小説家 橋本 純の創作してたらこぼれてしまった話

小説家 橋本 純の創作してたらこぼれてしまった話

小説家の橋本 純です。
あれこれ書いていると、原稿の中に収まりきらない話が出てきます。その辺を適当に暇な時、こそっと書いていきます。
主に怪奇系とミリタリーに偏りますが、京都の四季なんかも書いてます。

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前振りで第一次世界大戦に於ける最初の装甲車輌による戦闘を行なったのは英仏独ではない、という話を書きましたが、まあ順序が前後するのを承知で書くと、自動車に装甲ボディを載せた戦闘車輌で最初に実戦を経験したのはベルギー軍です。
それが第一次世界大戦開戦の1914年に作られたMinerva装甲車。

ベルギー軍は開戦前の1912年から自動車に機関銃を載せたパトロールカーを使用していましたが、戦争が始まるとパワフルな乗用車であるミネルバにフルカバーの装甲ボディを載せて機動性の高い装甲車を完成させて実戦に投入したのです。
これ以降、欧州各国は同様の形式の装甲車を戦場に投入していく事になります。

さて、時は遡り19世紀。
蒸気機関の発明以降、文明はこれを使い交通手段を拡充させていました。
鉄道はもちろん、スチームローラーと呼ばれるトラクターも出現しました。
軍隊は、まずこれを武装化する試みを始めます。
既に鉄道では蒸気機関車に鋼板を貼った戦闘貨車を連結したり無蓋貨車に大砲を小火器を載せる(まだ機銃はガトリング銃くらいしかありませんでしたが、何故かこれ廃れていき欧州では使わらななくなります。やがてマキシムの登場で一気に戦闘力は増す事になります)形式はありました。
イギリスで1899年に作られ翌年南アフリカで運用を始めたのがFowler B5蒸気式無軌道装甲列車です。
これは貴金属鉱山からの輸送ルートをパトロールする為に利用されました。
細部がこれ。
大砲も装甲内に収まってます。まあこれは敵(というか賊)が襲ってくると事前に察知したり反撃で逃げた後などに降車させて使う形式で、アメリカの鉄道でも非装甲の貨車に6ポンド砲を載せて武装する金塊輸送列車の例がありました。

同じ頃、既に初期の自動車も完成していました。
ただ、まだガソリンエンジン車は非力で重い車体が載せられない時代でした。
そんな頃に現れたのが武装オートモビルでした。
つまり機銃を載せただけのもの。
イギリスにシムスという発明家がおりました。
フルネームはFrederick Richard Simms 。彼が1899年に製作したのがこのシムスモータースカウト。
前方に装甲板があるだけ、車体は自転車のフレームを組み合わせた物。まあ、発明品の域を出ないものですがシムスの凄いところは、ここで諦めず実用的な装甲車輌を完成させようと本気になります。
そこでまず鉄道線路を利用した実験車輌を作りました。これがそのSimms armored draisine。
これはなんと時速30マイルも出る優れものでした。武装も機銃を2挺載せられ前後を同時にカバー出来る実用的なレイアウト。
そこでこの装甲ボディをよりパワフルになったガソリンエンジン車に載せて試作を開始します。そして完成したのがSimms war carです。
なんか名前がヤバくなってきましたね。
これは数種類の武装タイプが作られました。
まあざっと上から下に向かっていった感じです。
この発明は軍には不採用になりましたが、自動車の武装化という点については、軍は前向きに考えるようになりました。
丁度そのころ、フランスにおいても同様に自動車の武装化を考えた者たちがいました。
1900年代初頭、自動車文化で最も進歩していたのはフランスでした。既にこの頃、キャビンを持ったタクシーがパリを走り出していたくらいです。
そのフランスで1902年に披露されたのがCharron, Girardot et Voigt 1902でした。
こらはパリのオートサロンでの写真。
名前長いから通常はCGV1902と呼ばれてます。
運転席後部に薄い装甲板で囲まれた銃座を設けてあります。そこにマキシム機銃がマウントされていました。
製作はCharron, Girardot companyでこの後も各地のショーやオートサロンなどでアピールをしますが軍は採用しませんでした。
しかし、このアイデアはホチキス社に(フランス語の発音だとオチキスですが)パクられ、装甲などを改良した車体が1909年にトルコ軍に採用され4台が作られました。
仕方ないですね、パテントとり忘れたので。
まあ、しかしこのタイプの車体は大して需要は伸びませんでした。

同じコンセプトでより実用的な運転席までをシールドで覆うタイプの装甲自動車は、1906年にドイツ帝国で生まれます。
当時のドイツはワオマール帝国として自歩を固めているる最中でした。
そんなドイツで諸外国での装甲車開発と違うコンセプトで作られたのが自動車会社オペルによって作られたKriegswagen für höhere Truppenführerでした。
この車は、強力な40馬力エンジンを有するいわゆるラグジュアリーサルーンからの改造車。
なんとそこに求められたのは乗り心地。
これは、高級士官用の前線指揮車輛だったのです。つまり、指揮官を守るための装甲が施された訳です。
しかしこれも試作止まり、かなり高価な車であるオペルのLuxus Doppel Phaetonをベースにしたのも軍に採用されなかった理由に挙げられるでしょう。
それに周囲は装甲してあっても、砲弾の弾着による破片と土砂の雨には役立ちません。他国が偵察などの為に研究している装甲車と違い、これは前線に留まる正確の車、やはりこれでは不完全と判断されたと思われます。
まあ既に車体を完全装甲した戦闘車輌も登場していたというのも軍部の方では採用を渋らせた可能性が高いでしょう。

さて、ではそのドイツにオペル案の採用を見送ららせた存在である完全に車体を装甲で覆った四輪の装甲車を最初に作ったのはどこの国なのか?
それは、ドイツの隣国で同盟関係にあるオーストラリア-ハンガリー帝国のダイムラー社(後にドイツのベンツと対等合併してダイムラーベンツが生まれる事になります)が作ったAustro-Daimler Panzerwagenということになります。
1904年の事でした。
試作車を見ると、まだ装甲は薄くべこべこに見えますが、エンジンが非力なので重い鋼板の装甲を乗せるには限界があり、3〜4ミリと言うのが当時の標準的な装甲でした。
この時代の多くの装甲板は板金を板金して作られたもので、鋳造されるようになるのは更に強力な内燃式ピストンエンジン(ガソリン及びディーゼル)が誕生してからです。

この後エンジン技術も進歩して車体の装甲もより本格的に実用向きに改良進歩していきます。
固定武装を持たずに大馬力を有した(元の車体はパリの二階建てバス)装甲車を完成させたのは、シュナイダー社。

シュナイダーAut. M. nº15は、1909年にスペイン王国が欧州各地の9社に対してオーダーした装甲自動車のトライアルに勝ち抜き製造された車体です。

まあ、こうした各国軍部の試作要請が風雲急を告げる時代を背景に種々のメーカーに出された結果、採用されなかった多くの試作車が存在する事になりましたが、そちらの紹介は別の機会にさせてください。書くの疲れましたw

代わりに1914年にイギリス軍が戦争に際し本格生産を始めた装甲車Rolls Royce Armored carを貼り付けておきます。
この装甲車は1920年代まで生産され、一部は第二次世界大戦の時期まで使用されました。
大戦間の戦闘車輌は、第一次世界大戦を一通り済ませてから説明しますのでおまちください。

次回は戦車に話を戻しますが、この項目の補遺はいつかの機会に。