今が楽しくないから違う事をやってみたい。
この二つの違いは歴然ですね。
前者は充実から来る、好奇心や発見だったり、そこからまた前に進むための閃きもかかっていますよね。
後者は、立ち向かう前に、心がそこから逃げ出したいというのがわかるくらいの発言ですよね。
誰にでもうまくいかない時、期間はあるはずです。 短い、長いは個人差はあると思いますけど、なんで自分が? なんで自分だけこんな思いを?
それは初めての経験だったらそう想ったり、二回、三回続けて経験することもあって、それがずっと続いているような、続くような感覚に陥る時もあるかもしれません。
うまくいかないから、嘆いたり、不平不満を言ったり、それに時間をいつまで使うかは自分次第。 うまく行かないから、そのお陰で普段していなかった事を気づけたり、気づかされたり、考えさせられたり、改めさせられたり、きっかけをストレスよりも、感謝として受け止めれたら必ず成長する鍵になるはずです。
苦しいのは、辛いのは、何かのせいじゃない。 このお陰で今の自分があるって言えるようになる。
自分に起きた出来事は、後の自分の歴史になるのだから。 歴史年表が、スカスカの人間よりもたくさんの出来事が自分の歴史に刻まれている方が、語り継ぐものが多ければ多いほど、人に伝えれる事も多いはずですからね。
経験はその人の深み。 今は、コミュニケーションを取る手段が電話や人と逢うよりもメール、SNS,MIXI,FACEBOOK、TWITTERなどが浸透しすぎて、そのツールを使い慣れた人は多多いますが、実際のリアルでのコミュニケーションは乏しいというのも現状にあると思います。
画面からは何も感じ取る事が出来ませんが、実際に人が放つエネルギーは、アル人にはオーラとして映るかもしれないし、ある人には雰囲気として、ある人には好感度として、どれも似たようなものかもしれないけれど、人それぞれの感じ方は違いがあると思うので。 そして実際話す事が出来たとしたら、その人の持つ力は、トーンや、話の内容、話し方に現れると思います。
僕は今でもメールよりも電話や、逢って話す事、そして人の目を見る事を心がけています。 画面からは、その人を感じれないので、自分の目で見たものを信じたいし、僕のことも理解して欲しいから。 繋がることは容易ではないこと、特に僕は海外で言葉が異なる人種と交流した時にいつも感じる事、それは自分が話さなければ、自分が歩み寄らなければ、自分が手を差し伸べなければ、人に関心を持たれる事もなければ、当然記憶にも残らないという事。
人に関心を持たれる事の難しさと人の記憶に残る事の難しさ。 ここ最近も日本に帰ってきてから思い出させるような出来事があったので、ふと書いてみました。
