ざまあみやがれい! | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

ざまあみやがれい!

昨日はブログを書いた後youtubeを見ていたら朝の10時になってしまった。

いうまでもなくインターネットが凄いところは、リンクで横に広がっていくことで、書籍も新聞も雑誌もテレビも、それだけはできなかった。
あえて言えば図書館というのがそういう世界なのだが、そこにはどうしても物理的な制約(所蔵数とか開館時間とかその他)がある。
ネットにはそれがないから、見始めると次から次へと関連動画を追っかけてしまうわけで、酔っ払っているものだから余計止まらない。

なおかつ最近涙もろいので、ライブの素晴らしいロックンロールを観ているとうっかり泣いてしまう。
みなさんが働いたり勉強したりしている午前10時に、50近いオヤジが泥酔してボロボロ涙をこぼしているわけだ。
誰にも見せられない姿だ。

そんなわけで、昨日観た動画から。

まずはこれ。



清志郎の命日、5月2日に武道館で行われた『忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー』で、斉藤和義が『JUMP』と『ドカドカうるさいR&Rバンド』を歌ったときの映像だ。
「LOVE AND PEACE」というものすごくベタなことばが書かれたTシャツを着て現れた斉藤和義の歌も素晴らしいのだけれど、僕は曲間のMCにぐっときてしまった。

その晩僕は目黒のバーで飲んでいて、夜中になると『忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー』に行ってた女の子が店に来たので(お店の人もお客さんも清志郎支持者が多いのだ)、斉藤和義がいったい何を歌ったのか気になって訊いてみた。
『ずっとウソだった』は清志郎の曲じゃないから歌うことはないだろうけれど、『ラブミーテンダー』か『サマータイムブルース』を歌ったかも、と思ったからだった。

斉藤和義が歌ったのは別の曲、と聞いてその晩はちょっとがっかりしたのだけれど、昨晩初めてこの映像を見て、僕はものすごく嬉しくなった。

05:28
「清志郎さ~ん、
まだ…まだ、替え歌は怒られちゃいますよ。
ざまあみやがれい!


このブログを読んでいるような人ならば知っているとは思うけれど、「ざまあみやがれい!」は、忌野清志郎が反原発ソングの放送禁止に抗議するため、生放送の『夜のヒットスタジオ』で「FM東京腐ったラジオ、オマンコ野郎FM東京!」とぶちかました後に吐き捨てた一言である。
忌野清志郎は古いロックンロール『ラブミーテンダー』『サマータイムブルース』を反原発(反核)の替え歌にしてレコーディングしたのだが、それらが電力会社の顔色をうかがう馬鹿なメディアの連中に放送禁止にされたのだ。
一方、斉藤和義は自分の曲である『ずっと好きだった』を、福島原発事故後、反原発ソング『ずっとウソだった』という替え歌にして歌い、youtubeで大反響になった。
そしてきっと、怒られたのだろう。
(それでも斉藤和義はフジロックや、「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」でしっかり『ずっとウソだった』を歌っており、ちゃんと筋を通している)

「ざまあみやがれい!」といえば、3.11以後、原発、放射能関連では日本でトップクラスのアクセス数があるブログのタイトルでもあることは、みなさんご存知かと思う。(http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/
もちろんこれも、清志郎の「ざまあみやがれい!」である。
ブログ「ざまあみやがれい!」には、このタイトルの由来について、「オマンコ野郎FM東京」の動画(http://www.youtube.com/watch?v=puMfTFYCOgI)を紹介した後、次のように書かれている。

実はこの動画は、筆者が個人的に失意のどん底にあるときに友人から頂いたものです。表現を否定されても、表現で立ち向かう忌野清志郎氏に勇気をいただいて、このブログのタイトルにさせていただいています。奇しくもこの動画を頂いたのは3月10日。大地震のわずか1日前でした。
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65721164.html

実際に「ざまあみやがれい!」の管理人さんとお会いして酒の席で話になったのだけれど、管理人さんはそれほど熱心に清志郎を聴いてきた人ではなかったわけだが、それでも、清志郎の発した数多のことばのなかから「ざまあみやがれい!」を選ぶというのはもっとも正しい、と僕やその場にいた別の清志郎支持者などは大いに共感したのであった。

