『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

13:25
石巻から仙台に向かうバスの中である。
このところ、ある映像の仕事があって何回か被災地に行っている。いつもは監督、カメラマンと一緒だし撮影機材があるからクルマで移動するのだけれど、今回は調整だけなのでひとり。クルマは借りない。
津波でとても大きな被害を受けた地区の方に取材交渉をしていたのだった。
お会いするととても良い人たちばかりなのだが、取材のお願いは難しい。ほんとうにすまなそうに「メディアでは喋りたくないのです」と言う。
被災地の方々の傷はとても深いのだ。
「思い出したくない」と言われて当然だし、メディアに対する不信をあるだろう。
彼らの傷は、東京で暮らす僕らの、理解や想像を超えたものがある。
僕らは彼らと気持ちを共有したいと思うが、そんな発想こそおこがましいのかもしれない。
もちろん、(ボディランゲージや視線といったような広い意味も含めて)ことばを交わさなければ、何も始まらない。
だから、できるかぎり直接お会いしてお話しする。
しかし、僕らはその行為に、罪の意識さえ感じてしまう。

昨夜は代官山蔦屋書店で行われた「世界で一番早く村上春樹の新作を読む」イベントに参加させていただいた。
プレスも20社くらい来てたらしい。テレビのコメントを求められたが、言わないで良かった。

僕が「色彩」で思い浮かべたのは例によってウィトゲンシュタインで(遺稿をアンスコムがまとめた『色彩について』という本がある)、そこでは色彩は、感覚的なことがらではなく、論理的、言語的なこと(言語ゲーム、ルール)として考察されている。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
村上春樹の処女作『風の歌を聴け』の最初の一行だ。
つまり、この作品は、「文章を書く」「ことばで伝える」ということが最重要テーマである。
そして作中、架空の作家デレクハートフィールドに
「大事なのは感性じゃない。ものさしだ」
と言わせたように、作者も、作中の主人公も、ストイックなまでに論理的、また正確であらんとする。
そんな、徹底したことばのストイシズムこそが、ドーナッツがあってはじめて穴が存在するように、世界や人生(そしてもちろんことば)の不毛さを示し出す。
なんというのか僕には、『論理哲学論考』(いわゆる前期ウィトゲンシュタイン)と同じ構造のように思えてならない。

だからこそ、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』というタイトルを知ったとき、ふと頭に浮かんだのが、「感覚ではなく、論理やルールとしての色彩」という、後期ウィトゲンシュタイン的な発想だった。
ところが読んでみたら全然違った。
テレビカメラの前で迂闊な発言をしなくてよかったよ。

15:49
仙台でホテルにチェックインし、電話をかけまくる。
明日の夕方は福島に行く予定だが、その前に取材調整ができないかと当たっていたのだ。
津波で流されてしまう前の住所と電話番号ならわかる、という場合があって、それを頼りに現在の連絡先を探したりする。
まあこのご時世では教えてくれないと思いつつ、郵便局に転送先を聞いてみようと電話するがずっと話中。こう言う場合はひとつ違いの番号にかけてみるわけだけれど、ガチャ切りされた。郵便局はどこでもだいたいそうだ。クロネコヤマトならそんなことは決してない。まあどうでもいいけど。

というわけで一段落してこれを書いています。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』読了後、始発の東北新幹線に乗ったので全然寝ていないのだけれど不思議と眠くはない。

まだ読んでいない人が多いと思うので、具体的な内容は書きません。
ただ、なんというのか、物語を紡ぐ過程でも読む過程でも、一番面白いのは、いろいろな出来事が生命力をもってぐんぐん枝を伸ばしながら幹を太くしていく、そんなときだ。
ところが、やはりどこかで物語は終わらせなくちゃいけない。無限のページ数の書物は存在しない。
で、まとめにはいっていくと、やっぱ収縮感ていうか、やや強引に幕引きに入った感を感じてしまうのだった。
そこでこの作品では、もう一度、少し蛇口を開けた状態で最後のページを迎えるわけだが、もしかしたらこういうのがよくわからない、という人もいるかもしれない。
でも、ここで蛇口を開けなかったらしっくりこないっていうか、最後の絶妙な蛇口の開け加減がいいなあ。
と僕は思う。
(僕としては、ケン・ローチとか、ミヒャエル・ハネケみたいなエンディングが大好きだったりするわけので、もっと唐突でバラバラでもいいんだけど…)

さて。

「色彩」のことと並んでもうひとつ気になっていたのが、震災のことだった。
つまり、震災が作品にどのような陰を落としているか。
素通りすることはできないんじゃないかと思われたからだ。

で。
震災の話は、まったく出てこない。(たしか一行だけ、大地震と洪水、というような比喩があったけど)
しかしそれでも僕がこの作品に「3.11以後」を感じたのは、『罪』の描き方だった。
もちろん、古今東西『罪』を扱った作品はたくさんあるのだけれど、なんというのか僕は、今、それがあらためて問われているような気がしてならない。

我々は、少なくとも僕は、津波や原発事故被災者の方々と接している中で、少なからず罪の意識を持っている。
誤解してほしくないのは、ここにはポジティブな意味合いはまったくないということだ。
つまり、「罪の意識があるだけ自分はマシだ」などということではまったくなく、むしろ逆に、反論や言い訳の余地がない腐った心根。
どうしようもなくその存在を認めるしかないのだ。