「規制緩和」とは、「生命」よりも「金儲け」を優先するイデオロギーである | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

「規制緩和」とは、「生命」よりも「金儲け」を優先するイデオロギーである

3月、4月に引き続き、今月も先週土曜日「てつがくカフェ@ふくしま」に参加させていただいた。
福島市内のホテルがどこも満室だったので泊まるあてのないままに、福島の人たちと朝方近くまで飲んで、結局は福島大学の倫理学の先生のお宅で休ませていただき、始発の新幹線で帰ってきた。

そんなわけでまたまた思うところもたくさんあり、「福島で哲学」(http://ameblo.jp/jun-kashima/entry-11240902014.htmlhttp://ameblo.jp/jun-kashima/entry-11248225191.html)の続きも書かなければならないのだけれど、今回はちょっと別の話。

もう一日遡って、先週金曜の晩は昔の編集部仲間と赤坂で散々飲んだあと中目黒に帰ってきて友達の女の子が「電気が足りないんだったら原発も仕方ないじゃん」というのをバーのカウンターで朝まで説教して、あまり寝ずに福島に向かいその晩も朝方近くまで飲み、始発の上り新幹線の中でも缶ビールがぶ飲みしていたから家に帰って爆睡。
起きたら夜の10時だ。
目が冴えてしまったし、金環日食があるというので起きてようかなと思い、まだ時間があるから、見逃していた先月放送のETV特集 『世界から見た福島原発事故』を見たのであった。


ETV特集 「世界から見た福島原発事故」

NHKの原発報道は駄目な部分も多いけれど、ETV特集『ネットワ―クで作る放射能汚染地図』のように、報道の良心を感じられる番組もある。
この番組もそのひとつ。

まあ、見てもらえればわかるのだけれど、
「原発でシビアアクシデント(福島で起こったような過酷な事故)なんか起こらない」と断言してきた日本の原子力ムラの連中の馬鹿さ加減が、いかに世界とかけ離れた根拠のない「神話」だったのかが一目瞭然。

福島第一原発で事故を起こしたのは、米国ジェネラル・エレクトリック社のMark-1という型式の原発である。
事故で電源が喪失し圧力容器内の水が減って「これはまずい」ということになった場合は、「ベント」と言って、中の気体を逃がしてやらなければならない。
もちろんこれは電源喪失の場合であるから、電動のベントではなく手動で出来るようにしておかなければならないのだが、東電のマニュアルでは「電動ベント」の記述はあっても、電源不要の「手動ベント」についてはまったく書かれていなかった。
停電の際に(電気の来ていない)部屋のコンセントで明かりをつけましょう、と言っているのと同じで、端的に意味がない。
だから、地震、津波のあとベントに手間取り、1、3、4号機は水素爆発した。

で。
原発推進国であったスイスでもMark-1を使っているわけだが、ここでは全電源を喪失しても、手動でベントするためのレバーが、建屋のかなり目立つ位置にある。
また、ベントというのは放射性物質を否応なく環境に放出するということになってしまうのだが、スイスの場合にはちゃんとした除染フィルターが設けられている。もちろん、これにも電源は必要ない。

そんなスイスの原発で要求されているのは
「1万年に一度の地震と洪水が同時に起きても対応できるようにすること」。
そのためにいろいろな対策がなされている。
日本の原発で核燃料の冷却水といて使用しているのは海水だが、川の水を冷却水として使っているスイスの原発では、「もしも何らかの理由で、その川の水が使えなくなったらどうするのか?」と考え、別の川からトンネルを掘って水を引くような大がかりな工事を検討しているのだ。
当然のことながら、それにはもの凄くお金がかかる。
でも、それが必要であればやらなければならないと考えられている。

スイスが想定している「1万年に一度の地震と洪水が同時に起きる」というのは1万×1万=1億年に一度だよ。
「日本の原発は千年に一度の地震に耐えて素晴らしい」と言ったとてつもない馬鹿がいた。
経団連会長の米倉弘昌である。
この糞ジジイの認識の甘さは、まったくお話にならない。

Co2削減の観点から原発推進だったスイスだったが、福島第一原発事故以後舵を切り、脱原発となった。すべての原発は2034年までに原発は段階的に廃止するという。

コストの観点から見ても18年後には原発よりも自然エネルギーが安くなる、というのはスイス政府のエネルギー問題委員会のメンバー、ザンクトガレン大学教授ロルフ・ウステンハーゲン教授である。
原発は、あらたなリスクが見つかるたびに安全基準を作って対策をしなければならない、しかも、原発は量産品ではない。大量に作ればコストが下がるソーラーパネルのようなものとはまったく違うのだ。
だから、自然エネルギーと違って、コストの低下は見込めないのである。

