ナニワ・サリバン・ショー | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

ナニワ・サリバン・ショー

今日は原発ネタではありません。ロックンロールについての感傷的な文章なので、関心のない人はスルーしてください。

さて。

『ナニワ・サリバン・ショー』を見に行った。

都内でやっているのは新宿と立川だけで、立川はあまりにも遠いので新宿に行ったのだけれど、上映は23:45の一回だけだ。
つまり、映画が終わったときには電車がない。
これじゃあ子どもが見に来れないじゃないか!!

というわけで、さすがに日付をまたいでの上映なので場内はがらがらだったのだが、パンフレットは売り切れていた。
いわゆるシネコンで、いろんな映画が上映されているのだが、パンフレットが売り切れていたのはこの映画だけだった。
普通ならばパンフレットというのは、予想観客数に対して一定の割合で供給されているはずである。
たぶん、ほかの映画と違って、見た人の多くがパンフレットを買って帰ったのだろう。
つまり、ほんとうに見たい人が集まったのだろう。
僕も欲しかったのに…。

ところで。
僕は映画通では全然ないけれど、それでも作品の評価についてはかなり厳しい。
学生の頃は自主映画を作っていた。
今NHKエンタープライズにいるN君が監督で、僕が脚本を書いた。
第一稿が上がってから撮影に入るまでの約一ヶ月間、N君と僕は毎晩何時間も酒を飲み、脚本の一字一句まで検討した。
翌日、僕は昨夜の議論を踏まえて脚本を直し、その晩それを持っていってまた飲む、という繰り返した。

要するに、僕らは学生だったが、プロの監督と脚本家がするような脚本の練り込みをしていたのであった。
さすがにそれだけやるのだから、自主映画のコンクールでは毎年必ず賞をもらった。
それで僕は、「脚本くらい書けるんじゃん」と自惚れてしまったのだったが、大学を出て15年くらい編集者をやったあと、とある著名な脚本家の先生について勉強をし直したとき、自分の脚本術がまったく見当違いだったことを思い知らされた。

先生の語ることは目から鱗だった。
なるほど僕が好きな映画は、こんなホンだから僕は好きになったのだ、と手に取るようにわかった。
ところが、いざ自分が書こうとすると書けないのである。

そんなわけで僕は、自分には才能がないのだなと思うに至ったのだが、それでも、他人の作品を見たときには「良いホン」と「駄目なホン」というのが明確にわかるようになった。
言うは易く行うは難しであって、自分では書けないくせに、他人の作品の評価だけはかなり正確にできるのが僕だ。

何が言いたいのかというと、
そもそも『ナニワ・サリバン・ショー』というのは2001年、2004年、2006年の3回、忌野清志郎がミュージシャン仲間を集めて大阪城ホールで行ったライブである。
そして、映画の『ナニワ・サリバン・ショー』は、「2011年に4回目の『ナニワ・サリバン・ショー』が行われる」という話である。
それを聞いていた僕は、映画にストーリー(ドラマとしての脚本)があるのだと思っていた。
で、「そんなお話を作っても上手くいかないだろう」と、密かに期待して「いなかった」のである。
清志郎のライブ以上に力のあるホンなんて書けるわけがない、ということでもあった。

映画にしても演劇にしても小説にしても音楽にしても、プロフェッショナルがギャラをもらってする仕事については、どんな評価も甘んじて受けるべきである、と僕は思っている。
仕事というのはそういうものだ。
ときどき「ズブの素人に評価されても困る」というような芸術家気取りがいるが、趣味でやっているのではなくそれで飯を食っているのであればそれは「仕事」であり、万人の酷評に晒されても然るべきだ、と思うのである。

だから、生半可な情報で「『ナニワ・サリバン・ショー』という映画はストーリーを軸としたドラマだろう」と決め込み、「でも『ナニワ・サリバン・ショー』にお話をくっつけたって上手くいくはずがない」と思っていた僕は、映画が始まる前までは、「きっと残念な感想しかもてないだろうからブログに書いたりするのはやめておこう」と思っていたのだった。

