2024年5月に夫が外傷性くも膜下出血で入院、幸い後遺症は無く4ヶ月で退院
その時の記録です


目覚めてから4日目、救命救急病棟に移った。インターフォンを押しても誰も来なくて、やっと出てきたと思ったら、処置中だと言われて更に15分以上待たされた。
夫が居たのは、スタッフルームのすぐ近くの部屋?というか開放感のあるエリアで、隣のベッドとの仕切りカーテンも全開。
話しかけるとよく喋るが、何言ってるかあまり分からず会話が成立しない。痛い痛いと言って、毛布の下で手をもぞもぞしているので、よく見ると完全に拘束されて全然動かせない様子。
近くに居た看護師にこれでナースコールできるのかと聞くと、常に近くに誰かいるから呼んでもらえばいいと言われた。患者は高齢者ばかりで、事務的で機械的な感じがした。こんなところに1人で大丈夫だろうかと不安に思ったが、うわ言を言ってあまり意思疎通ができず、心苦しく思いながら面会を終えた。


翌日の面会では、看護師がベッドを少し上げてくれて、寝ていたけど起こしてしまった。
ここはひどいところだ、助けてくれ、逆の立場だったらこんな目に合わせないのに、意地悪される、怒られる、手が痛い、と立て続けに言う。
まだ両手は拘束されている。看護師に手の拘束について聞くと、鼻から胃への管が取れないようにするためで、2時間に1度は外して確認しているとのことだった。
同じ部屋に認知症のような症状の患者さんがいて、本当は翌日が退院予定なのに今すぐ荷物をまとめて帰ろうとして、看護師に強めの口調で怒られていた。それを見て、夫もこんな風に怒られるのだろうか、と考えてしまった。声を出すのも難しいし、水も飲めず、体を動かすこともできないなんて。熱があるみたいなので、そのせいで意識朦朧としているのか、アルコールの離脱症状なのか。
帰る間際になって、急な断酒は良くないんだ、売店で酒を買ってきてくれと言うので、明日また来るからと逃げるように帰った。


ICUを出て3日目、相変わらず手は拘束されていて、カバー(片面がメッシュになったミトンのようなもの)の上から手を触ったり、肩のあたりをさすってみたが、骨っぽくなって腕も細い。看護師が片手の拘束を解いてくれて、手に直接触ると冷たかった。繰り返し何かを訴えかけるけれど、理解できなかった。
まだむせるので管が外れないし、かなりとろみを付けたものしか飲めないらしい。ぼそぼそと「ジュース・・」と言うので飲みたいのかと思ったが、よく聞いたら「ジュースに酒」と言っていた。売店で酒を買ってきてジュースに入れて飲むという意味だったようだ。何度も言うので、無理だと説明しても、「それは分かるけど、とにかく(売店に)行ってきて」と滅茶苦茶だ。断酒して10日以上経っているのが、酒のことしか考えられないようで、思考がおかしいので会話が成り立たない。
 

面会後は医師と面談で、以下の説明だった。
①リハビリのための転院準備に入る
②側頭部の出血が原因で?高次脳機能障害があるが、時間が経てば?リハビリによって?戻ってくると思う
③リハビリは5カ月位必要かも
④飲酒歴によりミネラル不足になっている、これは心不全の要因
⑤肝臓の状態が悪いが、今は何もできない

 

その後、転院先について相談員と話した。今の病院でのリハビリは1日に最大30分×3回だが、転院先の回復期リハビリ病棟では倍の3時間可能になるとのこと。入院してから10日位経っていたが、そもそもリハビリできるような精神状態なのか、精神科での(アルコール依存症の)治療が必要なのではないかと不安に思っていると伝えて、候補が3つ挙がった。
①リハビリメインで精神科もあり
②精神科メインでリハビリもあるが、面会に通うのに不便な場所
③自宅から近い、精神科はない
転院後は、所得に応じた高額医療費の自己負担限度額と食事代の他、パジャマ等のリース代とおむつ代が10万円位かかる見込みだと説明を受けた。


