JUN16のブログ -96ページ目

JUN16のブログ

5年ぶりですみません!経済的自由への旅路にいる「JUN16」の日記 (^-^

 気がつけば、関西では岡部まりさんが出馬しているんですね。

だから、最近のナイトスクープに出なくなったのですね。


 そんな中、ヤワラちゃんの突然の出馬。

 票集めに担がれたのか、もともと政治に関心があったのかは計り知れませんが、出馬するからには軽い気持ちでやってほしくありません。


 セレブも、数合わせや人気取りに利用されるだけなら、大政党から出馬するべきではないと思います。


 世は新党ブームですし、セレブは一般人にはない財力と知名度がすでにあるのですから、志を同じくするセレブ同士で、いきなり新党を結成して出馬してもいいのではないかと思いました。



 ペタしてね


 

 本日は、旧司法試験の択一試験、受験されたみなさま、おつかれさまでした。


 司法試験は、来年まで新と旧の司法試験に分かれています。

ただし、来年の旧司法試験は、今年の旧司法試験を受験した方のうち論文試験まで合格した方でないと受験できません。


 よって、実質的には、旧司法試験は今年が最後です。


 この旧司法試験が、現在のところ、日本で最難関の国家試験でしょう。

今年の合格率は、おそらく0.5%ほどです。1000人受けて、5人受かる程度の試験です。


 この試験に今年も果敢に挑戦されている方には、本当に敬意を表します。


 この旧司法試験に比べれば、他の資格試験は恵まれた試験だと思います。

いえ、試験を受験できること自体、幸せなことだと思うので、皆さんも一緒にがんばりましょう!


 ペタしてね



 


 知名度はないけれど、インパクトの戦国武将を紹介するシリーズ。

今回は、大和国(現在の奈良県)の僧侶武将、筒井順慶(つつい じゅんけい 1549~1584)。


 実は、この順慶公、2つの有名な「ある言葉」に関係する武将です。


 筒井氏は、大和国の興福寺の僧兵集団から成長した一勢力でした。

順慶公が生まれた当時、筒井氏を束ねてたトップは「順昭(じゅんしょう)」というお坊さんでした。

 筒井氏は、周辺の松永・三好・畠山などの諸大名と抗争しながら勢力を拡大しますが、この順昭さんが、若くで他界してしまいます(1551年)。
 
 さて、跡継ぎはというと、当時2歳になったばかりの順慶公しかいません。
 もちろん、2歳では当主は務まりませんし、もし順昭さんの死を周囲に知られれば、他勢力がこれこそ好機と攻勢を強めるかもしれない状況です。
 
 そこで筒井氏サイドは考えました。順慶公が成長するまで、順昭公の死を伏せるしかないと。
そのためには、順昭公の代わりになる影武者(いや、影僧侶?)を据えねばなりませんでした。


 実はそのとき、うまいことに、筒井氏サイドには「杢阿弥(もくあみ)」さんという、順昭さんに背丈もお顔も似ている坊さんがいたのです。
  そんなわけで、この杢阿弥さんが、順慶公が成長するまで順昭公になりきることで、筒井氏サイドはこの難局を乗り切ることができました。
 
 その後、当の杢阿弥さんはというと、約束どおり、順慶公が成人した後に、順昭公の役から解放され、以前のように「杢阿弥」という自分自身に戻れたというわけです。

 この逸話から、「元の木阿弥 (もとのもくあみ)」という言葉ができたそうです(^-^)

 
さらに話は続きます。

成長した筒井順慶公はその後どうなったかというと、織田信長公に仕えます。そして本能寺の変がぼっ発。実は、明智光秀公と以前から親しかった順慶公は、光秀公から味方につくよう誘いを受けます。
 
 そのとき、どうやら秀吉公のほうが有利かも?と考えたかどうかは不明ですが、順慶公は明智光秀公のいる京都までへ行く途中の「洞ヶ峠(ほらがとうげ)」までは出陣したものの、そこから一向に動きませんでした。
 

 ようやく順慶公が動いた時には、秀吉公と光秀公の勝負の決着がついていました、順慶公は、秀吉公の陣に祝賀のお祝いをするために峠から動いたのでした。

 順慶公のこの行動から、「どっちつかずで様子を見る」と意味で、「洞ヶ峠の日和見(ほらがとうげのひよりみ)」という言葉が生まれました (^-^


 ペタしてね