この日は、僕のおじいちゃんの命日になります。 今まで書いた事なかったけど、僕のおじいちゃんが亡くなったのは自分が幼稚園年少の頃。 従姉妹の子が生まれた祝いに出かけたおじいちゃんは、朝方帰り道に車に轢かれて命をおとしました。 幼かった僕はおじいちゃんが居なくなるということにまだ実感もなく、人が命をおとすという事さえ理解出来ないくらいの年齢でしたから。 でもお葬式に初めて参列してそこで何故か涙が止まらなかった。 そこで初めて人が亡くなるということを経験してこんなにも悲しい辛いことなのかを理解した。
今では何十年も前の話だから、おじいちゃんの顔も記憶もうっすらだったり、全部覚えているか?といったらそうでもない。 それは忘れたということよりも、辛かった、悲しかった思い出が時が流れ、涙や悲しみで澱んでいたものが、時の流れと共に流れていってくれて、今は澄み渡るくらいの綺麗なものになっていると思います。
おじいちゃんを忘れる事はないけど、毎日のように思い出す事はなくなった。 それも時の流れによるものだと思います。 実の兄を亡くした事もそう、親友を二人亡くした事もそう、忘れる事は一生ない。 毎日のように嘆いては泣いていた頃と違い、思い出す頻度が緩やかになってきた。 それは悔やむ気持ち、悲しみ、痛み、辛さ、それらが前へ進む事よりも数で勝っていたから。
今は前へ進む事、自分のやるべきこと、使命、そしてやりたい事、それらに対する自分の想いが強く勝る。 それは今までの試練を乗り越えて来れたから。
ある時、ある人が僕の後ろに居てくれる守護霊さまのお話をしてくれた。
きっとおじいちゃんがずっと昔から見守ってくれていると信じてきた自分に 嬉しい知らせだった。 本当におじいちゃんは自分の後ろにいてくれてずっと見守っていてくれた事。
今日はそんなおじいちゃんの命日。 今日も一日おじいちゃんに感謝をしながら過ごしたいです。