意識が戻って安心したのものの、先行きはまだまだ不透明だ無気力

2024年5月に夫が外傷性くも膜下出血で入院、幸い後遺症は無く4ヶ月で退院
その時の記録です
 

翌朝、病院から電話があり、意識が戻った、目が開いたとのことにっこり
会社から病院までは、1時間以上かかる
面会は15~17時の間なので、早めに仕事を切り上げた
こういう時、コアタイムなしのフレックス制度は助かる
 

医師が耳元で呼びかけて強めに揺さぶると、目を開けて、医師を凝視していた
私が声を掛けても何も言わなくて、微かにうなずいたように見えたが、思っていたより反応が薄かった
医師と看護師は、「うなずいてる!!」と少し興奮気味に言ったので、専門家からみたら良い反応だったのかもしれない
少ししてすぐに目を閉じてしまって、話しかけても起きなかった
酸素の状態があまりよくないので鼻から呼吸器をしており、このまま良くならなければ気管切開がやっぱり必要になると説明を受けた
結局、私のことを認識できているのか、よく分からなかった


夫は外国人で、日本語は簡単な日常会話レベルなので、言語の問題なのか、脳のダメージなのか判別が難しい
意識が戻った翌日の面会で、私のこと分かる?と英語で聞くとYesと怪訝な顔で答える
疑わしいので、私は誰?と聞くと、ちゃんと名前を答えられた
かすれかすれの声で、口元に耳を近づけて、やっと聞き取りれる位の声でLet's goと言う
帰る気らしい・・・滝汗

ずっと眠っていたから、何日も経っていること、分からないよね
救急車に乗って、目覚めたら病院に居て、私が迎えに来たと思ったのかな
手鏡を借りて、顔の腫れと痣とチューブついてる姿を見せた
とてもとても、帰れるような状態じゃないんだよ悲しい
 

翌日、目覚めて2日目
夫は国保なので、市役所で限度額適用認定証を入手した

面会へ行くとベッドに座っていて、よく喋るが何を言っているか聞き取りにくく、何度か聞き直してやっと「ヨーグルト」と言っていることが分かった
鼻から胃にチューブを入れて栄養を入れている状態で、むせないで水が飲めるようになれば食事ができるらしい
お腹すいているのか、ずっと何も食べていない、売店に買いに行くと言い始める
まだ食べられないんだってと伝えると、今度は、トイレに行くと立ち上がろうとする(実際には歩ける状態ではないけど)


高熱と下痢が続いているらしい
記憶はちゃんとあるようだが、意識が朦朧としているのか、状況を理解できていないのか、時々もごもごと繰り返し何か言っているような感じ
面会時間を過ぎてもずっと話し続けるので、なかなか帰れなくて、脳の状態は昨日思ったほど良くないのかもしれないと感じた
 

目覚めて3日目、面会に行くと、歯磨きしているところだったが、腕の筋力が落ちていて、歯ブラシを口元に持って行くのも大変そうだった
酸素チューブは外れて、とろみをつけたお茶(誤嚥を防ぐため)とヨーグルトを食べたらしい
会話の途中で少し話がそれてしまうこともあり、帰り際は意識が混乱しているのか寝ぼけているような様子だった
帰りの電車が事故で止まっていて撃沈タラー

2024年5月に夫が外傷性くも膜下出血で入院、幸い後遺症は無く4ヶ月で退院
その時の記録です
これ以降の記事で、病院からの説明など、聞き間違いや思い違いがあるかもしれませんがご了承ください。。。


