最近は、生きる、命について考える、感じる事が多い機会に恵まれてます。
スクールでは子供達のエネルギーや、笑顔、成長を見ていると子供達に宿る生きる力、楽しむ力、無限の可能性を感じますし、そんな過程を見れる自分は幸せに思いますね。
命について、生きる事について、僕なりに考えてきて最近ふと想うこと、それは、亡くなった人、生きれなかった人をいつまでも想う。
とても大切ですし、それが故人に対しての敬意でもあり、一番の供養にもなります。
ただ、勘違いしてはいけないと最近特に感じることは、その人達を背負い、その人達の分まで生きるとか思わない事が大切だと思っています。
なぜ?
それは、荷が重いという事もありますし、故人はそんなことを望んでいない事。
あくまで自分が行き着いた考えは、アイデンティティーを無くしてしまう原因にも成りうると思います。
生きたくても生きれなかった、とても悲しい事であり、亡くした側にとっては大きな喪失感でありますけれど、なぜ? 自分ではなく、その人が生きれなかったのでしょう?
それは、人生において自分の課せられた役目、使命があるから。 その時その時で必ず役目、使命がある。
その時家族や、友人や、親友、知人を亡くす。 なぜ? 身代わりにもなれず、なりたくても、代わってやりたくても代われない。
あなたは活かされた。 その死を無駄にしないように活かすように、そしてその死を見届ける使命を受けた。
背負うのではなく、活かす。 どう活かすかはあなた次第です。 あなたには無限の可能性、選択肢があるのだから。
悲しみに老けるのではなく、浸るのではなく、途方にくれるのではなく、死を活かすように、澱むことなく、流れを作り濁らせないように。
故人に恥じない、胸を張れるように1日1日を楽しみきる。 故人が羨んだり、悔しがるくらいの人生を送るように強く願い、過ごすこと。
それも供養の1つです
長々とふと独り言を
明日も笑顔で空を見上げれるように
