教員なんだから、完璧であるべきだという保護者や周りからの視線が辛くなる時って、ありませんか。

 

 

 

 

私が、日本で小学校の教員をしていた時は、

先生なんだから「分かりません」なんて、言ってはいけない

って、勝手に感じ思い込んでいました。

 

 

 

 

知らないこと、分からないことを聞かれた場合は、

保護者には

 

 

「確認します」

 

 

と返答して、答えを調べて連絡し直す。

 

 

 

 

「分かりません」という言葉を使ってはいけないというのでしょうか、そんな視線を勝手に感じていました。

 

 

 

 

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(完璧ってなんだろう?)

 

 

 

 

 

 

でも、

 

 

 

それが、オーストラリアの小学校で

教員としてはじめて働き始めた時に、

教員が子どもたちからの質問に平気で

 

「I don't know」

 

と答えていたのです。

 

 

 

 

それはそれは、衝撃的でした。

 

 

 

 

 

そして、保護者と話している教員がまたまた

「I don't know」

と答えているのを聞き、

 

 

それを聞いた保護者も

まぁ、教員も分からないことあるよね

と、その言葉を受け止めていて

そのすべてにびっくりしました。

 

 

 

考えたら、普通のことなんですけどね。

 

 

 

すべてを完璧に知ってる人って、

この世にいるのかい?

 

 

 

「はーい、私」

なんて言う人がいたら、笑っちゃいますよね。

 

 

そうです、笑っちゃうようなことなんです。

 

 

 

 

でも、それが勝手に、許されないことなのだと

思い込み、教員たる者すべてにおいて精進すべき

と、必死でした。

 

 

 

 

そういえば、先日話した日本の小学校新任教員の方が

保護者に2時間説教されたり、怒鳴られたりするのだと

話してくれました。

 

 

 

こんな状態で、「分からない」って言葉を

保護者に対して発することはできないんです!

 

 

 

 

「分からない」って言葉は、

私は日本の小学校で教員として働いていた時に

言ってはいけないと本能で感じ取り

言わないように意識していたのに、

 

 

 

 

ここオーストラリアでは「I don't know」が、

子どもにも大人にも受け入れられている。

 

 

 

 

それは、教員に対してだけではなく、

社会が「分からない」ということが

人間としてそうであっていいというか、

それが人間なんだと認めている感じがします。

 

 

 

 

 

 

分からないことは分からないとごまかさずに言いたい。

 

 

そして、教員として知っていたらプラスになることは意欲的に学んでいきたい。

 

 

 

そう感じる今日この頃です。

 

 

 

 

完璧な先生を目指していた自分に笑いがこみあげてきます。

 

 

 

 

完璧な人間よりも、笑顔の人間でいたいなと今になって思います。

 

 

 

 

 

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完璧な先生でいるのを求められる

その状態に疲れたら

オーストラリアで教員になるのも一つの道ですよ。

 

 

 

 

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