業者から配布されたテストをして子ども達を評価することに、違和感を感じたことはありませんか。

 

 

 

 

私が日本で教員をしていた時は、

業者からテストが配られ、

それをそのまま子どもたちに実施していました。

 

 

 

それは、学校として長年続いている方法で、

学年で足並みそろえて

それをそのまま実施していたという形です。

 

 

 

えっ、評価ってこれでいいの?と、思ったものの

それを超えるテストを自分で作っていく時間も力もなく

その教えのとおり、実施していました。

 

 

 

 

もちろん、そのテストのみで

通知表をつける訳ではないけれど、

そのテストの通知表での比率は

大変大きいものでした。

 

 

 

業者からのテストは、

いえ、それだけじゃなく、

考えてみれば、

私が小学生時代から受けてきた日本でのテストは、

常に正解があり、その答えを書かない限り

✖になるという解答形式でした。

 

 

 

 

 

必ず、正解がある。

 

 

 

そして、その正解は、一つの場合が多々・・・。

 

 

 

その決まった正解を書かない限り、

○にはならない。

 

 

 

○にならないということは、

通知表もその分、評価が落とされ、

 

 

通知表で評価が落とされると

頑張り、努力した分、

人間としての評価のように感じられてしまう。

 

 

 

その一つの答えを覚えられなかったら

「あ~、学校行きたくないな」

と、思う。

 

 

 

これが、子どもたちの心情でしょうか。

 

 

 

 

結局、自分がやりたいことよりも

暗記を優先の受験の日々。

 

 

自分を人間として認めてもらいたいために

その一つの正解を覚えるように努める。

 

 

 

 

暗記の暗記の暗記の暗記。

 

 

 

 

意味は分からなくても、

解答用紙に答えがあっていれば○がもらえる。

 

 

 

あとは、要領よくポイントをつかめばいい。

○がもらえれば、それが人間として良いと評価されたような気になる。

 

 

 

その正解のある教育に違和感を感じていたものの、

じゃ、どんな評価をすればいいのか、

分からずに模索していました。

 

 

 

 

 

 

そして、自分の子どもが学校に行きはじめるようになり、

その違和感と向き合うこととなりました。

 

 

 

 

我が子には、自分が良いと思う教育をしたい。

 

 

 

そう思い、産まれた時から、

愛情いっぱいに

五感を大切にする生活や

体を使って遊ぶことを中心に、

本の読み聞かせも多いときは娘にせがまれて日に50冊くらい読んだ時もありました。

 

 

 

 

人間が育つ過程で、

その過程に沿った人間教育を

幼児教育をと

 

 

自分自身、日々学びながら

子育てをしてきました。

 

 

 

 

でも、娘が学校から持ち帰ったはじめての通知表では

娘の評価がよろしくない。

 

 

 

よく考えてみると、

学校で良い評価をもらえるようにと

教育をしてこなかったんですよね。

 

 

 

オージーの夫は、

もとから学校からの評価を気にして教育をしていなかったため

通知表がどうであっても、なんのその。

 

 

気にならないし、

関係ない。

 

 

自分の大切なわが娘を

自分が大切だと思う教育をするのみ

で、なにも凹まないし、気にも留めない。

 

 

 

正解はたくさんある。

一個じゃない。

 

 

 

その時々によって、ベストな道を

アイデアを出したり、

創意工夫したりして

見つけ出していく。

 

 

 

今の正解は、

明日の正解じゃないかもしれない。

 

 

それでいい。

それがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

娘は、オーストラリアの学校に通っています。

小学校に入学しましたが、

就学準備段階で、

私のいるクイーンズランド州ではプレップと呼ばれます。

 

 

 

日本でいえば、幼稚園の年長さんが

小学校に組み込まれ義務教育となっている感じでしょうか。

 

 

 

 

私自身はスペシャリストと呼ばれる語学の教員で、

私がする評価方法は、

話す、聞く、読む、書く

の語学で見る4スキルすべてをみます。

 

 

 

もちろん、これは

オーストラリアのカリキュラムにのっとったものを

クイーンズランドで定められた評価方法で評価します。

 

 

 

 

日本の評価方法よりは、ずっとまし。

 

 

でも、まだ違和感が残る。

残っているのを知っていたけれど、放置していたのは私。

 

 

 

 

でも、その違和感に付き合っているほど時間はなく、

教員として、ママとして、すべきことは山のようにある。

 

 

なので、なるべく見ないように、考えないようにしてしまっていました。

 

 

 

 

 

 

でも、

 

向き合わなければならない時がやってきたのです。

 

 

 

 

娘の担任、私の同僚である教員に

どんなテストや評価方法だったのかを尋ねると、

それは正解がひとつのテストで

正解がひとつの教育でした。

 

 

 

 

 

正解のある教育と正解のある世界。

 

 

 

10年以上も自分が教員として行ってきた学校教育がぼろぼろと音を立てて崩れていく感じ。

 

 

 

自分が大切だと思う教育を我が子に

信念をもって進めていたはず。

 

 

それは、自然と、正解のない教育を行っていました。

 

 

 

自分が大切だと思う学校教育も

自分の受け持つ児童に進めていたはず・・・なのに、

結局、正解のあるテストや評価方法で

正解のある教育を行っていた事実

 

 

 

そして、

娘が通知表を学校からはじめてもらって帰り、

通知表を気にする自分にであってしまった矛盾!

 

 

 

 

分かりますか、私の矛盾!!!!

 

 

本能で行っていたのは、我が子に正解のない教育

教員として学校教育という枠の中では正解のある教育

 

 

 

 

そして、正解のない教育を自信をもって行ってきた我が子の通知表を見て落胆する矛盾!!!!!

 

 

 

 

さすが、夫に、むじゅん子と呼ばれる私だけありますね。

本当に矛盾している。

 

 

 

 

 

自分が大切だと思い我が子に行っていた教育と

自分が学校で教員として行っていた教育の違い。

 

 

 

 

 

 

あかん。あかんやん。

 

 

 

 

 

気が付いてしまったら、変えるしかない。

 

 

 

学校現場にいる私が、融通を利かして

せめても私の受け持つ児童たちの評価は

正解がひとつではない教育をしていきたい。

 

 

 

 

そう思うものの、正解が一つのテストは、

丸付けがしやすい上に、評価が付けやすい。

 

 

 

答えが一つだと、

誰が見ても○で

誰が見ても✖だと分かるので、

通知表の苦情もでにくい。

 

 

 

 

 

でも、私たちは正解のある世界に生きてはいない。

大人になればなるほど、物事に正解はない。

 

 

 

正解じゃなく、その時のベストを創意工夫して探すことになる。

その時は、不正解だと思ったその道こそが、

新たなアイデアの発掘場で貴重な時間かもしれない。

 

 

 

要領よく、最短の道を求められ、求めていたけれど、

実は、豊かさって、幸せって、もっと別のところにある。

 

 

 

 

私は教員として、まだまだ模索しています・・・。

 

 

 

世界各国の教育を視察、研究して、

自分の納得のいくものを見つけ出すしかない・・・。

 

 

 

 

私の教育の探求の道は、まだまだ続きそうです。

 

 

 

 

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