スイスの原子力会議元副議長、ブルーノペロー氏は、30年前から東京電力に「コストもそれほどかからない追加の安全対策があるのだからそれは導入したほうがよい」と忠言していたそうだ。
だが、そのたびに東電はにこにこしながら「私たちには必要ありません」と言ってきたという。
「日本の原発は安全です」と、何度も聞かされたという


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「原発でシビアアクシデントなんか起こらない」という日本の「原発安全神話」は、「神風が吹いて勝てるから、女子や子どもも英米の戦闘機や砲弾に竹槍で闘え」という大平洋戦争時の日本の馬鹿げたスローガンとまったく同じレベルだと言うことがよくわかる。

腐った原子力ムラと、あれだけの事故を起こしておきながら彼らを庇って責任追及をしない政府やマスコミ。
日本というのはほんとうに野蛮な国である。

と。
ここまでETV特集 『世界から見た福島原発事故』の内容を紹介してきたが、
原発に反対する人ならば、誰でもが「その通り!」と思うだろう。

でも、本題はもうちょっと違ったところである。

番組では米国原子力規制委員会(NRC)が、の1979年のスリーマイル島原発事故をきっかけに、「ベント」の規制を義務づけるか検討していたという話が紹介される。
事故を教訓にNRCは、シビアアクシデントに備える対策を始めていたのである。

スリーマイル島の事故は、国際原子力事象評価尺度 (INES) において「レベル5」であり、史上最悪の惨事となった福島やチェルノブイリの「レベル7」と比べればまだ軽い。
とは言っても、炉心は溶解し、世界中に「原発に安全はない」ことを知らしめた大事故だ。

NRCは、米国内すべての原発に対し、「万が一の際にはベントが出来るように」対応することを義務づける命令を出そうとしていたのであった。

これに猛反発したのが原発を持つ電力会社で会った。
ベントの必要性は認めながらも、国の規制(義務)ではなく、それは電力会社の「自主的対応」であるべきだと主張したのである。

市場原理主義者(もっとわかりやすく言えば資本主義が正しいと疑わない人々)がよく使う理屈だ。

すなわち、
「もしも事故を起こしたら電力会社は大損をするわけで、それを考えたら自主的にベントを取り入れるはずだ」
「だから、市場に任すこと、つまり国の規制ではなく民間に任せることが一番だ」

そんなふうに、電力会社が規制(義務)に猛烈に反発したその結果、ベントは「規制」ではなく「自主的な取り組み」となり、その後のNRCの監視対象から外されてしまった。

だがその結果、
使い物にならないベントが、あちこちの原発に存在することとなってしまったのだ。
ヒューズがなかったり、いざというときの手動操作バルブが手が届かないような位置にある、とか。

要するにうわべだけ繕ってまったく役に立たないリスク管理なのだが、なぜそうなってしまったのかといえば、電力会社が余計な金がかかるのが嫌だったのだろう。

企業というのは本質的にそういうものである。
つまり、千年とか1万年に一回といったリスクのために余計な投資をしていたら、原価やコストがあわないのである。
「規制(義務)」があって同業種の全社がそうしているのなら、他社との「競争」のスタートラインは同じだ。
でも、単なる「自主規制」であれば、他社より半歩でも先からスタートしたほうが良いに決まっている。
これが「1年に一度」のリスクなら、もうちょっと違った考えになるだろう。でも、「千年に一度」のリスクに真面目に対応していたら「競争」に負けてしまう。
だから、金や手間はかけない。
そういう考えだ。

だから、運良くトラブルが何も起きなければ「結果オーライ」だが、福島のように事故が起こってしまい多くの人の生命や健康が脅かされることになってしまったら、もうお手上げ、ということになるのである。

要は、規制緩和なんかを進めて、なんでもかんでも企業の自主規制に任せてしまったら駄目だ、ということである。

「規制緩和」というと、「=良いこと」と思う人がまだいる。
これは全くの間違いで、企業というのは金儲けが目的の組織であるから、そのためにはなんでもやる。
もちろん、ときには「良い子」のふりをして慈善的な活動なんかもするだろう。
でもそれだって、結局は金儲けのためだ。

想像力の欠如した財界の連中などは「規制緩和」を金科玉条の如く唱えるが、その発想は、「千年とか1万年に一度のリスクなんかまず起こらないのだから、言い訳になる程度に『自主的に対応』しておけばいいだろ」ということだ。
(千年先のことを考えている経営者など、まず存在し得ない)

「規制緩和」とは、「生命」よりも「金儲け」を優先するイデオロギーなのである。
(イデオロギー=普遍的な真理でも最善の方法でもない。マルクス主義と同じ単なる偏った政治社会思想)

もう寝るよ。