どんな結果であれ、必ず理由があり、見つかる。
その結果がその人にとってどうであれ、現実問題、直視するか、目を背けるか、受け止めるか、受け止めないか、目を自分に向けるのか、それとも他人に向けるのか、言い訳が先か、反省が先か。
成功も失敗も、そこには必ず人間性、その人の本性が現れると僕は思っています。成功しているとき、その人はどんな態度をとるでしょう? 失敗も然り、その人はどんな態度をとるでしょう?
人間、余裕があるときは、多少は無理が出来て、多少はいつもやらないことや、いつもなら我慢出来ないことにも目をつむることが出来たり、大目に見れたり、手助けが出来たり、では逆は?
余裕がないとき、苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、寂しいとき、飢えているとき、渇いているとき、ネガティブに支配されているとき、我先に我が身のことを、それも自然だと思います。 でもそんな人間が世の中に溢れるとき、ルールはあってないようなもので、怒りが、負の連鎖がそれを凌駕します。
口に出すことは簡単ですが、負けないように、支配されないように、抵抗し、何度も何度も立ち上がり、疲労や痛み、ストレスや、眠気、空腹、誘惑に負けず、何度も繰り返し、立ち上がり、本来あるべき姿、本来するべき行動を、繰り返し忘れずに全うできた人間には、必ず報われるときが遅かれ早かれ訪れます。
アメリカにいても、日本にいてもどこの国にいてもこの法則は変わりません。
自分が伝えたいこと、本当に教えたいこと、バスケのスキルが先ではなく、バスケに必要なことも先ではなく、生きていく上で人は何が必要か。
それが一番先。
自分には、なんの使命があるのかを見つけること。
使命や価値のない人間はこの世にいない。センスのない人間もこの世にいない。
どれもこれも磨くもの。
このアメリカに自分が出逢えた子供たちも価値のあるセンスのある子達。アメリカは日本よりも、見る目もプレッシャーも数倍高い厳しい国、だからこそ、チャレンジとドリームが詰まった寛容の国。弱肉強食である国は、そんな報われるときが必ず自分を見失わず、正しいことを正しいときに、正しい場所で、積み重ねることで結果は自ずとついてくる。
結果は、必ずプロセスにある。