夫が入院した翌日の金曜日から翌週の月曜日まで、たまたま事前に休みを取っていた
自宅から病院までは、電車とバスで片道40分位かかる
ICUにいる間は特殊な寝間着のレンタルとなり、1日550円かかると説明された
持って来るように言われた物は、プラスチック製コップ、歯磨きセット、電動髭剃り、ティッシュ、マスク、紙オムツ
面会受付をして面会バッジを受け取って、紙オムツは院内のコンビニで購入
ICUに入るのは初めてだったが、物々しい雰囲気で少し緊張した


今朝は呼び掛けに対して少し目を開けて反応した、と看護師が教えてくれた
呼んでみても眠ったままだったが、足を左右にパタパタと動かす
鎮静剤?薬?のせいで浮腫んでいるらしく、特に膝のあたりがパンパンで、顔の痣と腫れも、たくさん付いている管も痛々しかった
人工呼吸器の管が痛くて取ろうとしてしまうのを防ぐために体を拘束されていたので、手を握ることもできなかった泣くうさぎ
医師の説明によると、手術は不要だが、搬送前と搬送後の2度痙攣を起こして重篤な状態のため、日曜日まで鎮静剤を使用して、週明けに意識が戻れば人工呼吸器を外すことができるとのことだった

 

週末は、自分のベースで食事をして、家事の間に本を読んだり、ウォーキングに行ったり、シニアうさぎネザーランド・ドワーフさんと過ごす、ゆったりした時間に癒される
心身共に不安定な夫との生活に疲弊していた時期だったので、久々の静かな時間
こんなに穏やかで、平和な日常があるなんてびっくりマーク
 

月曜日に再び面会へ行くと、意識はまだ戻っていなかった
何度か名前を呼んだら一瞬顔を左に傾けた気がしたが、その後は反応がなかった
下から見ると、視線が合うようにも見えたけど、気のせいだったんだろう
機械やチューブ類にぶつかりそうで、ベッドには近づきづらかった
病棟のような仕切りが無いので、見通しの良い広い空間にベッドが並んでいる
声を掛けても眠ったままで、ただ見ていることしかできなくて、時間を使い切らずに面会を終えた


別室に移動し、医師から聞いた話は以下の通りだった無気力
鎮静剤を外しても意識が戻らない
CTで見る脳の状態は、出血がだいぶ吸収されて悪くない、でも意識の戻りが悪い
薬が残っているせいか別の要因か、薬のせいではない気がする
39度の高熱で感染症の可能性があり、血液検査をすると異常値としては現れないのだが、それは肝臓が機能していないせいかもしれない

飲酒量が多いと意識が戻りにくい傾向にあるので、それが関係している可能性はある
明日脳波検査してみるが、もし痙攣が起きていたら、また鎮静剤を使う必要がある
呼吸器は唾液が出るから長く口に入れておくことができない、そうすると気管切開して挿管することになる


帰りのバスで泣きそうになった悲しい
毎日通って話しかけたていたら、起きてくれるのだろうか
起きても今まで通りの生活できるのか
リハビリだって必要になるし、身体に障害が残ったらどうする??

2024年5月に夫が外傷性くも膜下出血で入院、幸い後遺症は無く4ヶ月で退院
その時の記録です


5月23日(木) その日は早めに仕事から帰宅し、キッチンで夕食の準備をしていた
外はまだ明るくて、18時ごろだったと思う
夫はダイニングに座っていて、ふつうに会話して、酒を飲み始めた直後、大きめの声で何かを言った
「え?なぁに?」と様子を見に行く
窓の方を指差して、目はどこか遠くの景色を見ているようで、「うにゃうにゃ」と言葉にならない言葉を発した
目が爛々としているように見えたが、外の光が反射していただけかもしれない
どうしたのと言っている内に、痙攣して、よだれが出て、ただ事じゃないと思った
腕がブルブル震えて、話しかけても応えず、不意に私の腕を手に取って・・・食べようと??した
 

