落第新聞社 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

落第新聞社

早起きして時間があるので、ひとこと書いてから出かけよう。

普段新聞は読まないのだけれど、ホテルに泊まると無料でもらえるので朝食の時に読む。
で、今朝の朝日新聞なんだけど、二面に「TPP危うい国益」という見出しで、クルマに関税をかけろという米国の要求を呑んだのに日本の第一次産業を守れるかはちょっと危ないというような記事があるのだけれど、そんな状況になることなんか最初からわかってたじゃん。

よく覚えてないんだけどさ、朝日だってTPP賛成してたんじゃなかったんだっけ?
日本の馬鹿な政治家連中が米国の言うなりなるというのはこれまでだってさんざん繰り返されてきたわけで、彼らにやらせておいたら今回もそうなることは火を見るよりも明らかだったのだ。日本の第一次産業、特に農畜産業は壊滅的な打撃を受けるだろう。

(米国に)譲歩を重ねて経済面のメリットがぼやけるなか、首相が前面に出すのは安全保障面のメリットだ」というが、ほらね、政治家って言うのはそういうふうにずるずると話が変えていく。
安全保障というのであれば、重要なのは食料とエネルギーであって、TPPで自給率が下がり米国に色を牛耳られてなにが安全保障だというのだろう?
(エネルギーに関しては、輸入するしかないウランなどではなく、完全なる自給自足の再生可能エネルギーや、日本の海で採掘できるメタンハイドレートとか、そういうのを頑張るべきなのは当然だ)

ほんとうに新聞は馬鹿だ。

あと、これはもうお笑いなのだけれど、原発権益の見方産経御用新聞が、昨日、『原発「規制」基準 真の安全が遠のくだけだ』というオピニオンを載せている。(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130412/plc13041203320003-n1.htm

規制委員会が示した案を「原発の安全性を高めて活用していこうという健全な精神が伝わってこない内容」だという。原発を活用することこそ「健全な精神」だってさ。
推進派の連中はこういうふうに、いきなり精神論から入るんだよな。「現実を見ろ」と言ってきたのは君たちぢゃあなかったのかい?

「安全基準」とされていたのが「規制基準」に変更されたことについて、「反原発色が鮮明な新聞社に寄せられた読者の声が改称のきっかけであったというから驚きだ」とびっくりしてみせるのも笑っちゃうが、「極めて重要な基準の名称を安易に変更する規制委の常識を問いたい」らしい。
まったく安全じゃないくせに「安全」「安全」と言い続けて今回の事故が起こったのだし、汚染水問題に見られるように未だにお粗末な現実があるからこそ、「安全」などと言わずに「規制」することが「極めて重要」だという「常識」が、御用新聞には通用しないようだ。

「原発の安全性は、段階を踏んで着実に向上させていくのが本来の道筋」というのも、何がどう「本来」なのだろう? 安全じゃなくても稼働させるべきだとしか聞こえない。

「活断層かどうかの議論の入り口で立ち続けるよりも、万一に備えて施設の耐震性を高める方向に進んだ方が賢明だ」と言いながら、「規制委の取り組みは、断層やフィルター付き排気施設といったハード寄りの対策に偏っている」と批判する。いったいどっちなの?

挙げ句の果ては、『硬直的な「規制」を振りかざしていると、真の安全性は遠のいていく。それを忘れるようでは落第だ』だってさ。
「健全な精神」「本来の道筋」同様に、ここでもまた、「真の安全性」などという形而上的なことばが無根拠、無反省に使われている。こういうことばの使い方に知的、文化的レベルの低さが如実に表れるわけで、僕が編集長だったら、たとえ原発推進するにしても、こんなひどい文章は恥ずかしくて載せられない。まさに新聞社として落第だ。