セシウムまみれの雪だろうが、僕はきっと滑る。 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

セシウムまみれの雪だろうが、僕はきっと滑る。

寒くなってきて、良い子はスノーボードに行く季節だ。

じつは僕は、3月10日は、かぐらスキー場に滑りに行っていたのだ。
今年の3月は降雪が続き、3月にしてはものすごく雪が良く、10日の夜に新潟から帰ってきた僕は「来週また寒波が来ます」という天気予報を見て、「よし、じゃあまた来週滑りに行くぜ」と、予定を調整していたのだ。
板もビンディングもブーツも買い換えて、絶好調にやる気になっていたのだった。

ところがその翌日、3月11日に地震が起こる。

前の日まで僕が楽しみにしていた「次の寒波」は、多くの被災者にとって、とても厳しい仕打ちになってしまったのである。

テレビで映し出される、津波の被害に遭われた人々の姿を見て、僕は心から「なんとかしなくてはいけない」「なんとかしてあげたい」と思い、生まれて初めて、「僕は日本という国が好きなんだな」と自覚した。

と同時に、原発事故については心の底から腹が立った。
東電や政府、原発村に対して腹が立ったのはもちろんのこと、これまで原発を許してきた自分自身に対して猛烈に腹が立った。

で。
自分ができることは何なのだろうと考えて、出版界にいるのであれば本を出すべきだと思い、小出裕章さんと黒部信一さんにお願いして本を作った。
原発・放射能 子どもが危ない (文春新書)/小出 裕章・黒部 信一
¥798
Amazon.co.jp
この本を編集するに当たり、原発関連の資料を読み漁った。
amazonプライムの即日~翌日配送で関連書籍を次々に注文していたら、僕の家はヤマト運輸の営業所のすぐ近くということもあって、毎日朝の8時にヤマトの配達員の人が前日に頼んだ本を届けに来る。そして夜8時には当日頼んだ本を届けに来た。
部屋の本棚はすでに一杯だったので、台所に積み上げていたらそこも本の山だらけになってしまい、普段は決してそんなミスをしないうちのねこ(12歳)でさえ、足を引っかけて本の雪崩を起こす始末だ。

そんなふうにして秋になり、ある晩バーで酔っ払って「原発は仕方ない」という人とマジで喧嘩になりそうになった。そこで僕はあらためて、これはまさに人生をかけた闘いになるんだなと悟る。
理想や正義だけの問題ではない。
そこでまずは、自分の半生を振り返りその中で原発問題をどう位置づけていくかが必要だと思うに至り、『第×ラウンド』という記事を書いてきた。

もちろん、次の『第六ラウンド』も書くだろう。
この記事はとてもゆっくりしか進まない。

でも、そうやって僕が1970年代や80年代の話を書いている間にも、福島から放射能はじゃんじゃん漏れているわけだし、にもかかわらず原発システムに首根っこを押さえられた連中は、「原発ありき」のプラットフォームの温存に躍起になっている。
奴らは、「311以前の『これまでの日常』」に戻そうとしている。
誰も文句を言わなかった『これまでの日常』に、ということだ。

けれど、それを許すわけにはいかない。
僕の力など、巨大で複雑なこのシステムにあってはほとんど無に等しいが、それでも、「せめてこれからの人生、恥ずかしくないように生きていきたい」と思うからだ。
この先、どうやって奴らと闘っていったら良いのかと考えている。

さて。
明治の粉ミルクからセシウムが検出された。

どの過程でセシウムが入ったのかはわからない。
もしかしたら福島原発から出たセシウムではないかもしれない。
冷戦時代の米ソ核実験などで、セシウムは世界中にばらまかれているからだ。
「だったらいいじゃん。これまでも人間はある程度セシウムを採ってるんだから」などという馬鹿もいるが、どんなに微量でも放射能は人間には害なのだ。特に細胞分裂が盛んな小さい子どもほど影響がある。赤ちゃんにセシウム、など論外だ。

つまり、もしも「福島由来のセシウムではなかった」としても、それは「よかった」ということになど決してならない。
福島原発も核実験も、チェルノブイリも広島長崎の原爆も、これまで散々放射能をばらまいてきた人間の行い、すべてがよくなかったのである。

韓国や中国の金持ちお母さんたちはこれまで「日本の製品は安全」と、高くても日本製粉ミルクを買っていたらしい。
でもセシウムの件を知り、みんな「怖い」と言っているのがテレビで報じられていた。
そんなアジアの金持ちお母さんたちが、今後は明治乳業の商品、さらには日本のベビー用品すべてを買わなくなるよ。
それでいいのか、ニッポン?

最初の話に戻ろう。
今年は膝を痛めてしまったのでどうなるかわからないけれど、スノーボードに行きたいな。
福島のアルツ磐梯スキー場は、20年近く前、僕がはじめてスノーボードを履いたゲレンデだ。
震災後は併設するホテルで被災者を受け入れていた。僕も何度も泊まったことがあるけれど、高級ホテルとは言えないにせよ、清潔で良いホテルだった。

膝さえ治れば、たとえセシウムの雪であっても、僕は福島に滑りに行く。
もう50近い僕のような大人は、甘んじて放射能に晒されるべきなのだ。
一方で福島の(スキー場がある会津地方はともかく、浜通り中通りの)子どもたちは、一刻も早く避難すべきだ。

そんな、矛盾した世界で、僕らはこの先ずっと生きていかなければならない。

『第六ラウンド』はまた今度。