119番通報している間に、震えはおさまり、片側に寄りかかった姿勢のまま、ただ座っていた
まもなく救急車が到着、6名の隊員で、大して広くない部屋が一気に狭くなった
(最初に来たのは消防車で、救急隊は後から来たのかも)
糖尿病だが低血糖ではないことを伝え(通報前に測定した)、書類記入と状況説明の間に、救急隊が症状を確認する
意識はあり椅子に座っているが、話しかけられても無反応で、体に取り付けられた測定器具を外して口に入れようとしたり、様子は明らかにおかしい
「意識レベル3」と言っているのが聞こえた
 

キャスター付きの椅子に座った状態のまま玄関まで運んで、そこからストレッチャーに乗せるのに少し手間取ったようだ
保険証、現金、スマホの他、持参するように言われたお薬手帳と靴をバッグに突っ込んで、一緒に救急車へ乗り込んだ
糖尿病で通院している病院、近隣の病院、少し遠い病院、いくつも電話してくれたが満床で断られた
「必ず探しますから、心配しないで」と声を掛けてくださって、心強かった
結局、搬送先が決まらない場合の地域救急医療センターに行くことになった
しばらく横になっていたからか、夫は少し話せるようなってきた
あと何分で着くのか、トイレ行きたいなどと普通に話し始めたので、救急隊員も症状が良くなってきたようですねと言っていた
 

当時の夫は、
何か月も前から飲酒量が異常に増え、記憶障害、認知機能障害と肝障害あり真顔
前日には、私が仕事から帰宅すると床に倒れて、目の周りは痣になり顔の片側全体が腫れて、何にどうやってぶつけたらこんな顔になるのかと思うほど酷かったゲッソリ
数日前から尿意があるのに出ないことがあり、救急車で横になっている時にはお腹がぼっこり出ていて、膀胱がパンパンだったらしい滝汗

 

病院に着いて、先に救急車を降りて事務手続きをしたが、それ以降の記憶は曖昧になっている
院内は広くて薄暗く、他に何組か付き添いと思われる人たちが居て、何となく重い空気が漂っていた
断片的に覚えているのは、
医師に、酔って転んで頭をぶつけたかもしれないと伝えた
CT検査の結果は、くも膜下出血と硬膜下血腫でかなり重篤な状態、このまま入院になると言われた
栄養状態が悪い、肝臓の数値はかなり悪い、腎臓はすごく悪くないが良くもない
画像を見ながら、ぶつけて凹んでいるいる箇所が複数あり、典型的な酒飲みの脳だと説明された
診察中に痙攣を起こして、そのまま鎮静剤で眠らせることになった
 

何時間も経って救急救命センターから出てきた夫は、呼吸器をつけて眠っていた
救急車内では話していたのに、そんな状態になっていることが信じられなかった
病棟の待合室に移動して入院の説明を受けている時には、もう23時を過ぎていて、不謹慎だが終電に間に合うか気になっていた
静まり返った病院から外に出ると、周囲には何も無く、誰も居ない寂しい場所だった
GOでタクシーを呼んだ
アプリ入れててよかった気づきとつくづく思った
 

病院の最寄り駅までタクシーで行き、終電に乗って、帰宅したのは日付が変わってからだった魂が抜ける

お正月はゆっくり過ごしました
初おせち、美味しかったですニコニコ
量が少し多かったのですが、デザートのチーズケーキまでしっかり食べきりました

 

本当に、特別なことは何もしないお休み期間でしたが、
夫の体調管理のため、日に数回のウォーキングが日課で、
朝は快晴の青空と鳥のさえずりや、夕方は黄金色の景色、夜には澄んだ星空に、
目を向ける心のゆとりが持てる

そんな、何もない平凡な日々が幸せだなあと改めて思いました

 

当たり前の日常を、ある日突然失うかもしれない
「いつか」「今度」と言ったことは、次の機会はやってこないかもしれない
昨年は、このことを大いに実感したので、
2025年のテーマは、"Someday never comes"です

 

今日からまた慌ただしい日々が始まります

この言葉を意識して、大切なものを見失わないようにしたいです