習慣も大事、反復も大事、どれをとっても大切な事がたくさんある中で、その時その時 僕が大切にしている子達に何を選び、何を学んでもらうか。 大人も子供もそうですけど、教えている事、教えたい事がまったく思惑から外れていながら、気づかずに教え続けていくことは恐い事ですし、教える側としては失格であると言えるかもしれませんね。
温故知新。 古きものにも新しきものにも、凝り固まらずに良いものは良いとしっかりと自分の中で見極めながら選び続けていく。 大切に受け入れていくこと。
子供達には自分が同じくらいの歳の時には、知らなかった事、出会えなかった事、あり得なかった事、成し得なかった事、そんな恵まれた時代に生まれた子供達には思う存分に自分の時代にこんな事あったらな・・・とか 自分の幼少時代を振り返りながら子供達に接するようにいつもしています。 毎回特に意識すること、それは子供達との向き合い方、距離感。 子供達は子供達で、個性溢れていますから、その個性をどう活かしてあげるか、何かもっと引き出せるものがあるか? どんな些細なことでも話す。 聞く。 そしてそんな話の中から彼らの性格を把握しながら、そこから彼らの性格だったら何を思い? 何を考え? どんな風に悩みを抱えて?
表情からもそうですね。 常にアンテナを張り巡らせて一人一人に目を満遍なく配れる自分でありたいです。 本当に限界はどこかにあるかもしれない。 でも考えなければ限界は そもそもただの言葉だということ。 言葉を口に出すことで、自己暗示的な要素も含みますから、それを言い続けていれば、確かにどこかで限界が来てしまうかもしれないですね。
人それぞれ重きを置くところは違いますけど、僕は子供のうちは、大人にどう見えるか? 自分は人からどう見えるか? どう見られているか? なんてまだまだ考えながら行動するのは本当にもっと先で良いと思っています。 これは何をどう言われても考えは変わらないと思います。 子供の可能性は子供がどれだけ制限なく、型にはめられる事なく伸び伸びやるかで方向性ははっきりと違いが現れると思っています。 人を傷つけて、他人を押し退けて~~とかは、それは確かに注意や教えが必要ですけど、口に出したいのに。 口に出せない。 表現したいのに、表現できない。 どんどん恐れずにやってみてから、やりすぎてしまったり、たまたま人に何か不快な思いをさせたり、など失敗かな?って想うような事をやってしまってから、初めて人は考えれるし、反省も出来たり、次に活かせる経験と呼ぶものを得れるんです。
前にアクションとリアクションの話しをしましたね? それが人を成長させる鍵だと思います。 今日もスクールで、一人の子に思い切り撃ちなさい。 自分が撃てる時、位置、撃ちたい、撃てると思ったなら、あとは決めるだけ。 撃っていいんだよ。って伝えました。 彼は撃てて、決める事も出来たし そして何回も今度は意識がそっちに向くようになりました。 二回目かな? その時 「なにやってんだよ!!!! シュートそんなの撃つなよ」って聞こえました。 でもそれはみんなが今まで彼に対して型に嵌めてきたから、撃って意外だったり、撃たなかったのにそのタイミングでとか・・・撃つ機会が少なかっただけで、撃つイメージがみんなになかったんですね。
僕のスクールはチームじゃなくて、あくまで個人のスキルアップとバスケを毎回楽しんで欲しいし、その中で自分自身の努力次第で、楽しみ方や、考え方、自信をつけていくことの大切さ、人とのコミュニケーションを目的としているので、誰が何を目的に持とうが、アクションしようが自由です。 現にみんな始めて1ヶ月半で、最初の頃と意欲と取り組み方、そしてなにより顔つきが違う事。 僕が何かを話す時も、一人も頷いていなかったのに、今では言っている事が浸透していると感じます。 みんな頷きながら聞いてくれるのはとても嬉しいですね。 あとはみんな目を見て話しを聞くことが出来ています。 これはとても大事で人の目を見て話せない大人もいますから、子供の頃からこういう習慣はとても大事だと思います。
今日も刺激とエネルギーと元気をもらえた一日でした。 ありがとうございました。