福島で花見。水俣病。就活。サッチャー。アベノミクス。ボストンマラソン。 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

福島で花見。水俣病。就活。サッチャー。アベノミクス。ボストンマラソン。

先週だけど、福島の人たちの花見に参加させてもらった。
福島市内の信夫山。県外の僕らは「のぶおやま」と読んでしまうけれど、正しくは「しのぶやま」。福島市内の人にはそれ以外の読み方は考えられないくらい、市民に親しまれている小さな山。桜の名所である。

山なので坂道を登っていくのだが、途中に見える風景がこれ。
満開の桜の下に「除染作業中 立入禁止」の立て看板。

語り得ぬものについては沈黙しなければならない。-除染作業中


シートを敷いて花見酒をいただいた芝生の広場には線量計があって、1.268μSv/hの表示。風向きなどで数字はころころ変わり、1.3を超えることもある。

語り得ぬものについては沈黙しなければならない。-線量計の脇で花見

どう考えても異常な風景である。
しかし、福島の人たちにとってはそれが日常だ。ていうかここではそれを受け入れて生きていくしかない。

震災前僕は、福島と言えば会津地方しか馴染みがなかった。猪苗代、磐梯山のほうには良いスキー場がいろいろあって、スノーボードを始めた15年くらい前からは毎年のように行っていたし、土湯とか玉子湯とか気持ちの良い温泉もたくさんある。
だけど中通り浜通りにはまったく縁がなかった僕だったが、震災後は特に福島市内には何度も足を運び、居酒屋、ワインバーからスナックまで数十件の店で飲んだし、類い希なる方向音痴の僕でも福島市内で道に迷わなくなってきた。
つまり、たくさんの人たちと話をした。
するとだんだん、その町やそこで暮らす人びとのことが大好きになっていく。

だから、福島の人たちの気持ちも、ほかの東京の人間よりは少しはわかっていると思う。
僕は断固たる反原発だが、福島の人たちが東京の反原発運動に対して抱く違和感や、わだかまりなんかも、もちろん100%とは言わないけれど、自分も感じることができる。

しかしそれでも、線量計の脇で花見をするのは異常である。

昨日は家で仕事をしていて、途中で飽きたからTVを点けた。TBSの「報道特集」で水俣病の問題を取り上げていた。
先週、これまで水俣病と認められなかった人の患者認定を認める最高裁判決が出たわけだが、ほんとうにひどい話で、水俣病というのは1956年に発生が確認された公害病である。57年経って、やっと今回の判決が出た。
これまで国が決めていた水俣病認定の条件は、いくつもの特有の症状が組み合わさったケースだけを水俣病と認めるというもので、単独の症状の人たちのことは、それがどんなに深刻でもけっして救おうとしなかった。

認めてしまったら救済にカネがかかってしょうがないというのももちろん行政の本音だし、腐った行政システムが自分たちの非をけっして認めようとしないというのも毎度お馴染みのことである。
さらに、高度成長時代の当時、国としては、化学工場会社(チッソ)に原因のある病気で騒がれるのは困ったものだったのである。工業化こそがいわば国策であったし、経済成長こそが最優先だったからだ。
そこに味噌をつけられたくはないのである。

長年水俣病問題に取り組んできた作家の石牟礼道子さんが番組内のインタビューで原発問題について語ったことばが頭に残る。
「まったく同じことが行われている」

僕は福島の人たちが好きだし、もちろん応援したい。でも、これだけは言っておかなければならないと思う。
きっとこれから、被曝による病気がたくさん出ます。そして、半世紀経っても、国はそれを認めないでしょう。

今回の最高裁判決は
「昭和52年に国の認定基準が示した症状の組み合わせが認められない感覚障害のみの水俣病は存在しない、との科学的な実証はない」
として、「複数症状の組み合わししか認めない」という国のやりかたは間違っていると結論づけた。
しかしそれでも国は、「判決は認定基準そのものを否定しているわけではない」(環境相)と、基準そのものは見直さない方針で、つまり、一件一件裁判沙汰にして何十年も闘わない限り相手にはしないよ、国のほうからは救わないよ、という態度である。
これは、現在の環境相がたまたま低能な石原伸晃だったからではない。行政というのは自分の罪に対してどこまでも逃げようとする。そういうことだ。

半世紀後、僕は生きてはいないけれど、福島被曝裁判はまだ争われている最中に違いない。
放射線被害が甲状腺癌だけではないことも、その頃にははっきりしているだろう。
面倒なのでここで詳細は書かないけれど、被曝は、からだのあらゆるところに影響を及ぼす危険性がある。癌だけじゃなく、脳味噌だって影響を受ける。
2063年、多くの原発事故被害者がまだまだ係争中だろう。
2011年に胎児だった人が原告かもしれないし、遺族が裁判を継いでいるかもしれない。

いずれにしても福島の人たちには、やがてそういうことになるよ。あるいは、なるかもしれないよ、という頭でいてほしい。
辛いけれど。
このまま線量計の脇での花見を受け入れてしまうのは異常だよ。

原発も国策である。水俣病当時の国策工業化と見事にかぶる。
また、「経済成長こそが善だ」という盲目的、狂信的な価値観も、当時と今はまったく同じだ。

「報道特集」ではほかに、就活大学生の自殺を取り上げていた。
「圧迫面接」と言って、面接官が受験生に対しわざと威圧的な態度で暴言を吐いたりするやり方が横行している。
「弱肉強食こそが正しい」という資本のルールを持ち込もうというわけだろう。
その結果、心の優しい若者がはじかれる。
厚顔無恥なヤツらの思う壺だ。

先週、サッチャーの葬式がニュースになっていたが、確かにサッチャーは経済を立て直したのかもしれない。でもその結果、英国では格差が広がり、弱い人たちはより貧しくなった。
「改革には痛みが伴う」。経済最優先の新自由主義者の常套句だ。
でも、結局、痛みを負うのは弱い者だけである。
富む者は富んで、何の痛みもない。

2013年「虫酸が走るほど気持ち悪いことば」ワーストワンは「アベノミクス」だが、就活でもそれ同様に、心の優しい人が潰され、厚顔無恥が大手を振るう。
日本も、そんな馬鹿国家の一員になろうとしている。

僕は文章を書いたりとか本を編集したりとか、そんな仕事しかしたことがないのでほかの仕事のことはわからないのだけれども、少なくとも言えるのは、そんな分野で仕事をしたくて、なおかつくだらない企業から採用を断られて困っている若い男子に言いたいのは、
就活なんかやめちまえ。
ということだ。
ヒモになれ。
若い青年を喰わせてくれる素敵な女性はたくさんいる。

おっと話が横道だ。

ボストンマラソン爆破事件で容疑者兄弟の兄が射殺され弟が捕まったことで、地元の連中が町に集まって大喜びで歓声を上げている映像をテレビが伝えていた。
喜ぶのはいいのだけれど、「USA! USA!」の大合唱である。
気持ち悪いったらない。
僕は日本が好きでちょっとした愛国者かもしれないけれど、日本で同様の事件が起きて犯人が逮捕されたときに、集団で「ニッポン! ニッポン!」と叫んだりはしない。
米国人の馬鹿丸出しと言ってしまえばそれまでだが。

辛いことばかりの世の中だ。