「戦う気持ち」「自分らしく」という面では、
かなり本来に近くなってきたと、前向きに考えています。
しかし、反省点ももちろん多々。
例えば4回戦

あがればトップというこの局面
南がでたところで、声が出ませんでした。
普段なら鳴く南。
これは同じような状況であがればトップの一回戦オーラス。
西を鳴いたあとに、大逆転の放銃をしてラスに転落した残像が
自分を臆病にしてしまったのだと分析しています。
いつでも同じような精神状態でいるのは難しい。
だからこそ取り組み甲斐があるのです。
次こそは!と何度でもトライします。
よかったことは「感性」の部分。

この局面、対面の西岡プロからリーチが入ってましたが
そのリーチの現物の五萬は、「親の和久津プロに放銃する」という確信に近いものがありました。
映像対局になってから、このような「感じる」場面というものが極端に少なくなっていました。
また感じたとしてもそれに従えないことが多かった。
今回はそれを信じられて五萬を打たなかったことがよかった。
結果、発を選択して放銃になったのだが、それでもその場で「よかった」と思えたことも良かった。
欲を言えば、打牌候補で迷った九筒を、三色同順と一気通貫の手役を消した上で丁寧に選べたほうがよかったので、今後の課題にしたい。
もう一点
こちらは下家の和久津プロからリーチが入っている局面。
ただ、対面のともたけプロが西待ちでテンパイしている(それも七対子で)と「感じて」
西だけは打たないぞ、と決めていた。

なぜだろう?
「なぜですか?」と質問されたら明確な回答ができない。
ともたけプロが押していて、ダマテン、だとしたら待ちはこれだろう。
こんなひどく感覚的なことは理由としては不十分だということはわかっている。
でも、そう「感じた」ことは事実だし、ともたけプロが西から待ち替えをして
西を出した瞬間に西を合わしたときは、「回避した」という確信があった。
西を切らなかったことによって、リーチに放銃したと考えたら批判が怖い。
でも、この感覚だけは、大事にしていきたい。
本当に安全牌がなくなっても、西だけは切らない胆力を鍛えたい。