Japan's children of the tsunami | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

Japan's children of the tsunami

ペタをいただいたTMKさんのブログ(http://ameblo.jp/tennjinnniimasu/entry-11181243554.html)で紹介されていた、英国BBCのドキュメンタリー『Japan's children of the tsunami』を見た。



津波と原発事故に遭った子どもたちから話を聞いた記録だ。

東電や原子力ムラと言った「巨悪」に斬り込むドキュメンタリーではない。
だから、普段から「どうしたら奴らを懲らしめられるか」を考えている僕のような人間にしてみると、最初はちょっと物足りなく感じる。

でも、東京にいる僕、つまり、せいぜい本棚とCDラックが倒れしばらくコンビニで何も買えなくて困った程度の僕が東電や政府に対して怒っているのなんか、被災地の子どもたちが実際に感じた辛さや悲しみとは比較することさえできない、と思い知らされることになる。

10歳にも満たない子どもたちが、カメラを向けられて淡々と喋るのだ。
その淡々とした喋り方が、問題の奥深さというのか、ほんとうの被害者の悲しみの深さを物語るのである。

TMKさんがブログに記した内容がまさに要点をついていて、是非それを読んでいただきたいのだが、

ここまで福島の子供たち目線のドキュメンタリーを日本のテレビで見たことがない。
このドキュメンタリーが海外からということに日本の報道に絶望を感じる。


と書いているのにはまったく同感である。

(これは子ども本人の語りではなく彼女のお母さんが言っていたことだが)被曝したせいで、将来好きな人と結婚できなくなったらどうしよう、子どもが産めなくなったらどうしよう、と心配している小さな女の子がいるのだ。
あるいはまた、避難したものの住む場所がなく、仕方なく立ち入り禁止区域のすぐ外側で暮らす小学生の女の子が「心配になるけど、他に行く場所がないから、もう我慢するしかないなあって思って、ここにいます」と覚悟を決めているのだ。

事故から四半世紀が経ったチェルノブイリでは、事故当時子どもだった女性が、先天性の障害を持った子を出産する例が増えている。
もちろん急性被曝ではないので、バタバタと人が死ぬようなことはない。
しかしそれでも、そんな不幸が、今でも続いているのである。

日本では、この期に及んで「心配ありません」と安全デマを吹聴している糞御用学者どもがいて、僕はひとりずつ刺してやりたい気持ちだが、それ以上に、我々(つまり311以前に何もせずに糞どもを許してきた僕)は、なんというとんでもないことをしでかしてしまったのだろう、と思う。
同時に、日本のメディアの無責任さと、僕もその端くれにいる人間としての無力感、情けなさを痛切に感じるのである。

最後に子供たちが話していた将来の夢が心に刺さった。

と、TMKさんが書くとおり、この番組に出演する子どもたちは全員、「将来はパティシエになって土日にはボランティアをしたい」「放射能の研究者になりたい」「困っている人を助けたい」などと言う。

僕なんか小学生の頃の「将来の夢」は「ロボットを作る博士」だった。
脳天気そのものである。
でも、自己弁護するわけじゃないけれど、思うのは子どもの夢なんて明るく脳天気なほうがいいじゃないか、ということだ。

つまり、子供心に「大人になったら人を助ける仕事がしたい」と感じるのは、それだけ辛いことがあったからではないかと思うのだ。
地震、津波は仕方がないかもしれない。しかし、原発災害は我々の責任であり、我々が子どもたちを辛い目に遭わせているのである。

この番組を見ていて、なにかに似てるな、と思っていた。
しばらく考えて、ようやくそれがわかった。
戦争や内紛状態にある国の子どもたちを取材したドキュメンタリーである。
政治や経済的な、すなわち大人の勝手な欲望や思い込みに翻弄され、理不尽な暴力に晒されている子どもたちは、まともでいられる限り、自分がこの事態をなんとかしたいと思う。
つまり、どこの国でも、子どもは子どもなりに、こんな辛い体験を自分の子どもの世代には決してさせたくないと思うのだ。
今、被災地の子どもたちは、それだけ傷ついているのである。

BBC番組なのでナレーションは英語だけれど、出てくる日本の子どもたちは当然日本語で喋っているので、英語がわからなくても全然大丈夫だ。
ぜひ見てほしい。

あと、原発の問題と津波で多くの犠牲者を出した宮城県石巻市の大川小学校の話が、番組では並行して取り上げられている。
これは別問題として扱ってほしかった。