ここまでが前口上。

いつもながら大変長くてだるい前口上だが、ブログはギャラをもらっていないのでこれでもいいのだ。

と、言い訳をしたところで、本題。

とても良い映画だ。

清志郎はライブでピースサインをする。
それは、「愛と平和」の意思表示なのだが、「夢と希望」でもある。

さっきの話に戻るが、この映画は、「2011年に4回目の『ナニワ・サリバン・ショー』が行われる」という「設定」(反実仮想)ではあるが、底の浅いストーリーがしゃしゃり出てくるようなものではなく、むしろ、素直にライブを楽しむ映画なのであった。しかも、ジャストワンアイデアだけれど、最後には笑って泣ける構成になっている。

「夢と希望」のことだった。
それこそ、言うは易しである。
そんなことばは誰でも吐ける。
ところが、ほんとうに「夢と希望」を伝えられる人は、極めて少ない。

ええと。
映画を見終わったら午前2時だったので、歌舞伎町のロックバーに行ってガンガン飲んで酔っ払って帰ってきて、今も飲んでいるので難しいことは言えない。
俗な言い方をするが聞いてくれ。(だからロジックはありません。重箱の隅をつつくような反論はしないでくださいね)

たとえば、「善」を語るためには「悪」が必要なように、あるいは「美」を語るには「醜」を測ることができなければならないように、「夢と希望」を伝えるためには、それ相応の絶望を知っていなければならない。
「闇」を知らない人には「光」の素晴らしさがわからない。
絶望を知らない人がことばでどんなに「夢と希望」を垂れ流しても駄目だ。
「闇」を知っている人が「光」を語るからこそ、そのことば(あるいは音楽でも映像でも何でも良い)は、闇の中にいる人にも届くのである。

中学生の恋愛相談であれば、すべてのオトナは「俺にもそんな頃があったなあ」と思い出して、くだらないアドバイスのひとつやふたつはすることができる。
でも、我々は中学生ではない。
もう何十年も生きてきて、それぞれが他人に言えないもの凄く大変な経験もしている。
上っ面で「夢を持とう」「希望を持とう」とか言われたって、1ミリも救われない。

ところが、あるとき、琴線に触れる歌があった。
歌われている物語の境遇は自分とはまったく違う。
それでもその歌を聴くと涙が出てしまう。

脚本の先生はそれを「泣きボタン」と言った。
関係ないが、かつて手塚治虫さんの担当だった大先輩の編集者のMさんも「泣きボタン」という同じことばを使った。

「ここを押されると泣く」
みんな、そんなボタンを持っている。
しかしそれは、普段は決して見せない。隠している。なぜならば、簡単に泣かされたくないからだ。泣いてばかりじゃ生活もままならない。

酔っ払いついでにもっと俗な言い方をするよ。

でも、人生の中で何回かは、そのボタンを押されてしまうことがある。
親しい人が押すこともあるが、ときに、会ったこともない、ていうかたまたまラジオから流れていた歌に、不意を突かれてボタンを押されてしまうこともある。

「この歌を歌っている人は私のことは何もわかっていないけれど、でも、一番大事なことをわかってくれる」

そうして、闇の深さを知っている人の歌う歌は、多くの人たちの泣きボタンを押すのであった。
「夢と希望」をつなげるのであった。

そう、それが、ロックンローラーの特権なのだ。
忌野清志郎という、類い希なるロックンローラーが為し得たことなのであった。

話を映画『ナニワ・サリバン・ショー』に戻そう。

僕は仕事でときどき大阪に行くのだけれど、泊まるホテルは決めている。
ホテルが好きと言うより、その街が好きなのだ。
というより、その街の飲み屋が好きなのだ。

いつも行く高架下のバーのマスターは、僕と同じく清志郎支持者で、僕と同じく原発に憤っている。僕が編集した、小出裕章さん、黒部信一さんの本(文春新書)も、彼はいつの間にか買ってくれていた。
去年の夏頃、彼が「清志郎の映画にエキストラとして出たんです」と言っていた。
憂歌団の木村充揮さんとかが芝居するシーンを天満のおでん屋さんで撮影したとき、客のひとりとして映っているのだという。
「へええ」と何気に聞いていた僕だったが、映画を見てびっくりした。
「思いきりでてるやんけ!」(変な大阪弁)

おでん屋さんのシーンで、木村充揮さんたちと乾杯しているのが、彼、まっさんです。
憂歌団に負けないその存在感。
一般人とは思えない彼の濃さ。

まっさんには「目立ちすぎだよ」とメールしておいた。