね、僕的には96条とかあるいは9条とか、そういう問題ではないと思う。

最後に原発。
原発問題はすでにたくさん書いたのでちょっとだけよ(あんたも好きねえ)。

今でも、原発がなければ困る、と言っている人たちがいる。
でもさあ、今あんまり困ってないじゃん?

震災前、日本には商業用原発(つまり電力会社が発電して儲けるための原発)は全部で54基。
その状態で、原発は日本の電力需要の約30%を作り出していた。
原発というのは、じつは融通が利かない発電システムで、原理的に発電量の調整ができない。
そこで、調整がきかない原発の発電量に合わせて火力などのフレキシブルな発電量を調整。で、その結果「電力の三分の一は原発です」などという都合の良いお話をでっち上げていた。
ところが、福島事故後、しばらくは国内すべての原発が停止し、今でも動いているのは関西電力大飯原発の2基だけである。

54基中2基しか動いていない。

で、誰が困っているの?
と問えば、
それは電力会社とその仲間内だけでなのある。

東電が柏崎の原発を動かしたいと言っているのは、そうしないと赤字が続いて会社が持たないからと言う国民目線ではなく自社目線の身勝手な言い分だが、それはまあ今は問わないにしても、彼らがなぜそう思うのかと言えば「原発のコストは安い」という計算である。

ところがどっこい、原発のコストが安いように見えるのは、国から出ている立地自治体への各種補助金や、廃炉費用、使用済み核燃料処理費用などを計算に入れていないからであって、さらに、福島事故の経済的損失を考えてもしもそれをまかなうだけの保険料を払うのであれば、原発のコストは恐ろしく高い。

その詳細は、立命館大学の大島堅一さんによる『原発のコスト――エネルギー転換への視点 』(岩波新書)や『原発はやっぱり割に合わない―国民から見た本当のコスト』(東洋経済新報社)などを読んでいただくとして、ぶっちゃけ、ほとんどの原発が止まっている今、なにか問題ありますか?

電気料金が上がるとか言う心配は、さっきも書いたように、原発のコストは税金で払われている分(国民負担)とかを差し引いて不当に安く見積もられているし、さらにいえば地域独占で殿様商売の電力会社が高コスト体質だからである。

エネルギー安全保障のことを言う人もいるが、であればなおさら、輸入に頼らなくてはならないウラン燃料で電力をまかなおうとするのはやめるべきだ。

ああもう眠いや。

寝ますね。