次は、同じ『忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー』から、奥田民生が歌う『スローバラード』



清志郎の名曲を奥田民生がほぼ忠実にカバー。
奥田民生は僕とほぼ同い年だけれど、なんというのか、とても羨ましい生き方をしている。
昔のユニコーンの頃もよく聴いていたけれど、当時は、力の抜き方がすごく好きだった。
どこかで読んだだけで不確かだが、本人はあんまり考えずに歌詞を書くそうだ。
でも、こんな曲もカバーしている。


『最後のニュース』(井上陽水)

僕の大好きだったジャーナリスト、故筑紫哲也さんの『NEWS23』のエンディングテーマだった。
筑紫さんは煙草をがんがん吸って肺癌で死んだ。
清志郎にしても筑紫さんにしても、2011年3月11日以降にこそ生きていて欲しかった人が、癌で死んじゃったんだなあと思うとなんか虚しいけれど、それでも僕は、毎日3箱の煙草をやめようとは思わない。余計なお世話だ。


『悲しくてやりきれない』(ザ・フォーク・クルセダーズ)

最後はエレファントカシマシ。

まずはこれ行きましょう。『奴隷天国』



Wikipediaによると、「発売時のキャッチコピーは、「ここまで言われても、誰も怒らないんだろうなあ。」であった」そうだ。
僕はエレカシのことはよく知らないのだけれど、youtubeのコメント欄では「これは(宮本浩次が)自分のことを歌った曲」みたいな解説があった。
でもさあ、そんなことどうでもいいじゃん。
「俺も糞だが、お前らも糞だ」
それがロックンロールと言うものなのである。
自分に苛立ち世界に中指を立て胸をかきむしって悶絶しながら闘い続ける。
そんな闘いのことをロックンロールというのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
ていうか、なにはともあれものすごくカッコいい。

で。
『悲しみの果て』



人から聞いた話だけれど、震災後にCXで放送された音楽番組で、いろいろなアーティストが被災地の人々に向けて歌ったそうだが、一番多くの人の心に残ったのがこの曲だったそうだ。
ものすごい名曲であることは事実だ。
偽善的で甘っちょろい「一緒にがんばろう」ソングなんて、この曲の前では一瞬で吹き飛んでしまうのは当たり前だ。
では、宮本浩次はなんでこんなにものすごい歌を歌えるのだろう?

それは、『奴隷天国』を歌っているからだ。
つまり、それが自分であれ世界であれ、糞に対して命を賭けて闘ってきたからである。

この曲だけ聴いて、「素晴らしい応援歌だ」と思うのであればそれはそれでいいが、血を吐いて仰け反り回った人間にしか、上っ面だけじゃない応援歌を歌ったりはできないのである。
中学生同士の恋愛相談とはわけが違う。
津波の被災者の人々も、原発被災者の人々も、生活、故郷、健康、仕事、人生すべてを奪われてしまったのだ。
思いつきの「応援ソング」を歌って自己満足している人もいるみたいだけれど、自分がどれだけ糞なのかに正面から向きあって苦しみ抜いた人にしか、本物の応援歌は歌えない。
そういうことだ。

ここでやめておこうかと思っていたのだけれど、ほんとうの最後に、Girls『Broken Dreams Club』。
僕は英語はできないので、前半のインタビューは何を言っているのかさっぱりわからない。なので、曲だけ聴きたい人は01:38から。
でも、インタビューで顔を見れば、クリストファーがいかに病んでいるかは一目瞭然だ。
彼はカルト教団からの脱走者である。
で、たぶんドラッグなんかでイカレているのだと思う。

自分がどれだけ糞なのかに向かい合うには相当のエネルギーが要るわけで、そんなエネルギーがない人たちも大勢いる。
(被災地の話題をテレビで見ると、放送される多くは「元気を出して頑張ります」という前向きな人たちだけれど、実際にはほんとうに消耗しきってしまった人たちもたくさんいるはずなのだ)

だけど、たとえばクリストファーのように、小さい声でもいいから、歌えばきっと救われる、と信じたい。
大きな声を出すばかりがロックではない。